第8話
※
僕は親と面会謝絶になって十年ぐらいになるから、なんとも言えないのが家族の話だった。僕の家族は師匠とスピカリアぐらいで、最近和純ちゃんがその枠に入ってきたかな、って所だ。でも和純ちゃんは本当の家族がいる。父親と母親と。もしかしたら兄弟とか親戚とかも。でも全然想像が出来ないのは何でだろう。彼女の歌にそう言う要素が含まれないからだろうか。
うんうん唸って夜中まで考え込んでいると、口笛が響いてきた。隣の部屋からだから和純ちゃんだろう。僕もちょっとだけ窓を開ける。そうするとちょっとだけ、歌っているのが聞こえた。
「ある日……パパと……二人で……語り合ったさ……この世に生きる喜び……そして悲しみの事を……」
トライベル師匠から聞いた事のある歌だった。たしかグリーン・グリーン。父親が死んでしまう歌だ。
もしかして和純ちゃんが貧乏人といじめられていた理由は。
聞かなきゃ解らないことだけど。
聞いてみなくちゃ、解らないんだから、仕方ないだろう。
「和純ちゃん」
歌が止まる。囁くようだったそれが。
「和純ちゃんのお父さんって」
「事故で死んだ」
「お母さんは」
「親父ころがしのホステス」
「――だから、いじめられていた?」
「運が悪い事に母親の客がクラスメートの父親でねえ。全部ばらされて、先生たちも庇ってくれなくて。だから黙ってる事にした。声楽習ってたのは声が父親に似てるって言われてたから。スピカリアに低くする癖があるって言われたのもその所為だと思う」
「……ご」
「ごめんって言ったら喉の鍵引き千切るよ」
「……でも軽はずみに聞いちゃいけないことでしょう、こういう話」
「別に。今は何にも関係ない世界に来られたんだから構わない。何にも。母親も父親もない世界で、路銀は自分で稼げて、そんな場所に来られたんだから最高だよ」
「路銀って」
「いつか私もここを追い出されるだろうからね」
「そんなことしないよ!」
しゃらん、と喉の鍵が揺れる。
「腰掛け気分かもしれないけれど、僕にとって和純ちゃんはもう家族も同然だよ。だから絶対、離さない。僕の歌を初めて歌ってくれた人に、そんなことしない」
「初めてであんな詩が書けたの?」
「練習はして来たけど、本番はあれが初めて」
「そっか」
そりゃ責任取らないとな、と和純ちゃんは言う。
そうだよ。
僕の詩をあんなに完璧に歌いこなしてくれるのは、たぶん彼女だけだ。金に糸目を付けなければマダムも歌ってくれるだろうけれど、それは全然違う曲になっているだろう。僕が想定したのは、彼女なんだから。斎遠和純、彼女一人なんだから。詩職人の僕は曲はまだいまいち作れないから借り物になってしまうだろうけれど、詩の完成度なら負けないようにしないと。トライベル師匠にも、認めて貰えるように。
僕はさっきの、グリーン・グリーンに違う詩を付ける。まだ返していない星のインクを使って。多分師匠も気づいているだろう。でも返せとは言わない。多分これは僕と和純ちゃんに対する試練の一つなんだろう。試験の一つなのだろう。昨日彼女は師匠の弟子になった。僕はダメだしされた。でも褒めては貰えた。もしもそれに自惚れて良いのなら。ずっしりした貯金箱に甘えて良いのなら。
僕は幸せな詩を綴ろう。
幸せに終わる歌を綴ろう。
それが僕の、永隙告実の家族観だ。
みんな幸せになりました、で終わりたい僕の。
朝、起きてきた和純ちゃんに僕は詩を書いた紙を手渡す。きょとん、とした顔が、ふぇ? と鳴いた。ちょっと可愛い、思いながら僕はそれが何なのか告げる。
「グリーン・グリーンの音色で歌ってみて。気に入らなかったら突っ返してくれていい。あと朝食は何が良い?」
「フレンチ・トースト……バナナが乗ってるの……」
「りょーかい、和純ちゃん」
ぱちんっとウィンクして見せると、彼女は尚更ぽかんとする。
昨日の朝食で気に入ってくれたのなら、はちみつやジャムもお勧めしてみようかな、なんて。
呑気に思いながら、僕はエプロンを掛けた。
「現実的じゃない」
午後になって楽器達の調整をしていた僕に、その言葉は掛けられた。
え、と戸惑っていると、彼女は今朝僕が渡した詩を突っ返してくる。突っ返してくれていいと言ったのは確かに僕だけど、まさか本当に突っ返されるとは思わなくて混乱してしまう。現実的じゃない。そうだ、詩は空想だ。だから良いんじゃないかと思ったけれど、彼女はもう僕に背を向けていた。待ってとも言えず立ち尽くしていると、振られたな、振られたね、と楽器達がはやし立てる。そう言うんじゃなくて、と僕は彼らを宥めて調整を進めて行く。机には星のインクで綴った歌詞を置いて。そうしているとスピカリアが飛んできて、きょとんとしている。
「和純ちゃんご機嫌斜めなのー。午前には新しい歌の練習してたんだけど、身が入らないって感じで。どうしてだか解る?」
やっぱり僕の歌詞の所為なんだろう。親子三人が仲良く手遊びする歌にしたんだけど、そんな事が彼女にはなかったのかもしれない。でも、それを言ったら僕だってそうだ。思い出せる限り、父と母は僕に怯えていた。施錠されてホッとするぐらいには、僕を恐れていた。和純ちゃんはきっちりおさげ髪をしていたことからも、集団に溶け込もうと努力していたんだろう。優等生でいようとしたんだろう。でもそんなに事は上手くいかない。だから髪を切られて――そして。そしてここに、やって来た。その彼女の言う『現実的じゃない』と言う言葉は、重くのしかかった。やっぱり僕は詩職人見習いなんだろう。所詮はまぐれだったのか――思っているといつの間にか部屋に入ってきていたトライベル師匠が、僕の詩を眺めていた。インク使ったの怒られるかな、思っていると、苦笑いされた。
「おそらくはグリーン・グリーンの旋律だね? 告実」
「はい……」
「あれはあれでまとまっているから良い物なんだよ。無理に幸せな詩にしなくていい部類だ。替え歌じゃなく、何もない所から生み出す方が、君には向いている。多分和純君にも突っ返されたんだろう?」
「はい」
「悲しい歌だって良いんだ。苦しい歌だって良いんだ。誰かが共感して心震わせる時、それは音楽としての頂点を極める。私が聞きたいのはそんな、宇宙が生まれそうな歌だしね」
宇宙が生まれそうな歌――。
それは僕にとってはまだまだ敷居が高い理想の極致だな、なんて思った。
するとピアノが覚えたラプソディ・イン・ブルーを聞かせてくれる。和純ちゃんとはちょっと違う。和純ちゃんは僕と違う。勝手な同情や同調はいらないって事なんだろう。それが彼女の流儀、ってことなんだろう。潔いと言うより潔癖な。
歌えない喉で詩をなぞる。
歌えないから解らないのかな、僕は。
この喉は施錠されて、良いも悪いも解らないから。現実的なのも非現実的なのも。
経験が無ければ空想しか紡げない。
――空想で何が悪いって言うんだ。人を笑わすことが出来たらそれでいい。でも彼女は笑わなかった。どうしたら良い? 押し付けでなく彼女の心に訴えかけるには、一体どうしたら。そして彼女を歌わせるにはどうしたら。
悲しくても苦しくても良い歌なら。
僕は今この気持ちをこそ、ぶつけたい。
彼女に対して、ぶつけてみたい。
ねえ、君はどんな顔をする?
二稿目が出来たのは夜中だった。流石に和純ちゃんの部屋に持って行く時間じゃないな、っと思って僕はインクに蓋をしてペンを拭き、眠る態勢に入る。
耳に入って来たのは歌だった。ららら、だけで歌われているのはグリーン・グリーン。彼女もあの曲の落としどころを考えているのだろうか、思うとなんだか二人三脚で考えているようでちょっと嬉しかった。無理に幸せにしなくても良い。音の中でも無理に幸せじゃなくていい。師匠は厳しいなあと思う。音の中でぐらい幸せでいたって良いじゃないか。幸せな詩ばかりでも良いじゃないか。それは逆説、僕が幸せな歌を求めているだけなのかもしれないけれど。
歌の中でぐらい幸せになりたい。悲しい歌は偶のスパイスで良い。苦しい歌も。そう言えば向こうの聖歌って言うジャンルは苦しみを是としているのも多いって聞いた気がする。その方が天国に行けるから、とかなんとか。天国に近いのが苦しみや悲しみを歌った物なら、僕は天国に行けなくても良いな。この世で幸せな詩を書いて、そして地獄に落ちたって良い。幸せを求める事が悪いことだなんて言わせない。だって僕は、幸せになりたい。
しゃらん、と喉の鍵が鳴る。
こんな鍵を付けられてでも幸せになりたいと願うのは、そんなに悪いことなのか?
――そんなこと、誰にも言わせない。
ららら、のグリーン・グリーンを聞きながら、僕は目を閉じる。色んな感情で鍵がしゃらしゃら鳴ったけれど、そんなものは無視してやった。第二稿を突き付けたら彼女どんな顔をするだろう、なんて思って。トライベル師匠はゼロから書き起こす方が僕には向いてる言っていたけれど、この山だけは自分一人で超えてみたかった。
彼女、本当、どんな顔するだろう。
「これ、二稿目書いたから、良かったら歌ってみて」
朝に顔を合わせた瞬間差し出された詩に、やっぱり和純ちゃんはきょとんとした。あれだけ突っぱねたのに次が来るとは思ってなかったんだろう、胡乱な手つきでそれでも受けってくれた彼女にホッとして、僕は朝食作りに取り掛かる。今朝はパンケーキだ。はちみつの賞味期限近いから、スピカリアにたっぷり使ってもらわないと。僕らはメープル派なのに彼女だけハチミツなのは、やっぱり虫に近いからなんだろうか。羽とか生えてるし。仮にも友人に対しひどい事を思いながら、僕はぽんぽんとパンケーキをひっくり返していく。四人掛けのテーブルセットが埋まるようになってもう何日目だろう。以前は夜っぴて歌ってた威紀が来ていたものだけれど、そう言えば最近は顔を出さない。彼女の所は二番目がしっかりしているから弟妹達も寝かしつけてくれるはずなんだけど。そうしてみんな眠ってから、彼女は夜の街に歌で稼ぎに行くはずなんだけれど。
携帯端末で威紀に電話を掛けてみる。ふぁい、と眠たげな声が響いて、何だよ告実かあ、と更に寝とぼけた声が響いた。ただの寝不足かな? 思って、最近来ないけどどうしたの、なんて聴いてみる。ああ、と彼女はこれま胡乱げに応える。
『この前の和純のコンサートで儲けた金出せって殴られてさ。それで一番下のが夜泣き再発しちまって。だから最近は外に出てない……出られる顔の乙女じゃない』
くけけっと笑う声も心なしか小さい。元気がない、って言うんだろう、これは。
「病院には? 診断書取って来た?」
『そんな金ねーよ』
「じゃあ僕がカンパする。すぐに王様の所に行こう。そしたら姉弟だけで暮らせるように、」
『あんなぁ告実』
仕方なさそうな声で、威紀は笑う。
『あんなのでも一応親だし、最低限の飯は食わせてくれんだ。私がもう少し大きくなって一家の大黒柱張れるようになるまでは、どうこう考えちゃいないよ』
「でもっ」
そんなのいつになるか解らないじゃないか。
その前に殺されでもしたら堪らないじゃないか。
和純ちゃんのように。
時空を超えて生き延びるなんてこと、僕達には出来ない。
まして弟妹連れて貨幣経済だけの世界に行くなんて、僕らには不可能なんだ。
僕らは歌幣経済で動いてるこの国から出られない。
不自由な存在なんだ。
『ま、あと二・三年の辛抱だ。それまでは小銭溜めて独立の準備もしてやらあさ』
と。
威紀は電話を切った。
かた、と小さな音がして振り向くと、ベリーショートの髪。
和純ちゃんが、立ちすくんでいる。
真っ青な顔で。
「威紀――殴られたって、私の所為?」
「違う。それとこれとは別の話。貪欲な親と子の話で、君には全然関係のない事」
「だって、私のコンサートの上がりで、って」
「たまたま今回は君のコンサートだったってだけ。威紀は仕切りたがりだからね、こう言うのも初めてじゃない」
「なんでっ」
彼女は髪の中に指を突っ込む。
「なんでそこまでされても逃げられないの? 弟妹がいるから? それともそれで良いと思わされてるから?」
「和純ちゃん?」
「私はそうだった。父が亡くなって母がパトロンを見付けるまで、殴られたり抓られたりの繰り返しだった。それが当たり前だと思わされて来た。でも今は違うって解る。あんなの厄介に対する嫌がらせだったって解る。私は母にとって厄介者だった。きっと今はそれがいなくなって清々してるだろうとも思う。でも威紀は、それでもお父さんたちが好きなの? 一緒に住んでやるぐらいの気持ちはあるの? どうして? 解んないよ」
「解らなくて良いんだよ。他人の家の事なんだから、君が苛まれる理由もない。威紀は今はあれで良い。あれで結構小金持ちしてるんだよ。全部銀行に預けてるし、声紋判定だから親に盗まれることもない。もう少ししたら弟妹連れて家も出る。その段取りはずっとつけてるんだ。トライベル師匠の使ってない別荘を借りる事も」
「――私、もう一度コンサートやる。そしたらそれが早くなるかも、」
「和純ちゃん」
僕はちょっと強い声を出す。喉の鍵がしゃらんっとなる。
「余計なお節介はプライドを傷つけるだけだと言っておくよ。それにどっちにしろ今威紀の顔は見ない方が良いだろう。僕だって見たくない。彼女は両親とも夜族だから、獣の血が入ってる。下手をしたら君だってただじゃすまない」
「獣の血?」
「言ってなかったっけ? 夜族が夜行性なのは獣の血が入ってるからなんだ。威紀はキツネ、って言えば解るのかな、君の世界では。はしっこいからそんなに心配しなくても平気だよ。弟妹の為に殴られ役を買ってるだけさ」
「だけって」
「自分が傷付く方が良い事もある。彼女にはそう言う相手がいるって事さ」
傷付けられないのが一番いいんだろうけれどね。
僕は軽く胸に触れて、鍵が鳴るのを感じる。
この鍵に触れられたら、僕は死ぬのだと聞かされた。
爆弾を抱えて生きて行くのは大変だ。
彼女にだってそれは解っているだろう。
母に疎まれ、級友に阻害されてきた彼女には。
……いや、僕学校行った事ないから解らないれどさ。
キリッ、と歯を鳴らして、和純ちゃんは部屋を出る。
「詩! あれで良いと思う!」
「和純ちゃん?」
「もっと歌える歌増やして、コンサートでも見世物にでもなる! それで威紀を助ける! それが私の当面の目的だ!」
スピカリアの部屋に入っていく音。あのスパルタレッスンを二度受けたいと思って人を見るのは初めてかもしれない。昨日は楽譜の確認だけのようだったし。携帯端末で文章を打つ。威紀に向けて。
【もしかしたら凄いことになるかもしれない】
思わせ振りなことを呟いて、僕は他の異世界の曲を手本に、詩を綴り続けた。
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