第7話
※
翌日。
工房には行列ができていた。
勿論楽器の調整の為じゃなく、和純ちゃんの歌目当てだ。
音の国は音楽にうるさい。おそらく威紀が口を滑らせたんだろけれど、さすがにこの行列はさばききれなかった。師匠は城の図書館に行ってるし――多分こうなることを見越していたんだろう、あの人は――スピカリアははしゃぎ、和純ちゃんは怯えていた。まだ彼女に歌わせるのは早いと僕も思う。でも一人ひとり説得してる場合でもなさそうだ。暴徒にでもなられたらこんな小さな工房、ぺしゃんこになる。
「あのー皆さん。楽器が怯えてますのでもう少し静かに……」
表に出ると非難轟々だった。
「自分達だけ異世界の音楽を独り占めする気か!」
「あたし達にも聞かせなさいよ!」
「そうだ、絶唱者が生意気だぞ!」
歌えないものは迫害される。この国のちょっと悪い所の一つだ。好きで絶唱者になた訳じゃない僕は、ぎりっと歯を軋ませる。しゃらんと鍵が鳴った。
「――告実を馬鹿にするな!」
響いた声は工房からで。
まさか助けが来てくれるとは思わなかった僕はちょっと驚く。
和純ちゃんは短い髪を逆立てるみたいにして、まるで狩りの前の動物みたいだった。
ギリッと睨まれて、行列が僅かにシンとなる。
「それ以上告実を馬鹿にするなら、私は意地でも歌わない」
「そんな! 異世界の音は聞かせてもらえないのか!?」
どよどよとした人々に、和純ちゃんは冷めた目で群衆を見遣る。
「つまり告実を差別するのは止めないと言う事か」
「そ、そんな事は」
「どうなんだ!」
スピカリアは言っていた。彼女には声を低くする癖があると。こういう恫喝の為だろうか。恫喝を受けて来た所為だろうか。それは僕にも解らない。でも不覚にも僕はその姿を――格好良いと、思ってしまった。
「し、しない! 金輪際絶唱者を差別しない、だから」
「本当だな?」
「しない」
「しないよ!」
「しないから」
「しないって」
彼らの言葉は和純ちゃんへの興味から来ている。まだ異世界の服を着ている彼女は目立つ。聞く所によると三か月ぐらいは着っぱなしでも良いのだと言う。汚れにくくなっているんだろう。制服だから。この国じゃ憲兵ぐらいしか着ているのを見たことが無いけれど。その憲兵も、やじ馬に交じっているとはどういうことだろう。よっぽど彼女の噂が広がっていると見える。辺り一帯を睥睨しながら、和純ちゃんは言う。
「歌うのは夜にする。それまでに自分の名前を書いたタグを用意しろ。もし今後そのタグに名前がある奴が告実を攻撃したら、私は王にそれを上申する。歌一曲で聞いてくれるだろうな。勿論身分証付きだ。確認出来たら部屋に入れる」
「その仕切り、この私が買った!」
ぴょんっと行列から顔を出したのは威紀だった。
「ただし一曲に付き銅貨一枚の入れ替わり制だよ! 現金持ってない奴はそれまでに銀行で用意しておくこと! で、良いね和純っ」
「お金を取るほどの歌じゃ、」
「こーゆー時は取った方が良いのさ! 場所はマダムの調律屋! あそこはマダム用のホールがあるからね!」
「すげえなマダム!?」
「あれ、知らなかった? マダムあれで現役の楽器だよ。五オクターブ出る」
「すげえ! マダムすげえ!」
「と言う訳で、昼の所は解散!」
ぱんと威紀が手を叩くと、すごすごと行列は無くなっていく。今のうちに銀行で歌って両替する人も多いだろう。それにしても、別に街でいじめられていたわけでもない僕の保護が、一気に手厚くなってしまったのはどういった事だろう。
「異世界の音楽って、何歌うつもり? 和純ちゃん」
「わらべ歌に、グリーンスリーブスの日本語版に、他にアカペラで歌えそうなのって何だろうな……」
「あの、アカペラでなくていいなら昨日の曲」
「ラプソディ・イン・ブルー?」
「それに詩を付けてみたから、歌ってみてくれない……かな?」
きょとんっとした和純ちゃんは。
くっくっくっと笑って。
良いよ、と言ってくれた。
「じゃあその練習だな、昼は。夜って言うと何時ぐらいだ?」
「夜族の時間帯だから九時ぐらいだと思う」
「子供の客には悪いことしたな」
「マダムのホールは広いから、国中聞こえるさ」
「チケット意味ねーな……」
「でもそれで。君がどういうスタンスの楽器かは解ってもらえたと思うよ」
「楽器じゃない」
「あれ、昨日は納得してたのに」
「せめて歌い手だ。楽器って言うほど、まだ研鑽は足りていない」
ほ、と僕の口から声が漏れる。携帯端末で夜の段取りを付けている威紀だって、楽器になってもう五年になるだろうに、その楽器に認められたと言うのに、中々謙虚な子だ。彼女は。
「取り敢えず詩、見せて。告実」
「あ、うん!」
師匠の部屋からくすねた星のインクで書いたから彼女も多分読めるだろう。読んでもらうための詩だ、歌ってもらうための詩だ。誰にでも読めなきゃ意味がない。だって僕は詩職人見習いなのだから。歌えないから書く方に回った、落ち零れの詩職人なんだから。
楽器達が自主的に集まってオーケストラを編成し、マダムの店に向かう行列は、昔異世界の童話として聞いたハーメルンの笛吹き見たいだった。マダムもほくほくと異世界の音を楽しみにしているようで、なんとも呑気なものである。僕は銅貨三枚で全曲買い、他にも同じような人がいるらしかった。勿論ネームタック付きで。意外と愛されてるのは僕なのか和純ちゃんなのか。ま、後者の歌だろうな、と、予想は付く。
流石に百人規模のホールで一人歌うのは心細いらしく、緊張してしまった和純ちゃんはスピカリアに延々とリラックスの歌を歌わせていた。楽器達も励ますように楽屋で歌っている。マダムの前座でホールがあったまってきたところに、出て来たのは和純ちゃんだ。ぱちぱちぱちぱちと拍手をされて、ぺこりと頭を下げる。それから楽器に導かれて、歌い出すのは木の実が転げるわらべ歌だった。単調な調べだけど、こっちとは違う音階の移り方をしているから、その珍しさに人がおおっと湧く。
次はグリーンスリーブスって言ってたかな、マダムの店で料金代わりに歌っていたのの、異国語版だ。入れ替わらない客層、外まで続いている行列、良い眠りをしているだろう王様。思い浮かべるとちょっと面白くて、口元を隠してにんまりと笑ってしまった。声に出さない限り、僕の喜怒哀楽は自由だ。一応だけど。鍵が音を立てないようにしながら、僕はイスに深く腰掛ける。オーケストラがワクワクしていて、それが微笑ましかった。さあ、ラプソディ・イン・ブルーだ。今日のピアノはマダムのホールのピアノ。流石にあれを持ち歩いたり歩かせることは出来ないからね。お祭り好きのピアノは、それでもちゃんと飛ばずに和純ちゃんに弾かれてくれている。
そして歌。
僕の書いた詩。
それが、乗っていく。
ずっと練習に付き合ってくれた工房のピアノには本当に悪いことをした。まさかホールでこんなに響く声を出せるなんて思わなかったんだ。精々添え物って感じになると思ったのに、その歌は明るく軽く響く。和純ちゃんも笑いながら歌ってくれている。僕の詩を。あちこちで肩を揺らしながら目を閉じて聞き入ってくれている人もいる。大人も、子供も。少しは僕の力が入ってるんだと思いたい。そんなことを思ったのは初めてかもしれなかった。誰にも触れられずにいた歌詞が、ぐるぐる回る。ずっと見習いでいた詩職人としての僕のスキルは、そう悪くないのかもしれなかった。自惚れだけど、そう思っても良いんじゃないかと思えた。
やがて曲が終わると、わあああああと歓声が響く。マイクを引き寄せた和純ちゃんは、えっと、と前置きみたいなことを言って、緊張をほぐそうとしている。スピカリアがきゃっきゃと舞台袖から出て来て、くるくると和純ちゃんの周りをまわる。
「最後の曲の歌詞は。告実が書いたものです」
ざわ、として、視線が僕に集まる。
ちょっと。何を。言って。くれちゃって。
「告実の才能は、ちょっと曲がってしまったけれど、健在です。だから告実を責めるようなことはないように、お願いします」
ぺこんっと頭を下げて、彼女は舞台裏に引っ込む。
アンコールの声は尽きなかったけれど、彼女は決してそれ以上舞台に出ては来なかった。
そこがまた潔くて良い、と言う人もいたぐらいだけれど。
舞台裏に様子を見に行くと、トライベル師匠もいた。
「いい演奏だったよ、和純君。こうやって人に聞いてもらう事に厭いがないのなら、君は十分私の弟子として名乗って良い」
「あんなのもう無理です! 心臓が死にます!」
「何もホールで毎回やれとは言わないよ。ただ、表で少し歌うのも良いよ、という事さ。ところでドングリとはなんだい?」
「木の実です、こんな形の……転がってるのは見た事ないですけど」
「存外いい加減だ」
「わらべ歌なんてそんなもんです」
「違いない」
「いやーしかし三曲詰め合わせが存外に売れたぜー。マダムのホール貸し切りでもお釣りが出るぐらい。三分の一は私らが手間賃としてもらってっけど、金貨三枚はけっこうでけーからな。自分の歌に自信持てよ、和純」
「ってなんで威紀もいるのさ!」
思わず入っていくと、お? と言う顔をされる。
「そりゃお前、新しい金蔓見付けたら囲うだろ。お前の詩も結構好評だったぜ?」
「金蔓……」
「あー威紀君威紀君、もうすこし何かに包んだ言い方をしてあげて。ただでさえ疲労しているところに追い打ちは、ね」
早速金蔓扱いされてるし。いや威紀は弟妹が多いからそう言うのは多い方が良いんだろうけれど。それにしても金貨三枚ってすごいな。明日にはホールに入りきれなかった人達が持って来るだろうから、下手すると金貨五枚とかになるんじゃないだろうか。基本人の良い街だから。そして多分彼らは僕を虐待しないと言うネームタックも持って来るだろう。詩が僕の物だと知られれば、もしかしたら僕も詩職人見習いから見習いが外れるかもしれない。なんて淡い夢を見ていると、トライベル師匠は、はっはと笑う。
「だが告実の詩はまだまだかな。昨日の和純君の演奏に影響を受けて負けん気になっているところが多い。まあ一晩で一枚書けたのなら、進歩は見られるね。人に後押しされた進歩だが」
「キョージュキョージュ、キョージュも言葉選んであげて。凹んでるから」
「で、でも、すごく歌いやすくて気持ちの良い歌詞だったよ! それは本当!」
和純ちゃんだけが僕をフォローしてくれた。スピカリアはラプソディ・イン・ブルーを鼻歌で歌っている。そうすると部屋に飾ってあった花が開いた。こっちもご機嫌だな。と僕は思う。
みんなご機嫌の演奏会。
それは良い物なのかもしれなかった。
次の日はやっぱり工房に行列ができて、銅貨三枚を持って来る人が多かった。一枚は貯金箱に入れて威紀の分、二枚はクッキー缶に入れて和純ちゃんの分。僕の仕事は進まないけれど、誰も文句を言う人はいなかった。むしろ、あんな演奏にうちの楽器を使ってくれてありがとう、なんて言われる始末だった。和純ちゃんの声が良かったんですよ、と言っても、詩も良かった、と言ってもらえて、ちょっと赤面する。それをニヤニヤ笑いながら見ているのは威紀だ。和純ちゃんは流石に疲れたらしくてまだ眠っている。と言うか魘されている。あんなに人がいっぱいの所でソロデビューじゃあなあ。合唱大会? のソロの比じゃないだろう。それにしても合唱大会って何だろう。文字をばらして行くに、合唱の大会なんだろう。合唱。みんなで一緒に歌うこと。僕には出来ないこと。その花形に選ばれた。その嫉妬で髪を切られた。彼女はそうして『翁』と出会う。音を守るのが基本的な行動理念である、『翁』と。
彼女にはそれが良かったんだろう。少なくともこっちでは、歌が原因で暴力を受ける事はない。鼻歌で洗濯物飛ばしちゃったりしたら流石に怒られるけれど、それ以上も以下もない。最後のお客さんから銅貨をもらうと、威紀が貯金箱を持ってそのずっしり感におおっと声を上げた。それから僕にそれを差し出す。
「威紀?」
「これは、お前の分」
「へ?」
「ラプソディ・イン・ブルーだっけ? あの歌詞を書いたんだから、お前にもリターンが無きゃ不公平だろ。実際あれが一番評判良かったんだ。王様が飛び起きるぐらいにはな。次の時は早く情報よこせってプリプリしてたらしいぜ、キョージュに」
「師匠もアレで掴みづらい人だからなあ……王様ってば多分あの髭ぷんぷんさせながら怒っただろうね」
一拍。
「あはははははっ想像し易すぎて可愛いなーうちの王様は!」
「でも和純ちゃん黙秘権行使して僕んちに島流しにされたんだよ」
「今頃ハンカチ噛んで悔やんでるだろうな! ほんっと、この国は暮らしやすくていいとこだ」
「異世界人にも僕みたいなのにも比較的寛容だしね」
「私らみたいな夜族にもな。キョージュの教育のたまものか」
「王様はトライベル師匠の生徒だもんねえ」
「嘘ッ!?」
聞こえた声は後ろの窓から。
和純ちゃんがちょっと髪を跳ねさせながら、僕達を見ている。
「師匠って何歳なの!?」
「宇宙人だからなあ。億は軽いと思うよ」
「スピカリアは今年で五千丁度になったのー!」
「さらに嘘ぉ!?」
ひよ、と和純ちゃんの肩に乗ったスピカリアの自己申告に、和純ちゃんは呆気に取られてから真面目な顔になる。
「……私、人の誕生会とか行った事なくて解らないんだけど、五千歳で喜ばれる贈り物って何?」
「歌!」
聞かれた僕らが答えるより早く、スピカリアはきゃあっとはしゃいで言った。僕も威紀も十七歳だから、さすがに千歳五千歳の欲しがるものは解らないとこだったから、助かる。
「えっと……はっぴばーすでーとぅーゆー、はっぴばーすでーとぅーゆー、はっぴばーすでーでぃーあスピカリアー、はっぴばーすでーとぅーゆー♪」
「あははははっ、異国語で解らない所はあったけれどお祝いされてるのは伝わって来た! ありがとう! ありがとう、和純ちゃん!」
「今の曲は何だ――!」
と、大量の人々がこっちに押しかけて来る。
「新曲か!? 和純ちゃんの新曲か!?」
「た、ただの誕生日を祝う歌ですっ」
「俺今月誕生日!」
「私来週!」
「僕今日ー!」
じいっと見られて和純ちゃんは困ったように僕を見る。ふるふるっと頭を振って、我ながら最高の笑顔でサムズアップしてみた。絶望したような和純ちゃんを見ると、最初にうるさいばっかり言ってた彼女とは大分違って見えて、それが心をそ開きかけてくれている印なのかと思うと、ちょっと嬉しかったりもする。
誕生日を祝う歌は全員分歌われ、その場にいた全員が銅貨を置いて行った。
トライベル師匠に言われたことの意味が解ったのか、ふむ、と彼女は銅貨でいっぱいのクッキー缶を見る。
「威紀、こっちにも銀行あるって言ってたよね?」
「え? ああ、あるけど」
「これと昨日の稼ぎ分、全部貯金して来る。どうせ財布に収まりきらないし」
「堅実な蓄財するねえ。うちもそのぐらい稼げれば良いのに」
「? 威紀、歌は格好良いじゃない」
「親が飲んだくれでねえ。お陰で弟妹は多いけど実入りは少ない」
ふっと和純ちゃんの表情が変わる。
最初の頃のような、つっけんどんな顔だ。
「そんな親、捨ててしまえば良いのに」
「ゴーインなこと言うねえ。あれでも親だからなあ、一応」
「私は捨てて来た」
言って和純ちゃんは窓を閉める。
これは何か。
地雷を踏んだ、のだろうか?
威紀と顔を合わせても、出来るのは肩を竦める事だけだった。
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