第6話
※
「告実」
朝食の片づけを終えた次の日、工房に向かおうとする僕を和純ちゃんが遠慮げに引き留めた。夜っぴて続いたオーケストラでお互い腫れぼったい目になっているけれど、あんまり気にしないようにしよう。観客一人のオーケストラで、彼女はその一人だった。途中で寝ちゃっても良かったのに、最後までついて行って、ぱちぱちと称賛の拍手をされた。それで大分機嫌の良くなった楽器達もいるから、早めに調整しておきたい。
「こっちの曲、どこで教えてもらえるか教えて欲しい」
「ほ」
「ほ?」
「いやそう来るとは思わなくて」
一番いいのは調律屋のマダムだけど、一々髪型が変わるからなあ。あ。そうだ。
「スピカリアに訊いてみると良いんじゃないかな。あの子あれで歌に関してはエキスパートだし」
「どこにいる?」
「いつもならトライベル師匠の部屋」
「ありがと」
とてとてと走って行った彼女は、大分浮かれた足取りだった。
スピカリアのスパルタレッスンに付いていけるかな、とちょっと心配になるぐらい。
歌に関しては本当に厳しいからなあ、歌職人ってのは。
それにしても、ありがと、か。
少しは心を開いてくれるようになった、って自惚れても良いのかな? これは。
「違う! 半音ずれてる!」
「あー…」
「よし、次はらー♪」
「らー……」
「全然違う! 低い! 和純ちゃん、声低くする癖がある! だから正しい音が出ない! もう一回!」
「らー♪」
「ほら出せるじゃない! じゃあさっきの所から続けて行くよ! ららららららららららー♪」
「ららららららららららー……」
「まだ遠慮がある! 音は恥じらったら負けだよ! ららららららららららー♪」
「ららららららららららー♪」
「すごく良い! えらい! じゃあ次!」
「解ったからちょっと休ませて……」
スピカリアのレッスンでへろへろになっているのを見越してジュースの差し入れに行ってみると、案の定ヘタレた姿が見えた。リンゴジュースを差し出してみると、ぐびぐび飲んでいく。柑橘系は疲れた喉に良くないかなと思ってジューサーに掛けたんだけど、当たりだったみたいだ。スピカリアも専用の細長いストローを使ってちるちる飲むと、ふはーっとなっている。花から蜜を吸う蝶みたいだな、とはいつも思う事だ。
「りっんごっのジュースは甘い甘ーい♪ 喉に優しくて気持ち良いー♪ さあ続けるよ和純ちゃん!」
「も、もうちょっとだけ……」
「だめーっ! 覚えられるうちに覚えなきゃダメ!」
「良かったら手伝おうか?」
和純ちゃんに絶望的な眼で見られる。違う違う。君の方。
「ハーモニカの方が音色解りやすいかなってね」
「でも工房、」
「我儘なのは大体やっつけたから、こっちにかまけてても少しは平気。ちょっと待っててね、ハーモニカ持って来る」
「じゃあその間に一曲通して歌ってみようね、和純ちゃん!」
「全然休めてない……」
そして僕もハーモニカで手伝ったのは、こっちでも簡単なわらべ歌だった。
楽譜は向こうと違うから読めなかったらしい。それにしても一日一曲、異世界の音階で覚えられたのは十分に凄いと思う。工房でトライベル師匠とスピカリアと威紀と僕を観客に、彼女はぺこりとお辞儀をしてから歌い出す。
リンクしていくのは楽器達。入りたかったら入ってね、と言っておいたけれど、一小節目から入って来るのがいるのは流石に意外だった。そうしてだんだん増えて、最後にはオーケストラレベルになって、終わり。ぱちぱちと拍手をしてみると、トライベル師匠は彼女と握手をし、そして何か渡したようだった。きょとん、としている彼女に、スピカリアは財布を持って行く。なるほど、貨幣経済。彼女には音の価値が解らないから、金貨を渡したのか。それも価値は解らないだろうけれど。威紀は骨董市で見付けた向こうの楽譜を渡す。ふむ、僕だけ何にも用意していない。せめての拍手も長続きはしない。そうだ。
「和純ちゃん、ピアノは弾ける?」
「弾ける、けど、一応」
「じゃあさっきの威紀の楽譜、弾いて見せてくれない? ピアノの音階は向こうと同じだからさ」
「……指固くなってても良いなら、やる」
ピアノって弾かないと指が硬くなるものなのか、知らなかった。
和純ちゃんは陽気なピアノにドレミファソラシドで歓迎され、ビクッとしながらも楽譜台に古い本を置く。それから何度か指を確かめるように置いて―――曲は、始まった。
後から聞いた話だとその曲はラプソディ・イン・ブルーというらしかった。華やかな曲に楽器達も堪えられず入っていく。その乱入に驚きながらも、彼女は一定のリズムを崩さない。そして終わった曲には、僕達は茫然とするしかなかった。異世界の音楽はこんなにも華々しいのか。それを弾ききる和純ちゃんにも驚きだ。ああ、こんな曲に詩を付けてみたい。詩職人見習いの僕はうずうずしてしまって、思わず自分の部屋に飛んでいく。
「あれ。何かしたかな。告実」
「何、詩職人の発作みたいなものだよ。綺麗な音を聞いたらそれに詩を付けてみたくなる。それだけ君の曲が素敵だったって事さ」
「作ったのは別の人だし、楽譜を持って来たのは威紀でも?」
「そう。関係なく、机に向かいたくなる。さてこの楽器達も随分艶が増しているようだし、私が調整しておくとしようか」
「私は夜の街に向かうかな! こんな心地で歌いたい歌が歌えたら最高だ!」
「さすがはスピカリアの弟子なのー! 和純ちゃん、明日はもう少し複雑な曲も覚えるの! そしたら楽器達ももっと艶々になってくれるの、それに私は素敵な歌は大好き! 絶対すごい曲歌わせてあげるね、和純ちゃん!」
「これが楽器扱いだとしたら、すごいスパルタですね……」
「まあ、それがスピカリアの良い所だと思ってくれれば嬉しいね。ちなみにさっきの金貨。君の国の価値では一万円と言ったところだ。上手に使うようにね」
「半額で良いです。むしろ三分の一でも良いです、トライベル師匠」
「まあ、そう言わず何かに試してみておくれよ。それと私を師匠と呼ぶのはまだ早いな。もうワンステップ、と言ったところかな?」
「はぁ……?」
「まあ、明日には解るだろうさ」
師匠は笑う。くすくす笑う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます