第5話


 絶唱帯、と呼ばれる喉の封印帯は、僕にとっては結構脆い結界だ。僕の力がそれだけ大きいから、らしい。らしいと言うのは実感したことが無いからだ。物心付いた頃にはもう歌えなくなっていた僕が何をやったのかは、面会謝絶になっている両親しか知らない。ただそれが師匠の研究対象としては興味深かったらしく、僕は彼に育てられてきた。だから僕は師匠以上も以下もない。威紀は友達と呼んで良いのだろうけれど、それでも一線引いているところがあるのは否めないところだ。彼女も自由に歌える事には、変わらないから。

 その威紀に頼んで客間の窓の下を見張らせていると、案の定和純ちゃんはそこから出ようとしたらしく、捕まって遅い夕食タイムだ。威紀も一緒に。ちょっと多めに作っておいて良かった。主にナンを。バターチキンにはナンが良い。僕の些細なこだわりだ。

「それでお前、和純だっけ? 何で逃げようとすんだよ。キョージュは確かに変な人だしスピカリアもやりづらいとこあるけど、告実はまだマシだろ?」

「マシって。他に言いようがあるでしょ、威紀」

「どんな?」

「常識人とか、話が通じるとか」

「お前みたいなのが一番怪しいと思うれどなぁー」

「ひどっ」

「どう思うよ、和純」

「え」

 突然話を振られた和純ちゃんは、おろおろっと言葉を探してる。

「……みんな一様にやりづらい」

「ふはっ! お前もやりづらい仲間だってよ、告実!」

「シツレーちゃうなあ。こんなに人畜無害なのに」

「あんたはそれを装ってるところがあるから、やりづらい」

 ほ、と威紀が感心したように和純ちゃんを見る。

 装ってる。

 目も耳も良いなんて、面倒くさい客人だ。本当。

「外れてないぜぇ和純、絶唱帯付けられた頃のこいつは本当に荒れて仕方なかったからな。まあ四歳がどれだけ荒れてもなんの脅威でもなかったが、今同じことをしたら帯が外れて街はめちゃくちゃになるだろーな」

「絶唱帯?」

「首のチョーカーみたいなの」

「ふうん……」

 冷めたナンを熱いカレーに浸して、彼女は食べ進めながら新しい状況も咀嚼する。早くこの日々が終わってくれないかな、なんて思ってるのは僕だけだろう。彼女は苦手な部類の人間だ。威紀みたいに適度にほっといてくれる奴が一番いい。洗い物を終えて威紀の隣に座る。和純ちゃんとははす向かいだ。そんで、と威紀は肉をフォークで突き刺しながら和純ちゃんに向かう。

「ここ出てどうするつもりだったんだ? 噂になってるぜ、異世界から来た歌のすこぶるつきな奴がいるってのは。調律屋で歌った声は殆ど国全般に響いてたからな」

「そんなに!?」

「めずらしい歌は広がりやすいからなあ。腹式呼吸もちゃんとしてたし、お前ちゃんと音楽やってた奴だろ」

 ぐ、と黙る様子に図星を見て、僕は少し驚く。素人じゃないから、楽器たちのブーイングも解ったって事か。声楽か楽器かどっちだろう。どっちにしても僕にはまた、妬ましい情報が増えただけだけど。

「――声楽」

「はん」

「その所為で、髪切られた」

 今はもうベリーショートになっている髪の先を引っ張って、彼女は呟いた。

「何でまた」

「貧乏人のくせに生意気だって」

「びんぼー?」

 歌が価値を持つ世界の威紀には解らないだろうけれど、僕だって師匠から月に渡されるお小遣いがないと暮らしてはいけないから、その言葉は良く解った。節約して余らせておかなきゃいけないことも、無ければ何も出来ないことも。貨幣経済の悪い所だ、それは。無い人にはとことん縁がない。こっちでは、そうだな、めったに見ないけれど音痴な人はいるかな。それでも楽器や詩に生きる術を求める事は出来るから、貨幣経済ほど窮屈じゃない。僕だってどうにもならなくなったら表でフルートでも吹いていればいくらかの実入りになる。物々交換だ。パンをくれる人もいれば花をくれる人もいる。音色と引き換えに。それはこの音の世界の良い所だと思う。評価が解りやすい。和純ちゃんの歌みたいに。

「音痴って事」

「ああなるほど。でもお前音痴じゃないじゃん」

「音痴じゃなかった。だから合唱大会のソロ任された。そしたら髪切られた」

「嫉妬か! ガキだねぇそりゃ。ってあんたは何歳? 和純」

「十七……」

「なんだ私と同じじゃないか。ご同輩として恥ずかしくなるよ。ごめんな、和純」

「あなたが謝らなくても」

「あの声に羨望じゃなく嫉妬をする人間が居るって事が恥ずかしいんたよ。謝らせとくれ」

 大分困った顔になってる和純ちゃんと、頭を上げない威紀と、その光景に笑いをこらえる僕と。カレーは大分少なくなって、肉片が見えている。ナンも半分は食べた。それをもそもそ千切りながら口をふさぐ和純ちゃん。一足先に食べ終わった威紀は、よしっと頭を上げて和純ちゃんに笑い掛ける。意味の解らない和純ちゃんはきょとん、として威紀を見上げる。背は威紀の方が上だ。それでも僕の方がちょっと高いけど。男の子の矜持として言わせてもらうならば。

「私のあんたの歌で感動した一人だからね、ここはひとつ歌い返して五分としようじゃないか!」

「え、え、いや別にそんなことしなくても」

「私が、したいんだ。良いだろ? 告実」

「良いも何も、決めたらするんでしょ? 威紀は」

「まあそうだけどな! どれにすっかな、アカペラで歌えるとなると」

 うーむ悩んでいる威紀に、カレーを食べる手を止めて本当に良いから、と止める和純ちゃん。でもこれはすでに威紀の自己判断によるものだから、そんなものは無駄なのだ。

「異世界の歌は知らないから、これで勘弁してくれな」

 すぅっと息を吸って威紀のアルトは、飛び切り陽気なロックのナンバーを鳴らして見せた。

 僕が大好きな曲だった。

 僕が歌えなくなった曲だった。

「――っと。ご清聴ありがとうございます、ってか?」

 くひひっと笑った顔に悪意はない。威紀はいつも僕の好きな曲を歌って覚えて聞かせてくれる。難曲でも時間を掛けて。

 良い友達なんだろうなあと思う。

 その良さに何も返せない僕だけれど。

 和純ちゃんはほーっと溜息を吐いて、ぱちぱちと拍手を鳴らした。それからナンを半分にして、大きめの方を威紀に差し出す。イーヴンだから良いって、と言う威紀は、それでも悪くなさそうな顔をしていた。やっぱり女の子同士の方が打ち解けやすいのかな、なんて思いながら僕は威紀のトレーを下げて食器を水に漬け置く。そうすると和純ちゃんもハッとなって一生懸命食べだした。それからトレーを持って僕の方に下げて来る。ごちそうさまでした、とぺこり頭を下げて。と、小さな音が響いているのが聞こえた。

「自分達も歌わせろって、せがんでるみたい」

 楽器達の騒乱だろう。やっぱり彼女には解るんだな、と思って僕はクスリ笑う口元を抑える。和純ちゃんには気付かれなかったけど、威紀がきょとんとして、ああ、と呟いた。

「楽器職人に向いてるのか、和純は」

「というよりは楽器そのものに向いてるのかもね。威紀と同じで」

「同じ?」

 きょとん、とした様子で和純ちゃんは首を傾げる。

「そ。喉を鳴らして色んな音を出せる。私は三オクターブぐらい出るから、まあそれなりの楽器かな。和純は?」

「四オクターブ……」

「ほ。結構な才能じゃないか」

「でも器物扱いはされたくない」

「器物? 楽器が? あはは、面白いジョークだ。楽器が意思を持つ世界だぜ、ここは。人間って楽器があっても、何の不自然もない」

 くけけ、と笑った威紀に和純ちゃんは戸惑っているようだった。まあ異世界人はそこのとこ解らないだろうなあ。彼らは楽器を完全に『物』として扱うらしいから。でも人は『歌手』って言うらしいんだよなあ。音の出る物として並列に扱わないのは、向こうの楽器が自己主張せず使い手に完全に身体を任せているせいだろうか。その中で唯一意思を持って奏でるのが『人』だけだとしたら。

 ――随分傲慢な世界も、あったもんだと思う。

 っと、いけないいけない。こんな考え方をしては。またスピカリアに喉のロックの強度を上げられてしまう。穏便穏便。日和見に徹するのが、僕の生きていられる理由。さてと、音工房の方に行って皆を鎮まらせなきゃな。また和純ちゃんに『うるさい』って言われるのも嫌だし。

「お? 工房で仕事か、告実」

「うん、ちょっと興奮してるみたいだからね。それを沈めるのに一曲歌わせてくるよ」

「あの」

 和純ちゃんが言う。

「私も、見てみたい。それ」

「ただ楽器達に演奏させるだけだよ?」

「それが私には、珍しい」

 くけけっと威紀が笑う。

「私も参加したいな。久し振りに他人の楽器と戯れるのも重畳だ」

「そう言えばあの楽器って、ここのものじゃないのよね。どこから来てるの?」

「街の人が契約してる楽器さ。奏でる代わりに称賛を。だから調子が悪くなったらここに来る。ここは楽器の医者みたいなものなのさ」

「……医者が患者使って鳴らして良いの?」

「そこはそれ、歌えない方がストレスになる楽器もいるからね。だから自由参加なんだ。ちなみに僕はフルートが吹けます。大人しい子だから人間に使われてくれる。自堕落だったりするから格安で契約する楽器も多いよ。勝手に弾け、って感じで」

 くすっと。

 彼女が笑う。

「面白い」

 本当に面白そうに笑うから、僕も楽しくなってしまう。それが声に出ないように気を付けながら、僕と和純ちゃんと威紀は工房の方に向かった。

 夜のオーケストラは、飛び切り豪華だった。

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