第4話
※
「その、ごめん」
「え? 何が、和純ちゃん」
「私の事で楽器が怒ってる感じだったから」
師匠とスピカリアがまだ図書館から帰って来ない時間、手作業で料理――バターチキンカレーだ、ナンが好きだから――をしている所でそう言われ、僕は驚く。彼女の聴覚に。聴力に。
「楽器の考えてる事が解るの、和純ちゃん」
「そうじゃないけど、なんとなく鳴り方がブーイングみたいだったから」
「当たってるよ、僕はブーイングを受けていたんだ。でもなんの修行もしてない人には雑音にしか聞こえないはずなのに、それが解ったって、十分にすごい事だよ。『翁』が君をこっちに連れて来た理由、案外そこかもしれない」
「大したことじゃ、」
「人の五年を大したことないなんて言わないで。僕だって楽器の心が解るまでそのぐらい掛かってるんだよ。君には天性の才能があるのかもしれない。歌もすごく綺麗だったし」
言うと思い出したのか和純ちゃんは嫌そうな顔をする。英語だろうがそれが歌なら何でもわかる、という事は秘密にしておこう、まだ。それにしてもあのソプラノは綺麗だったなあ。もしかして『翁』、楽器として彼女をここに置いて行ったのかもしれない。その声が失われる前に。
「髪と一緒に過去も捨てちゃいたいかもしれないけれどさ。君、君が属する組織でいじめを受けていたでしょう」
「っ」
「おそらく君はストレスで失声症寸前か、喉に刃物を当てられていた。だからその声が失われる前に、こっちの世界へ連れてこられたんだと思う」
「なにそれ」
「和純ちゃん?」
「私の声が欲しかっただけかよ、だったら喉でも何でももぎ取って行けよ! こんな訳の分からない世界に吹っ飛ばされてこっちは迷惑してるんだ! なのに声なんかで――」
「声なんか?」
「あ」
和純ちゃんは口元を押さえる。
「その声なんかで人生潰されてんだよこっちは」
低い声が出る。しゃらんと鍵が鳴る。しゃらんしゃらん。
「そう、声は大事なファクターだよ、和純君」
師匠の声にはッとなって、僕は口を抑える。スピカリアが歌って、鍵の強度を少し上げたようだった。師匠にかけてもらったロックもスピカリアに強度補正してもらわないと僕にはこんなにも脆い。僕みたいな奴が姿をくらましたら、きっと国中が大騒ぎになるだろう。それこそ懸賞金なんてアナクロなものが付くかもしれない。
「少なくともこの世界ではそうだ。美容室での君の声はとても綺麗に響いていたよ。おっと、もう調律屋と言った方が解りやすいかな? 城の図書館まで響いていたから、王もご機嫌に眠っていてね。今のが彼女の声ですよ、と教えたらすぐに引き取りたがったが、もう少しこっちにいてもらう事で話は付いた。実際それで良かったんだろう? 告実」
「……はい。彼女は楽器の才能があるかもしれないから」
「人を物みたいにっ」
「人は歩く楽器だよ、和純君」
肩を竦めて師匠が息を吐く。
「実際君は調律屋でそれを行ったんだ。貨幣経済でない道を選んだ。君のしたことは街角の歌職人見習い達がしている事と同じさ。自分の歌に価値を付ける。付加する。そして音は声となり楽器になる」
「うるさい。そんな馬鹿みたいな理屈知らない。知りたくもないっ!」
言ってバタバタと靴を鳴らし、また彼女は客間に閉じこもる。
「カレーどうしよう……ナンも……」
「おや、無理に引きずり出さないのは優しさかな? 告実」
「嫉妬ですよ」
あんな音が出せるのにこんな些細なことで刺々しい声になる。その差を許されている。
僕にはそれが、妬ましいだけだ。
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