第3話

「キョージュ! 告実! これお前らんとこのかあ?」

 昼になろうとしている時間帯、僕はコントラバスの調整をしていた手を止め母屋のドアを開ける。そうすると腕を掴まれていたのは和純ちゃんで、掴んでいるのは幼馴染の芳好威紀ほうずき・いのりだった。彼女は夜人で、本当ならこの時間は家でぐっすりなんだけど、眼に隈を作って和純ちゃんの腕を掴んでる。取り敢えず痛そうなので手を外させると、ありがと、っとボソッとした声で言われる。絶対高く声を上げた方がきれいなのに、勿体ないなーなんて思いながら僕は威紀から和純ちゃんを受け取り、何かしたの、と問う。

「何もしてねーから不審だったんだよ。夜族の街で音楽を聴かないでフラフラしてたらそっちの方が怪しいだろ」

 夜族は文字通り夜に活動する一派だ。奏でる音は闇をも吹き飛ばす轟音が多い。確かにそんな所を一人ぽつんと歩いていたら怪しいことこの上ないだろうけれど、威紀がそれを捕獲してくれたのは行幸だった。一応王に任されている客人な訳だから、やばい音に当てられたら不味い。ぶすっとした顔にも隈が出来ていて、彼女が夜っぴて威紀の尋問を受けていたことが解る。そしてとうとう吐いたのが一応の住まいである僕らの所だったことも。しゃらんっと鍵を鳴らして首を傾げると、和純ちゃんが不快そうな顔をした。鍵の音が嫌いなんだろう。僕だってそりゃあ、好きじゃない。

「でも保護してくれたのが威紀で助かったよ、この子、『翁』が連れて来た異世界の子だからね」

「その変な髪も異世界の流行りか? アシンメトリーっての? それにしちゃ豪快――っと」

 和純ちゃんの平手を僕が掴む。確かに胸の下まであるおさげが片方バッサリって言うのは豪快だけど、ファッションでこんな面倒なことはしないだろう。威紀はちょっとずれているけれど、特に気にした様子もなかった。むしろ興味を惹かれたようで、へぇん、と笑う。

「威勢の良いガキは好きだぜ。っと、ろくに挨拶してなかったな。あたしは芳好威紀ってんだ。あんたは?」

「……斎遠和純」

「今日はもう眠いから帰るけどよ、そのうち一杯やろうや。あんたが『翁』に選ばれた理由も含めてな」

 けらけら笑いながら威紀は去って行く。とりあえず僕は。

「お昼ごはんにしよっか」

 彼女を誘った。

 返事は彼女のお腹が音を立ててしてくれた。


 キョージュと呼ばれても出て来なかったトライベル師匠は、あいかわらずふわふわと浮かびながら自室で眠っているようだった。徹夜で論文でも書いてたんだろう、スーツの上着、その端っこを掴んで風船のように食卓に連れて行くと、スピカリアが和純ちゃんに何か話しかけているようだった。

「ねえねえあなた、音は好き?」

「雑音は嫌い」

「音楽なら好き?」

「嫌いじゃない」

「ねえ、知ってる歌を歌ってみてくれない?」

「ない」

「ないはずないじゃない。いじわる?」

「最近の歌は知らない」

「昔の歌で何が悪いの?」

「、」

「ねえ歌ってみて? それがもしかしたら、『翁』があなたをここに連れてきた理由かもしれないわ」

 スピカリアの質問攻撃に耐えられる人間を、僕は師匠ぐらいしか知らない。ちょっと隠れてそのやり取りを見ていると、観念したらしい和純ちゃんがららら、で歌い出した。

 異世界の音楽だけあって、音の飛び方が面白い。単調な旋律の恐らくはわらべ歌だろうそれは、それでも気持ち良く響いた。ん、と師匠が目を覚ます気配に、しぃ、と指を立てたけれど――なったのは僕の、鍵の方で。

 しゃらんと言う音に音楽が止まってしまう。そして出て来るのは冷たい言葉だ。告実。

「告実ちゃん! 教授! タダ聞きはだめ! えっち!」

「え、えっち?」

 和純ちゃんが戸惑う声。

「歌にはその人の何もかもが込められるのよ! だからタダ聞きは絶対やっちゃいけないことなんだから! 今のはららら、だからそんなに情報は込められていなかったけれど、ちゃんと歌ったら全部解られちゃうのよ! 和純ちゃんも気を付けてね! 男の子ってデリカシーないんだから!」

 ぷんすかしているスピカリアの方に呆気にとられながら、とりあえず僕は師匠と一緒にダイニングキッチンに入る。久し振りに四人埋まったダイニングテーブルで、スピカリアが歌い出す。パンケーキの歌だ。きょと、とした和純ちゃんは、キッチンの方で調理器具が勝手に動き出すのに驚いた様子だった。ま、普通は驚くんだろう。異世界では音と器具は連動しないって言うし。自分の手でやらなきゃならないなんて面倒だよな、と僕は思う。師匠がスピカリアと出掛けている時は特に。歌職人は便利だからな。

 ……僕もなりたかったな。せめて詩職人にでも。でもこの喉は施錠されいる。歌えない。ららら、すらも。

 諦めたはずだったんだけど、和純ちゃんがあんなに怒ってくれるとは思わなかったよなあ……。威紀ですら悔しそうに唇を噛み締めてるだけだったんだから。でも威紀は代わりに僕が好きそうな歌を歌ってくれるようになったから、それもそれで良かったのかな。嬉しかったのかな。自分の感情はいつも曖昧。言葉に出せないから。せめて本音を言えたらと思うけれど、そんなことしたら国が崩壊するかもしれないと思うと、それはやっぱりできなかった。まあ良いさ。日常会話ができるなら。他国では本当、喉を潰して奴隷身分に落とされるとか言うし。僕はこのシコートに生まれてよかったんだと思う。

 問題はそのシコートに落とされた和純ちゃんの方で。

 パンケーキが並ぶとはちみつとメイプルシロップが飛んでくる。ご自由に、と言う奴だ。ちょっと悩んでから、和純ちゃんはメイプルを取る。そっちの方が残量が多かったからだろう。使われないと思ったからだろう。夜中に大脱走してくれた割りには、謙虚な子だった。否、人の顔色を窺っている? ちらちら見ながら、僕と師匠はメイプルを。スピカリアははちみつをたーっぷり掛けて、いただきますだ。スピカリアは小さく切り分けた――もちろん歌で――パンケーキにはぐーっと噛み付く。僕達はナイフで切り分けたそれをひたひたのシロップに漬けて食べる。和純ちゃんはちょっと戸惑った風だったけれど、僕達を真似るようにそれを口に運んだ。

 そしてちょっとだけ笑う。

「美味しい。スピカリア、ありがとう」

「ありがとう! ありがとうって言ってくれてありがとう!」

 ぱあっと笑ったスピカリアの笑顔に顔を赤くして、和純ちゃんはちょっと笑う。

「さあ昼食が終わったら、和純君は髪を切りに行こうか。それとも伸ばしに行くかい?」

「伸ばす?」

「そう言う音職人もいる。まあ君達の世界で言う所の、魔法の国なのさ。ここは」

「魔法なら、」

 何かを言い掛けて、彼女はそれを止める。

「……ごちそううさまでした」

 お皿をキッチンに下げて、彼女は部屋に下がって行った。


 何を言い掛けたのだろう。

 ららら、から感じ取れたのは、ハサミのイメージだった。

 自分に向けられるそれ。引っ張られるおさげ髪。眼を閉じて、開けると無残に髪が切り離されている。そのハサミの中に『翁』はいた。それがきっかけで、彼女はここに来た。だとしたらどうしてあそこまで頑ななんだろう。もう何も、恐れる物はないのに。それとも彼女にはここでも恐れるものがあるのだろうか。何か怖いものが、あると言うのだろうか。

 考え込んでいると、スピカリアがどーしたの、と覗き込んでくる。

 何でもないよ、と、僕はちょっと苦手な友人に苦笑いをして見せた。


 元々小さな頃は音職人志望だった僕にとって、スピカリアは憧れの存在だったと言っても良い。だけど三歳の時、僕の首は施錠されてしまった。ならせめて詩職人になろうと師匠に師事したは五歳の頃だ。四歳の頃は泣いても喚いても外れないそれに癇癪を起してばかりだったと思う。それを諦めたのが五歳というと、僕の人生は挫折から始まっていると言っても良い。それでも応援してくれる威紀や的確なアドバイスをくれる師匠のお陰で、何とかやって来てはいる。

 トロンボーンの調整に入っていると、ドアから視線を感じた。振り向くと和純ちゃんが立っていた。その髪が綺麗に洗われて梳かされているのを見ると、やっぱりその左右非対称性が痛ましかった。あそこまで伸ばすには十年はかかるだろう。それを無残に切り取るのは、悪意の嘲笑いをこめた同じ服の同僚たち。彼女は多分阻害されていた。排除されていた。それはなんとなく、解る。

「その」

「うん?」

「髪を切りに行きたい」

 要望を伝えてくれるようになっただけ、少しは距離が近付いたのだろうか。思いながら僕は良いよ行こうかと立ち上がった。

「それは良いの」

「調整だけだからね、ちょっとで平気。髪は、短くするの? どのくらい?」

「もうショートカットにしちゃおうかなって」

「思い切るなあ。肩口まででも平気だよ、この長さなら」

 さらっと短い方を撫でてみると、ぱしっと手を払われた。

「うるさい。私が良いから良いんだ」

「うるさいうるさいって」

 流石に立て続けに言われるとこっちも気分の良くないもので。

「何様のつもり?」

 ちょっと出た低い声に和純ちゃんがビクッとなる。僕は慌てて作り笑いをして、その手を取った。

「それじゃあ行こうか、調律屋さん」

「ちょうりつ?」

「そう。髪はそこて短くしたり、長くしたり出来るんだよ」


 夜しか知らない街を昼間に見るのは珍しいんだろう。色んな訳の分からない看板やうるさい楽器達、路傍の放浪の歌職人見習い。その中から僕は、自分も世話になっている調律屋を探し出す。和純ちゃんはそんな僕のシャツの端っこを離さないようにギュっとしていた。確かに大通りで見失ったら困るものな。目抜き通りのちょうど真ん中にある店は、ドアを開けるとカランコロンとドアベルが鳴る。それからヘッドホンを付けて並んでいる椅子に座っているお客さんの列。ぎょっとした様子の和純ちゃんは、一歩後に引いて、それからそれでも踏ん張った。未知の物にも動じない。偉い偉い。

「あら告実くん、もうそんな頃だったかしら?」

「今日は僕じゃなくて、彼女を調律してほしいんです」

 背中を優しく押して店内に完全に入り込んでもらうと、ドアも閉じる。カランコロン。まあ、っとマダムは驚いた顔を見せる。

「ひどい……なんて切られ方! あなたこれ無理やりにされたでしょう、なんてむごいのかしら!」

「同情は別にいりません」

 突っぱねた言い方をする和純ちゃんの髪に手を入れて、マダムは自分の蝶々型の飾り櫛を通す。それから一本抜け髪を取って、紙質を見極めているようだった。それを装置のフラスコに突っ込んで、それで、と言う。

「長く戻すの? それとも短くしちゃう?」

「短く――思い切り短くして下さい」

「ベリーショートがご希望ね、解ったわ」

 椅子型の機械に座らされた和純ちゃんは、心配そうに僕を見るけれど、僕は大丈夫、と口の動きだけで伝える。

「えーと、ベリーショートのレコードはこれね」

 レコードプレイヤーの蓋を閉じて、ヘッドホンを付けさせる。マダムは声の良い人だったから、こうして今昔の曲で客の髪型の要望に応えるのだ。時々は即興で歌って整えたりもする。僕も十年は通っているけれど――師匠の勧めで――師匠がヘッドホン付けてるところは見た事ないなあ。まあ宇宙人だし、ガス星雲みたいな頭だから、ヘッドホンが掛からないだけかもしれないけれど。

 ヘッドホンに居心地悪そうにしていた和純ちゃんは、それでもマダムの歌に安心したらしい。ほ、としてすうすうと眠り始めた。そう言えば昨日から一睡もしてないな、彼女。目の隈が濃い。元々夜人の威紀よりずっとだ。でもこれはもっと恒常的な寝不足に由来すような気も――

「はい出来た」

 よだれを垂らしていた和純ちゃんはそれを拭って身体を起こす。マダムはこれでどうかしら、と鏡を出した。後ろ髪がさっぱりとなくなっているのはスポーティだけど、やっぱりあのおさげも勿体なかったよなあと思う。

「こんな感じだけど、どうかしら」

「さりさりする……丁度良いです、ありがとうございます」

「それじゃあお代は歌三分ね」

「へっ?」

 きょとんッとした和純ちゃんに、僕は告げる。

「僕みたいなのでない限り、貨幣経済は発達してないんだよ、ここ。歌で何でも賄われる。食事も見たでしょう?」

「だ、からって……こんな騙すようなことッ」

「ららら、でも良いわよ」

「いいえ歌います、英語版のグリーンスリーブスで」


 彼女のソプラノに合ったそれは。

 驚くほど綺麗で。

 惚れてしまいそうだった。


 他のお客さんからもぱちぱちと拍手をもらって、マダムにもありがとうと言われて、和純ちゃんはちょっと照れたようにした。それから僕の背中を押して、ぺこんっと頭を下げ、調律屋を後にした。

「ちなみに同じ歌は二度と使えないから」

「次は日本語版歌ってやるわよッ」

 真っ赤な顔で工房の方に帰る僕らは、傍から見ると何に見えるんだろうなあ。

 しゃらんっと鍵を鳴らすと、また少し機嫌の悪くなったのが解って、でも触れるだけで爆発するよーなものだとは言えず、僕は工房に入った。

 待ち焦がれていた楽器たちが一斉にブーイングを鳴らしたのには、ちょっと困った。

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