第11話


 息を切らせて学園に走りつく。既に表門には五台のバイクが止まっていた。二人乗りをしていれば、人数はこの倍はいるだろう。

 瀬奈は逃げられただろうか。晶は学園に飛び込んだ。万に一つ瀬奈が逃げられていないなら何が何でも助ける。もし瀬奈が既に逃げ切っていて晶の取り越し苦労になってもそれはそれでよしだ。


 「あいつらは俺と瀬奈の名前、それに学園の名前を知っていた。となれば、所属するクラスや教室の場所を知っていたとしても、別に不思議じゃねえ……!」


 おそらく、シドウがこぼしていた「妹」が情報源なのだろう。俺と瀬奈に恨みを持つ誰かが兄のシドウに泣きついてけしかけてきた。おおよそはそんな流れのはず。

 急いで階段に向かう。いざ駆け上がろうとしたところで、晶の視界にうすぼんやりと光る何かが映った。


 「瀬奈のスマホ……!!」


 見覚えのあるカラーと見覚えのあるストラップのそれは、間違いなく瀬奈のスマホだった。落としたのはよほど慌てて逃げたせいなのか、それとも助けを呼ぼうとしたところでシドウの一団に捕まってしまったのか。


 「瀬奈!!」


 たまらずに叫んで晶は三階まで一気に駆け上がった。まっすぐに二年B組の教室へ。

 どうか安全でいて欲しい。瀬奈に無事でいて欲しい。だが廊下に差し掛かったその時、晶の耳に飛び込んできた悲鳴によってその希望は打ち砕かれた。


 「きゃあ!!」

 「やりすぎるなよ。そいつは連れて行く」


 瀬奈の悲鳴。コンビニの駐車場で聞いたシドウの声。晶の脳がカッと熱くなり、雄たけびを上げながら晶は一団の中に殴り込んだ。


 「アアアアッ!!」

 「なんだ!」

 「こ、こいつ! 竜胆晶!」


 幸運にも不意打ちの一撃がうまく決まり、二人ほど吹き飛ぶ。だが集団は十人以上。晶の持つドラゴンの眼によるプレッシャーによってそのほとんどが怯み、取り囲まれた晶がすぐに反撃にあうという事はない。


 「り、竜胆君」

 「鵜飼! おいしっかりしろ! 大丈夫か!?」

 「平気……だよ。それより竜胆、君……逃げて……」


 瀬奈の身体に特に目立つような外傷はない。しかし瀬奈の身体にはぐったりと力がなく、視線も晶の方に合わせるので精いっぱいな様子だ。意識がもうろうとするほど殴られたのだと気が付いて晶は憤慨した。


 「テメェら……よくも……!!」


 激怒した晶が視線を向けると、それだけで襲撃した男たちはしりもちをついておののく程の恐怖に襲われた。壁に寄りかかってどうにか体制を保っている者がいれば、体を支えることが出来ず完全に倒れ込んだ者もいる。

 だがたった一人、全く動じないでいる男が一人いる。晶が飛び込んできた時ですら顔色一つ崩さないで、冷徹なまま事の次第を見ていた男。シドウだ。


 「お前が竜胆晶か」


 改めてみると、シドウという男は苛立つ獣のような男だった。服を着ていてもわかるほど鍛えられた体に、あくまで自然体な態度。ある程度ケンカを繰り返してきた晶には、それがシドウにとって体の稼働領域が広いことを意味する事がよく理解できる。

だが、晶が警戒したのはサングラスをかけた晶のドラゴンの眼に勝るとも劣らない眼光。人の視線を浴び続けてきた晶だからこそ、目の前のシドウは今まで晶に因縁をつけてきたチンピラとは次元が違う事を否応にもわかってしまう。


 「そうだ。お前は……シドウだな?」


 そこでわずかに、だが初めてシドウが反応を示した。わずかに目を開き、ほんの少しの驚きが確かに見える。


 「その通りだ」

 「俺と鵜飼に何の恨みがある? お前の妹となんて、俺も鵜飼も面識はない」

 「いやある。じゃなければ、どうして俺の妹が『竜胆晶と鵜飼瀬奈に大恥をかかされた』って俺に泣きついてくる?」

 「知るかよ。とにかく、何かの間違いだ。もうこれ以上何もせずに帰ってくれ」


 晶の声は震えていた。しかしそれはシドウへの恐怖からではない。間に合わなかった自分へのふがいなさ。瀬奈に手を挙げて傷つけたシドウへの怒り。それらの激しい感情がシドウへの恐怖を上書きしていた。


 「何もせず、か。そういうわけにもいかないな」

 「どうして!」

 「さっきも言っただろう? 俺の妹がお前たちに大恥をかかされたからだ。それに、お前があの噂の竜胆晶だっていうのなら、なおさら見逃せねえな」

 「噂?」

 「ああ。竜胆晶……お前、自分が有名だと知らないのか?」

 「俺が?」


 ああそうだ。そうシドウは言いながらゆっくりと晶に接近する。それに合わせるように、シドウの取り巻きたちが狭い廊下を封鎖するように移動し、あっという間に晶と瀬奈の退路を潰した。


 「自覚がないのか? 『路地裏でたむろしているような連中に半田町最強は誰だ?』と聞けば、まず間違いなく上がるのがお前の名前だ。何人相手でも返り討ち……足がすくむ間に殴り倒される……。あくまで噂だが……睨むだけでウサギだか犬だかを殺したって話もある」

 「……噂に尾ひれがついているだけだ」

 「だが、お前の実力は本物のはずだ。現に、俺たち蛮手盗の構成員にもお前にやられたってやつが多くいる……オイ健司! 確かそうだってな!?」

 「は、はい! 俺ら座ってただけなのに、そいつが急に来て襲い掛かってきたんです!」

 「でたらめを言うな! あの時はお前たちの方から――」

 「そんなことはどうでもいい」


 言い争いになりかけた晶と健司を静かな、しかし太く強い一声でシドウが制する。それだけで、健司は勿論、晶でさえその圧倒的な気迫に飲まれて口が開かなくなった。


 「竜胆晶。半田町最強の男……。お前を倒せば、名実ともに蛮手盗が頂点だ。もうこの町で誰も俺たちを侮らない。誰も俺たちに手出しをできない。俺が欲しいのはな。半田町最強の称号なんだよ」

 「何のために……」

 「そんなことお前が知ってどうなる。さあ、構えろ」

 「鵜飼だけでも見逃してくれないか」

 「馬鹿野郎。もともとどうして俺たちが来たのか忘れたのか?」


 シドウが拳を構えた。もはや逃げ場はなく、瀬奈を守るために否応なく晶も両こぶしを握り締める。ここから二人とも生きて切り抜けるにはシドウを倒すしかない。シドウさえ倒すことが出来れば、どれだけ負傷していても他の連中は全員ドラゴンの眼で押しのけることが出来る。


 「行くぞ!」


 先手必勝。ただでさえシドウとは実力が開き過ぎていると自覚した晶は攻めの一手に打って出る事にした。それに、一刻も早く瀬奈を安全な場所へと退避させなくてはならない。周囲を固める取り巻きたちが妙な動きを見せる前に決着をつけたかった。

 力を込めて大降りに振りかぶる。急襲がうまく成功したおかげか、シドウは構えたまま動く様子がない。


 (もらった!)


 これを反応が追い付いていないと見た晶がしっかりとシドウの顔面に狙いをつける。そのまま打ち抜こうと鉄拳を突き出した……その時だった。


 パンッ


 (……は?)


 乾いた破裂音のような音が鳴る。声が上がらず、思考の中で晶は呆然と視界が傾いていくのを感じ、そのまま仰向けに倒れるとひしゃげた鼻からは鼻血があふれ出していた。


 「……あ?」


 疑問の声を上げたのはシドウも同じだった。弱い。半田町最強の名前をほしいままにしていた男にしては、肩透かしや拍子抜けなどという言葉では到底足りない程弱い。てっきり激しい戦闘になることを予想していたシドウにとっては逆に困惑する事態だ。


 「あ……ぐぅ……」


 晶がうめき声をあげて這いつくばる。少し時間がたった後で、やっと晶は自分が殴り倒されたのだと理解できた。


 (ドラゴンの眼が効いていない時点で強いことはわかっていた……でも、これほどだなんて……!!)

 「オイ健司……本当にこいつがあの竜胆晶なのか?」

 「え? ええハイ」

 「弱すぎるぞ。もしお前の言う通りだったとして……お前、こんなザコに負けたのか?」

 「で、でもシドウさん! こいつ、なんか妙なんですよ。目をつけられているだけで、まるでシドウさんに睨まれているみたいなヤバさが――」

 「お前、俺がこんなのと同じだって言いたいのか? もういい。あてにならん」


 まだ立ち上がれない晶が顔を上げると、そこにはもう既にシドウが迫っていた。無言のまま、シドウが晶のあごめがけて蹴り飛ばす。腕力もさることながら、脚力もまた凄まじい強烈な一撃に晶は声を上げる事もなく吹き飛び、その際に口の中のあちこちを切って血が流れた。


 「竜胆君!」

 「てめえ大人しくしろ!」

 「いや! 離して!」

 「やめろ……鵜飼に、触るな……!!」


 悲鳴を上げて駆け寄ろうとした瀬奈を取り巻きたちが寄ってたかって取り押さえた。霞む視界の中で晶がうめき声をあげるが、彼自身も顔を殴られたダメージと蹴り飛ばされたダメージが合わさってすぐには立ち上がれない。

 体に鞭を打ち、やっとの思いで立ち上がる。しかし、顔を上げればすぐそこにもう指導の姿が迫っていた。


 「ギャッ!!」


 無言のまま、容赦なく拳が振るわれる。一発だけではない。稲妻のような速さで合計五発も撃ち込まれた晶はあおむけに倒れそのまま嘔吐した。


 「しかしまあ、見掛け倒しもいいところだな。デカいガタイにサングラス。見た目だけなら俺らと同じ不良とみなされてもおかしくないが」


 プラプラと手をほぐしながらシドウが独り言ちる。決着はついた。もう拳を握りしめる必要すらないとみてストレッチに入っているのだ。しかし、もはや晶のことを取るに足らない相手だとみなしたシドウだったが一つ腑に落ちないことがあった。


 「オイ、お前何しに来た? まさかその程度の強さでこの人数を相手に勝てると本気で思ったのか?」

 「ぐ……」


 前髪を掴まれて無理やり持ち上げられた晶は、うめき声をあげながらも芽を開いてシドウの顔を見据えていた。そして、シドウの問いに対して晶はかすれた声で、しかし力強く答えた。


 「そんなの、鵜飼を助けるために決まってるだろ……!」

 「あの女を? 彼女なのか?」

 「違う。でも、大事な友達だ。こんな俺と、一時だけでも一緒に仕事をしてくれた。初めてだったんだ。たった二週間だけだったとしても、誰かとあんなに長く一緒にいて、話して、一緒に何かをするのは……!」

 「竜胆君……」


そう、それこそが、晶がこの窮地に飛び込む理由であった。すべては、初めてできた友達のために。相手がそうだと認めてくれなくても、今の晶には大した問題ではない。

重要なのは、瀬奈が晶を友達だと思ったことではなく、晶が瀬奈を友達だと思ったことだ。それは、今までドラゴンの目に邪魔されて友達など作れやしないと思い込んでいた晶が変われたという、何よりの証明なのだから。

体に力はなくとも、いまだ闘志は萎えていないかのようにその眼には力が宿っている。それをサングラス越しに見透かしたシドウは、考えを改めると晶に膝蹴りを叩き込んだ。晶がまだ立ち上がってくるかもしれないと警戒して、とどめを刺すことにしたのだ。


「ぐふっ……」

「よし。おい、女を連れていけ。警察が来る前に引き上げるぞ」

「わかりました」

「いやっ! 竜胆君!!」


 瀬奈の悲痛な叫びが廊下に響く、しかし晶は床に臥せったまま、ぼんやりとした目でそれを見送るしかなかった……かに見えた。


 (……使おう)


 しかし、そうはならない。晶はもう一度死力を尽くして立ち上がると、サングラスに手をかけた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

殻を破って 提灯行灯 @ramubis

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ