第9話
「ありあっしたー」
バイトの適当な挨拶を背にコンビニを出る。外はもう寒く、吐く息が白く霧散した。
「遅くなったな……火代子のやつ、家を焼いてなきゃいいんだが」
今のところ消防車のサイレンは聞こえない。家が燃えおちる前に早く帰ろうとした晶の眼に、ふとあるものが映った。
派手な髪形と服装。運転しているだけで鼓膜をたたき破られそうな爆音を轟かせるバイクに乗った集団が道路を我が物顔で走っている。
数は五。だがその顔ぶれの一つに、晶は見覚えがあった。
「あいつ、この間の……」
そう。名前は確か壮太と言っただろうか。夜目の利く晶には暗い中でもその顔がはっきりと見えた。壮太を含む蛮手盗の一団はコンビニに立ち寄るつもりらしく、晶がその存在に気が付いた時にはもう駐車場へと侵入していた。
二週間前にのしたことをまだ根に持っているかもしれない。そう因縁づけられたくない晶はとっさに近くに駐車していた運送トラックの陰に身を隠した。だが、それが甘かったという事を晶は思い知ることになる。
「壮太。お前コンビニでコーヒー買ってこい」
「ウス! シドウ先輩!」
隠れる場所を間違えたと晶は後悔した。これほど声が聞こえる範囲にいるならドラゴンの眼の威圧も届いてしまうはずだ。
しかし、危機感を募らせる晶に反して、一団は晶がいる事に気づく様子はない。慎重に、すぐにでも飛び出して逃げる準備をしながら晶が慎重に様子をうかがうう……つまり視線を向けるが、それでも彼らが気づく様子は全くなかった。
一団では、この間晶を威圧していた壮太が、今はシドウという男に顎で使われているようだった。それどころか、コンビニに一人で飲み物を買いに行かされているところを見る限り、壮太はあの集団の中では最も低いヒエラルキーにいるらしい。
もう少し何か詳しいことを知れないかと晶がトラックの車体から大きく身を乗り出した時だった。シドウの右隣にいるスキンヘッドの男がブルリと身を震わせた。
「シドウさん……なんか、寒気がしませんか? なにかヤベーやつに睨まれているような……」
気づかれた。晶の前身の血が凍り付く。マズイ。今すぐここを離れなければ。
ほとんど跳ね飛ぶように晶がトラックから飛びずさった時だった。
「あ? 気のせいだろ? じゃなきゃお前がハゲてるからだ」
「いやでも、なんか怖いっつーか――」
「お前、俺とその勘違いと、どっちが怖いんだ?」
シドウがすごんだ瞬間、スキンヘッドの男は更にブルブルと震えながらその寒気がただの勘違いであったことにした。シドウがふんと鼻を鳴らしてコンビニに視線を戻す。
スキンヘッドの男にはわかった殺気にシドウは気が付いていない。その事実から、晶はある恐ろしい予想にたどり着いた。
(あいつ……まさか、俺の眼の威圧が効いていないのか!? いや、あいつが恐ろしすぎて他のやつもちゃんと感じ取っていない!?)
あまりのことに晶は言葉を失った。自分の威圧が効かない相手。晶と会話をしていた瀬奈でさえ軽減しているように見えるだけだったのに対し、あのシドウは意に介してすらいない。周りの手下たちもドラゴンの眼によって引き起こされる寒気や威圧感を感じているらしいそぶりは見せるものの、全員がそれよりもシドウの機嫌を気にしている様子だ。
「ったくよぉ、今日はひどい渋滞だぜ。こうも車が多いと気持ちよくかっ飛ばすのもできやしねぇ」
「あのー……シドウ先輩。ホントにやるんスカ?」
「あ? ああ、やるぞ。じゃなきゃこんなひっでぇ日にわざわざ出てきたりしねぇよ……」
そこまでで言葉を切ると、シドウは刺し殺すかのような眼光で部下の一人をねめつける。ねめつけたのは一人だったが、その場に残っていた三人の部下たちは全員、晶の眼にもはっきりと分かるほど、シドウの機嫌を損ねたかもしれないことに対して青ざめていた。
「嫌なら帰っていいぞ」
「いえ、そういうわけじゃ……」
「じゃあ黙っとけよ」
低く、決して大きくはない声だが、身震いするような凄味がある。晶の威圧感はドラゴンの眼の力によるところが大きいものだが、シドウのそれは元々持っていた才能に加え、手下を、一つの集団を率いる経験に裏打ちされた、いわば本物の気配がする。晶も視線の威圧感ゆえ壮太のような手合いに絡まれることはよくあることだったが、シドウのようなタイプは初めてだった。
「で、でもいくら何でもアレはやばくないすか? いくら何でも……」
「だからお前らは帰っていいっつったろ」
「いえ、そんな……」
「好きにしろよ。ったく、それにしてもどこのどいつだ。ふざけやがって……」
シドウの周囲にいる連中は、どうも彼への忠義心というよりは媚びを売りたさ半分、恐れ半分でついている状態になっているように見える。そうして手下を率いているシドウ自身はというと、どうやら何者かに酷く苛立っているようだった。
「竜胆晶とか言ったか……? あの野郎、壮太だけじゃねえ。オレの妹まで……!」
全身から血の気が引いた瞬間、晶は怪しまれてもかまわないから逃げればよかったと後悔した。何なら今すぐ逃げたい。彼に恨みを買った覚えなどなく、まして妹など面識もないというのに。
「アレってなんだ? あいつら何をしようとしてるんだ……?」
シドウは何をしようとしているのだろうか。何となく不穏なものを感じ取った晶がもう少し顔を出して何を話しているのか聞こうとした時だった。
「シドウさん! コーヒーお持ちしました!!」
「――ッ!!」
反射的に、全力でトラックの下に隠れる。間一髪壮太に見つかることはなかったようだったが、晶は冷や汗を感じたまま身動きが取れなくなった。
「おう」
シドウが一息に缶コーヒーを飲み干す。190ミリリットルの熱い液体を流し込むとシドウの眼は鋭さを増した。
「行くぞ。半田学園だ。標的は鵜飼瀬奈と竜胆晶。相手が誰だろうが構わねえ、ぶちのめす」
晶の視界が灰色に染まる。今、彼はなんといった?
「待て!」
飛び出して叫んだ声はさらに大きく轟く爆音にかき消された。晶に気づく様子もなく、シドウたちはバイクを駆り走り去っていった。
「くそ……クソッ、クソッ!」
シドウの言葉が真実なら。晶の聞き間違いでないのだとしたら。あの人数で半田学園に押しかけたら瀬奈の身が危ないことは火を見るよりも明らかなことで晶は焦った。
「落ち着け……そうだ! 警察に――」
警察に連絡する。焦燥にあおられている割には冷静な思考が出来た晶はスマートフォンをポケットから取り出すと震える指で数字を押していく。
1、1、0。今ならまだ間に合う。早く警察に通報して、学園に先回りをしてもらえれば――
「まて、それじゃ、文化祭は――」
最後の段階に至ってようやく晶はそのことに気が付いた。暴走族の学園襲撃事件。それで警察が出動する騒ぎになれば、まず文化祭どころの騒ぎではなくなってしまうだろう。飯島の妨害からどうにか立ち直り、クラスメートたちをまとめ上げた瀬奈の努力も時間も全てが水の泡だ。
時刻はまだ夜の七時。守衛や教師といった大人がまだ学園にいる可能性もないわけではないが、彼らによって警察を呼ばれても明日の文化祭は中止になるだろう。
だが警察が呼ばれなければ? 「鵜飼をぶちのめす」というシドウの言葉が嘘でなければ、このままだと瀬奈の身が危険に晒されることになる。大人の教師が何人いようが日ごろからケンカ慣れしている暴走族相手では物の数にもならないだろう。
「そうだ! スマホで知らせれば……」
瀬奈に逃げるように指示すればいい。そうひらめくと同時に晶は瀬奈の電話番号にかけた。実行委員を共同で行うと決めた時に交換しておいてよかったと心の底から安堵する。
…………が、しかし。
「なんでだ……ッ、なんで出ないんだよ……!」
コール音はなり続けている。番号が間違っているわけでも、どちらかのスマホが電波の届かない場所にあるわけでもない。しかし、いくら待ってもむなしく電子音が鳴るばかりで瀬奈が電話に出る事はなかった。
ならばと電話の相手を変えて学校の事務室に連絡する。だが、こちらは受付時間をとうに過ぎているため留守番電話に接続されるだけで、晶は失意のうちに電話を切るしかなかった。
「どうする……どうすれば……」
もうあまり時間は残されていない。メールもSNSも送ったが、彼女がちゃんと見たのか。何より、メッセージに気づいたとしてもシドウたちがやってくる前に逃げることが出来るのか。いずれにせよ、瀬奈が確実に助かるという保証はどこにもない。
「俺が、行くしか……でも、行ったところで――」
行くなら今すぐに向かわなくてはいけない。だが、晶がシドウに勝てないのは火を見るよりも明らかだった。
元来、晶は喧嘩が強いわけではない。数多くの経験を経て慣れてこそいるが、結局のところそんなものは素人に毛が生えたようなもの。ドラゴンの眼の威圧感で相手がすくんでいるところを殴り、痛みと恐怖で退散させる。それが、晶の勝ち方だった。
だが、シドウにドラゴンの眼の威圧は決して通用しない。更に1対5という圧倒的不利。晶だけが殴られて終わりならまだいい方で、学園へ向かったところでなんの足止めにもなりはしないだろう。
殴られる恐怖。あんな数を相手に何かが出来るわけがない。立ち向かったところで痛い目を見るだけ。一度マイナスの方向へと傾いた思考は堰を切ったかのようにとめどなく溢れ、あっという間に晶の足はすくんで一歩も前へ進まなくなった……その時。
「あ……。鵜飼……っ、鵜飼!」
晶の太ももをスマホの音楽と振動が叩く。。晶のメッセージは瀬奈に届き、何事かと瀬奈が連絡してきたのだ。
「竜胆君? あの、ごめんね。すぐに着信に気づかなくて――」
「そんなのはいい! 早くそこから逃げろ!」
「え?」
知らないとはいえ、心配するこちらの気が抜けそうなほど呑気な瀬奈。晶は我知らず全力で駆けだしていた。一歩でも早く。一秒でも早く、瀬奈の下へ駆けつけるために。
「逃げろって言ってるんだ!」
「な、なんで? いったい何が――」
「いいから!」
「ひょっとして、怒ってるの? その、あのことは私が――」
「ああチクショウ! 暴走族が来てるんだ! 早く学校から出ろ!」
「暴走族……? あ」
電話の向こうで瀬奈が息を呑むのが分かった。ほとんど反射的に「どうした!」と晶は叫んでいた。
「バイク……なんだろ、五台は来てると思う」
「逃げろ鵜飼! あいつらの狙いはお前だ!」
「え? どうして――」
晶の眼に強力なフラッシュが飛び込んできた。目の前には乗用車。通話に夢中になるあまり、晶は車道へと飛び出していた。
「うわっ!!」
すんでのところで車を回避する。その拍子にツルリとスマホが晶の手をすり抜け、道路高い放物線を描くと車道へと落下した。
「しまった!」
慌てて取りに行こうとするが車が走る道路には入れない。やっと車が落ち着いたところで急いで取りに行った晶だったが、運悪くタイヤの下敷きとなりスマホは無残な鉄くずへと姿を変えていた。当然、電話ももう通じてはいない。
晶は電話をポケットにしまうとまた走り出した。喋ることに割いていた酸素を全て脚の筋肉へと巡回させる。不思議と足の筋肉の一筋一筋までもが手に取る様に意識され、うまく動かせているような気分になった。
(待ってろ、今すぐに行くぞ、鵜飼)
晶はやっと答えにたどり着いていた。彼が学園に向かう理由、それは自分が囮になればいいという後ろ向きなものでなければ、ましてとにかく向かおうというあやふやで不確かなものでもない。
いつの間にか晶は走っていた。それこそが答えだったのだ。結局のところ晶はシドウには勝てない。殴られるだけ殴られて、下手をすると殺されてしまうかもしれない。
(それでもいい)
瀬奈さえ助かれば。瀬奈が無事に逃げ切り、警察を頼って危ない目に合わずに済むのならそれでいい。それが晶の願いだ。自分を嫌わずに、一度は互いに信頼を置いて、一緒に頑張った相手が助かるのならば。晶にはそのこと以外の全てがどうでもいいことのように思えていた。
だから走る。幸い、車が通らないような裏道を抜ければ晶の居る場所から学園まではそれほどかからない。瀬奈の無事を祈り続けながら、晶は夜道を走り続けた。
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