第8話


 『晶の眼は綺麗だねえ』


 遊びに行くたびに、晶の祖母はそう言って晶の眼をほめた。家族以外は誰もが恐れるこのドラゴンの眼を、唯一ほめてくれたのが祖母だった。

 おばあちゃんはこの眼が怖くないの? そう聞いた晶に、祖母は笑って答えた。


 『怖くないよ。晶は優しい心の持ち主だって知っているからね。お父さんもお母さんも火代子も、みんなそうだって知っているから怖がらないんだよ。学校の子や先生にも優しくしておやり。何があってもめげずに続けていれば、晶にもきっと友達ができるよ』


 そんなの嘘だ。晶にはそれが分かっていた。みんな自分がどんなに親切にしても、助けてあげても怖がって逃げていく。誰も自分の側に居続けてはくれない。自分を理解してはくれない。無条件で自分を悪者にする。ドラゴンの眼のせいで。


 『それは甘えだよ。晶』


 そのことを正直に言ったとたん、祖母は厳しい顔を見せ、ぴしゃりと言い放った。


 『甘え?』

 『そうさ、甘えさ。晶は自分の悪いところをみんなその眼のせいにしている。みんなが逃げていくのはその眼のせいかもしれないが、他でもない晶自身がその眼の力に呑まれちゃいけない。そうなれば、自分がどんな人間だったか、どうしたいのかも忘れちまうよ』

 『だって本当だもん』

 『いいや。違うね。大体自分のことを分かってもらうなんてただでさえ難しいのに、晶自身が諦めたら本当に一人ぼっちに……』


 祖母はひとしきりいうと一つため息を吐いた。まただ。ここ最近、祖母は疲れたような顔を見せることが多くなった気がする。


 『おばあちゃん、大丈夫?』

 『平気さ。もう命を惜しむような年でもないしねぇ……ただ……』


 祖母はもう一度晶の眼を覗き込んだ。黄色く濁った中に切れ込みが入ったかのような黒目。誰がみても人間のそれではない異形の眼を、祖母はじっと見つめていた。


 『ただおばあちゃんはどうにも晶のことが心配なんだよ。晶はおばあちゃんよりも、いやおばあちゃんのおばあちゃんのおばあちゃんの――ずっと前のご先祖様までさかのぼって比べても負けないくらいに、強く濃くドラゴンの血を継いだからね』

 『おばあちゃんよりも?』


 祖母が頷く。祖母が心配そうな目をしていることに晶はわけもなく申し訳ない気持ちになった。自分のせいでなにか大好きな祖母を困らせてしまっただろうか。祖母にまで嫌われやしないだろうかという不安に駆られる。


 『忘れないでおくれ晶。たとえその眼があってもお前は普通の男の子なんだ。その眼の奴隷になっちゃいけない。その眼のせいで自分がどうしたいかを見失っちゃいけないよ、晶……』



 既に、日没が早い季節であった。外に出るとひんやりとした夜の空気が満ちており、沈みゆくオレンジ色の太陽が最後の光を投げかけている。恐らく家からコンビニまで往復しているあいだに完全な夜を迎えるだろう。

 そんな夕暮れと夜が切り替わろうとする中を晶は黙々とした思い足取りで進んでいた。いつも通りのサングラスをかけてゆっくり歩くその様はまるで不審者。職務質問責めを受けるだろうことは晶にも理解できているが、それでも今の足取りはまるで足枷をはめているかのように重たい。


 「――ああ、クソッ」


 更に、その心中は穏やかとは言えない状態だ。学校で瀬奈に庇われなかったこと。嫌われ者の自覚はあったはずなのに、そのことに大きくショックを受けた自分。妹にすら叱咤されるほど卑屈になっていた。

 火代子に祖母の教えを言われた時、晶は自分がうっかり水槽を覗き込んでメダカを殺してしまったときのことを思い出した。小学四年生の時のことだ。晶が飼育係であったので、メダカが全滅したのは全て晶のせいだという事にされてしまった。

 母親まで学校に呼び出され、弁解しようにもドラゴンの眼のことを話すわけにもいかない。結局全て晶が悪いことにされ、この時に晶の眼に対する忌避感は決定的なものになった。


 「何が力に呑まれるな、だ。何が等身大の人間だ」


 祖母の教え。しかし、結局のところ晶は言葉を覚えているだけで真実その意味を理解しているとはとても言い難い状態だった。晶自身も『普通の人間を装って生きていく』という自らの解釈にどことなく腑に落ちないものを抱えながら、それでも今日まで自分なりに頑張ってきたと思っている。

 それでももう晶は疲れた。あんなによくした瀬奈にさえ最後には切り捨てられた。その事実が、何よりも晶をひどく蝕んでいる。瀬奈に切り捨てられることさえなければ、晶もここまで憔悴することはなかっただろう。


 (鵜飼……)


 そこまで考えて晶は自分が瀬奈に対して強く執着していることに気が付いた。瀬奈が笑えば晶も楽しく、瀬奈が困っていれば晶も何とかしてやろうと思えた。始まりがただの親切やおせっかいだったとしても、その気持ちに嘘偽りはない。


 (あいつは……上手くやれているのか? 俺がいなくなってまた飯島たちに邪魔されてるんじゃないか? 俺が離れた時点でかなり完成していたから、いくら飯島でもあの状態をひっくり返すのは無理だ思うが……ってオイ、ちょっと待て)


 そこまで考えて晶は思考を止めた。気が付けば瀬奈のことばかりを考えている自分に虚しさを覚える。どんなに瀬奈の心配をしようが、当の瀬奈自身に切り捨てられた以上はもうなにもしてやれることなどないというのに。


 (あれ? コンビニはこっちだったか?)


 ふと気が付くと、晶は自分がコンビニとは全然違う方向へ歩いてしまっていることに気が付いた。どこかで道を間違えたのだろうか。しかし周囲の景色に晶は見覚えと、言いようのない不安感を抱いた。

 とにかくすぐに戻ろう。そう判断した晶が踵を返そうとしたところで、足元からカサカサという乾いた音が鳴った。生き物ではない、枯葉のような何かが晶の足元にまとわりついている。


 「これ……薄紙の花か?」


 手に取ったそれは赤い薄紙で出来た造花だった。卒業式や入学式などで入場ゲートを飾るものだ。それだけではない。お祭り……文化祭の装飾にも使える。

そのことに思い至った時、晶はある予感から周囲をできるだけ遠くまで見渡し、そしてそれを見つけた。

 薄紙の花で装飾された校門。奥にはたたまれたテント。校庭は翌朝の開店を待ちわびる出店で静まり返っている。間違いなくそこは、文化祭を翌日に控えた半田学園だった。


 「なんで……いつの間にこっちに来たんだ?」


 晶は困惑した。実のところ晶の家と学園はそれほど離れてはいない。駅前のバスを使う方が楽だというだけで、晶の自宅から徒歩で学園まで行くことそれ自体はなんら無理なことではなかった。問題なのは、いつの間に晶は学園の方へと歩いていたのかということである。

 急いできた道を引き返そうとした晶だったが、ふと校舎の中に一つだけ明かりのついた窓が目に留まった。


 「あれは……まだだれかいる。いったい誰が……」


 しばらく見つめて、晶はそこが二年B組の教室であることに気づく。更に、窓際には誰かが経っているらしい人影が見えた。もう文化祭は明日だというのに、いったい誰が作業をしているのだろうか。


 「鵜飼……」


 真っ先に思い浮かんだのは瀬奈の顔だった。半ば押し付けられる形だったとはいえ、誰よりも一生懸命な彼女ならば、文化祭前夜であっても最後の調整やチェックのために居残っている可能性はあるだろう。

 ……それが晶になにか関係あるのかという問いに、晶は答える事が出来ないが。


 「引き返さないと――」

 「竜胆君!?」


 遅かった。窓に映っていた人影が竜胆に呼びかける。思わず振り返ってしまったところで晶はそうしたことを後悔した。窓から身を乗り出した瀬奈が、晶の姿を認めて目を見開いていたからだ。


 「ちょ、ちょっと待ってて! すぐに行くから!」

 「い、いや待て――」


 晶が止める声もむなしく瀬奈が姿を消す。どうしたらいいのか。別に瀬奈と会うつもりなどなかったのに。

 だが悩む暇もなく瀬奈は校門までやってくるだろう。そうして……そうして?


 (鵜飼に会って……それでどうするんだよ)


 晶は自分で自分が何を考えているのかよくわからなかった。瀬奈に会っても、その後自分がどうしているのかを想像できない。明確に瀬奈には会いたくないと感じているはずなのに彼女を無視して離れるのは、それはそれでよくない予感がする。

 結局自分はどうしたいのだろうか。どうすればよいのだろうか。その答えを、晶は校門から出てきた瀬奈と目を合わせた時に知ることになった。

 瀬奈の歩みが一瞬止まる。体が後ろに引く。表情がこわばる。ほんの一瞬の事だったが、晶はそれを見逃すことが出来なかった。


 (ああ、そうか)


 結局のところ、晶の中で瀬奈はそれだけ大きな存在になっていたという事だった。嫌われることには慣れている晶が瀬奈に庇われずショックを受けた理由と今この場で瀬奈に会うことに躊躇する理由は共通している。

 鵜飼瀬奈という人に嫌われた。友達になれたかもしれなかった人を失った。その事実を再確認する事が嫌で、だが彼女を無視する事もそのことを自ら決定してしまうようで、晶は身動きが取れなくなっていたのだ。


 「竜胆君……その……しばらく、だね」


 切り出したのは瀬奈の方だった。その口調はどこかたどたどしく、よそよそしい。自分に合わせて気を遣わせてしまっている。


 「あのね、お化け屋敷、もう完成したんだ。私はいろいろとチェックしたいことがあったからこうして居残ったけど……竜胆君は? なんでこっちに?」

 「……プリン」

 「え?」

 「プリンを……買いに……」

 「プリン?」


 口にした後で晶は自分がわけのわからないことを言ってしまったことに気づいた。コンビニはこちらにはない。そもそも道を間違えてここに来たというのに。


 「あ、あはは。変な竜胆君」


 ああ、また気を遣わせた。早く立ち去ればいいものを、いつまで自分はここにいるのだろうか。


 「そうだ! もうすぐ全部終わるから、それまで待っててくれない? プリンなら、一緒に買いに行こう? ね? そうしよう?」


 気を遣わせている。気を使ってもらっている。そのどちらも晶には耐え難かった。


 「ねえ、私、竜胆君に――」

 「いや……いい。邪魔をした……」

 「あ、待って! 竜胆く――」


 聞こえないふりをする。心に蓋をする。そうすればもう何も聞こえない。結局彼女には今度こそ嫌われてしまうだろうが、いっそ嫌われきったほうが晶には楽だった。


 楽である様に、そう見えた。

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