第6話
半田学園のゴミ捨て場は駐輪場の近くにある。三界の教室から外へ出てそこまで紙くずや不要になった画材でパンパンに膨らんだゴミ袋を持って何往復もするのは、晶といえどかなりの重労働になった。
「これで……最後……っと」
最後のゴミ袋を投げ入れてやっと晶は一息つくことが出来た。凝り固まった輿と背中を思い切り伸ばしながら積み上げたゴミの山を見上げる。
「ふぅ……やっと終わった」
「あれ? 竜胆君」
「鵜飼か? なんでこんなところに?」
晶が振り返るとそこには校内で設営監督をしているはずの瀬奈の姿がそこにはあった。数分前までの晶と同じようにゴミ袋を抱えているが、重すぎるせいかよたよたと足取りがおぼつかない。
「おいおい、無理するなよ。持つって」
「いいの?」
「いいに決まってるだろ。大体お前の仕事はこういう事じゃないはずだろ。なのにどうして……」
「私も竜胆君と同じで手持ち無沙汰だったの。どこも順調そのもので進行に問題なし。この調子で進めば、なんとか当日には間に合いそうなんだ」
「そうか……それは、よかった……」
問題なし。その言葉に晶の胸がズキリと痛んだ。つい先ほど、自分のせいでペンキまみれになった美作とぶちまけられたペンキの後片付けをしなくてはならなくなったクラスメートたちの顔が脳裏に浮かぶ。実際に見たわけではないそれはどれも晶の想像でしかなかったが、恨めし気な顔をしていた。
「鵜飼はすごいな……」
「え、なに? 藪から棒に」
「全体を監督する大事な仕事に集中するべきなのに、ゴミ出しみたいな雑用まで進んでやるからだ。正直に言うと俺は、ゴミ出しを言いつけられて不満だったんだ。ゴミ袋をこっちのゴミ捨て場まで持ってくなんて誰でもできる雑用だろ?」
晶が自嘲気味につぶやく。それを瀬奈はじっと黙ったまま聞いている。
「俺は……俺はもっと、俺にしかできないような仕事がしたかったんだ。そうすれば鵜飼みたいに皆に受け入れてもらえるんじゃないかって……」
「皆と、何かあったの?」
「……少し、失敗しちまった。ケンカをしたわけじゃないんだが」
晶はそれ以上語ろうとしなかったが、瀬奈には何が起きたか察する事ができた。
「受け入れてもらえるって言うのは?」
「鵜飼はさ、この二週間で見違えるくらい変わっただろ? 二週間前までは俺とおんなじで誰と話すのも苦手だったのに、今じゃみんなから頼られて、普通に話せるようになってる。俺も、お前みたいにみんなと話せるようになりたかった……」
サングラスの奥の視線は瀬奈に向いてはいない。期待を持っていてもすぐに突き落とされる事への諦めから、もうすでに晶の瞳孔も心もうつろになっていた。
結局何もかもこの呪わしいドラゴンの眼がある限りうまくいくことは無いのだ。この両目をえぐるか、友達を得る事を諦めるか。晶にはその二つの選択肢以外に選ぶ道はない。
「ううん、竜胆君。諦めるのはまだ早いよ」
「鵜飼?」
「文化祭が始まるまであと三日もある。それに文化祭が終わったって、私たちが卒業するまではまだ一年以上もあるんだよ? みんなと話す時間だってまだたくさんある。竜胆君のことをわかってくれる人だってきっとどこかにいるよ!」
「…………」
そう激励して自分を見上げる瀬奈だったが、晶には何も響かなかった。サングラス越しに晶は瀬奈を見る。そこには何の感情も籠ってはいない。
そもそも、瀬奈が晶の何をわかっているというのだろうか。ドラゴンの眼のせいで、晶がどれだけ苦しんだことか。ドラゴンの眼を、どんなに忌まわしく思っているか。
「そう……だな……。まあ、頑張ってみるよ」
「うん! 私も応援するよ! じゃあそろそろ教室に戻ろうか」
だが、それらを瀬奈がしる由もない事は晶にもわかっていることだった。ドラゴンの眼の事を話しても信じてはもらえない。サングラスを外して見せたとすれば、人間には決してあり得ない爬虫類の眼を気持ち悪がられるだろう。
晶は空虚な返事をして、とりあえず瀬奈を満足させるしかなかった。晶が元気を取り戻したのだと誤解して鼻歌混じりに歩いていく瀬奈に晶は無言のままその後に続いていった。
教室に近づくにつれて晶と瀬奈の耳に喧騒が届いてきた。談笑しているのかと最初は思っていた二人だったが、だんだんとなにか慌ただしい気配がすることに気が付くと急いで教室に走った。
「どうしたの? なんの騒ぎ?」
「竜胆、鵜飼さん! 実は、飯島のペンダントが無いって騒ぎになってる」
「髪留め? 飯島はそんなのつけてたっけ?」
「うーん……だけど、飯島はクラス中ひっくり返す勢いで探しているんだ」
そこまで言うと遠藤は晶に近寄るとこっそりと耳打ちをした。
「準備でゴタゴタする前に、絶対なくならないようにどこかに保管したらしいんだ。それもあって、鳥塚達は誰かが盗んだんじゃないかって言ってるんだ」
「盗んだ!? いったい誰が」
「わからない。そもそも盗まれたっていう確証もないんだ。でも、騒ぎが大きくなりすぎて誰かが盗んだんだろうっていう話になりかかってる。前に話したこともあって――」
「前の話って何?」
瀬奈が会話に割り込んできた。だが、飯島が意図的に瀬奈の妨害をしていたことを彼女自身は知らない。
「大したことじゃない。気にしなくていいことだ」
「そうなの……?」
晶が選んだのは瀬奈に何も知らせない選択肢だった。もうすぐ文化祭本番というこのタイミングで瀬奈にショックを与えるのは避けるべきだと判断したからだ。
或いは、単純に晶自身が瀬奈の傷ついた顔を見たくなかっただけかもしれなかったが。
「とにかく、誰も飯島に反論できないんだ。証拠もないのに全員誰が盗んだかで疑心暗鬼になってる。でも竜胆、お前なら――」
「あ! 竜胆、鵜飼!」
折悪く飯島が二人を発見してしまう。それ以上話すことが出来なくなり、遠藤は慌てて二人からから離れた。
「何? 何の話をしてたのよ遠藤」
「い、いや。お前のペンダントがないって話をしていたんだ。二人とも、探すのを手伝ってくれ」
「ああ、わかった。やってみよう」
「いいよ。すぐに探さないと」
飯島の疑うような視線から逃れるように二人とも教室に入る。しかし、教室の中は酷い有様だった。ほとんど出来上がりかけていた内装はほとんどが引きはがされており、晶が最後に見た時は整然と並んでいた机も、探し回った痕跡か乱雑になってしまっている。直すのにまた時間がかかるだろうと晶は感じた。
「なくなったペンダントっていうのは……どんなのなんだ?」
「ハープの形のペンダントよ。結構小さいから大事にしまっておいたのに……」
晶の問いに飯島は珍しくしょげたような顔で答えた。その様子に二人とも飯島が本気で困っているらしいと理解する。
「竜胆、一応聞いておくけれど、ゴミ袋の中にはなかった?」
「ないとは思うが……確認してみないとわからないと思う」
「そう……やっぱりあるとしたらゴミ袋の中かしら。教室になければ探しに行かないと」
「どうでもいいけど、教室はきちんと戻しておけよな。せっかく出来上がりかけていたのにこんな――」
「なんですって!」
飯島が激昂して吼えた。驚いた晶が振り返ると、そこには鬼の形相で怒りをあらわにする飯島の顔があった。
「あたしのペンダントなんかどうでもいいって言うの!?」
「誰もそこまで言っていな――」
「酷い! 大事なおばあちゃんの形見なのに!」
晶の言い分も待たず飯島がわっと泣き出す。どうも本気で泣いているらしく、晶自身もろくに話を聞かない飯島への怒りよりも泣かせたことへの気まずさが勝った。
「悪かったよ。悪かったから泣くなって。とにかく、そのペンダントさえ見つかればいいんだろ?」
晶がそう聞くと飯島は目線は下げ黙ったままではあるがこくりと頷いた。ため息をつきながら晶はペンダントはどこにあるだろうかと思案する。
「おばあちゃんの形見……」
瀬奈も、ペンダントが祖母の形見であるというところに思うものがあるのか一緒になって考え出した。だが、手掛かりが全くない状態ではどうにもならないのは二人とも同じことだった。
「最後に置いたのはどこなんだ?」
「あたしのカバンの中よ。自分の机の下にペンダントを入れておいておいたのに……」
飯島は自分の机を指さした。その上には中身の散乱したカバンが放置されている。よほど慌てて探していたのか、ぶちまけられた中身がそのままになっていた。
「下に入れたんじゃなかったのか?」
「あんたが美作さんにペンキをかけた時に汚れないように上にしておいたのよ!」
「ちょっと待って。ペンキを掛けた? 竜胆君が、美作さんに?」
瀬奈が驚きに目を見開く。考えるよりも早く、晶は瀬奈に対して弁解を試みていた。
「違う! あれは美作が驚いた拍子に自分でペンキを放り投げたんだ。見ろよ! 俺の制服にも赤いペンキがかかってるだろ!?」
「美作さんが受けたペンキに比べたら大したことないじゃない! それより美作さんはあんたのせいで制服が一着ダメになったのよ! どうしてくれるの!?」
「俺のせいじゃない! あいつが勝手に――」
「どうだか! 日ごろから素行の悪いアンタのいう事なんて誰が信じるのよ!」
いつの間にか話はペンダントの所在から晶の素行の悪さ、美作への暴行へとすり替わっていた。瀬奈をはじめ、そのことに気づいたクラスメートもいたが――
「い、飯島さん? ペンダントを探さないと――」
「邪魔しないで! 今こいつと話をしてるの!」
飯島はよほど怒りが深いのか、横から口を挟もうとした者たち全員を怒鳴り付けて黙らせる。晶に対する激怒がヒートアップしてきたころ、いつも飯島について回っている鳥塚と袋田がゴミ袋を持って現れた。二人とも薄汚れたジャージ姿で、ここまで走ってきたのか荒い息をついている。しかしその手には、白く光る小さな何かが握られていた。
「飯島さん! ペンダントがゴミ袋の中に!」
「見せて!」
飯島がひったくる様に白く光るそれを掴みまじまじと見る。それから目を見開くと、わなわなと体を震わせ、「あたしの……ペンダント……」と小さめな、しかし教室にいる全員にそれと聞こえる声でつぶやいた。
「それなのか?」
「それなのか……ですって……?」
ゆっくりと飯島が顔を上げる。その形相はもはや怒りを通り越して紙きれのような蒼白になっている。激怒の余り血の気が引いたその様はもはや人間的ですらない。
しかし、晶にとってそんなことは、この直後飯島が言い放ったことに比べれば些細なことでしかなかった。それを、晶は思い知らされることになる。
「自分であたしのペンダントをゴミに捨てておいてよく言うわね!」
「……は?」
飯島が何を言っているのか、晶には最初理解が出来なかった。唐突にねじ込まれた情報を晶が懸命に処理する間に、飯島は言い重ねていく。
「アンタでしょ!? あたしのペンダントをゴミ袋に捨てたのは!」
「なんで俺が、そんなことを……」
「おおかた雑用を押し付けられた事への当てつけでしょ!? あたしに言われた時に、アンタ不貞腐れて不満そうだったじゃない!」
「ちが、あれは――」
あれは雑用を押し付けられて不満だったのではない。仲良くなろうとしても失敗する自分への嫌悪感と、ゴミ捨て位で皆が見直してくれるだろうかという不安からくるものだったのだ。降車だけを見れば飯島の言い分通りなのかもしれないが、断じてそんな感情だけではなかったのに。
「じゃあなんでアンタが捨てたゴミ袋にあたしのペンダントが捨てられてるのよ! みなさいこのゴミ! あんたが汚した赤色でしょ!?」
「し、知るか! 俺じゃない!」
ついにキャパオーバーを起こした晶には、とにかく疑惑を否定する事しか頭には残っていなかった。そんな晶の有様に飯島はますます怒り狂い、晶を罵る。
「知るかって何よ! 信じられない! 美作さんの制服を汚して! みんなを怖がらせて! あたしのペンダントをごみに捨てて! 最低! 文化祭の準備も本番も来ないでよ! みんなもそう思うでしょ!?」
飯島の呼びかけに晶は血の気が引くような思いがした。やめろ。やめてくれ。今それを言われるのは――
「……確かに、竜胆君って怖い……」
「ちょっとなあ……」
「流石に今回のことは……」
晶が心の中で叫んだ懇願は、むなしく響くだけに終わった。クラスメイト達は日ごろからため込んでいた不満がプツプツと漏れ出していくかのように、口々に晶に対する悪評を吐き出していく。
時間の経過とともにその数は増していき、視線も最初は突然呼びかけられたことに対する困惑が飯島に向けられていたが、次第に晶に対する敵意と嫌悪の視線が多く彼に突き刺さることになった。
「な、なんだよ……」
「これが全員の意見よ。竜胆、あんたはこのクラスには邪魔な人間なの。いても迷惑なだけ。いない方がマシ。それがあんたなのよ!」
「ちが……お、おれは……」
「ああヤダヤダ。あんたみたいな何をしでかすかわからない不良なんかと一緒のクラスにさせられてあたしたちがどんなに怖かったかわかる?」
「怖がらせるつもりなんて……」
弁解を試みる晶の声も、もはや弱弱しく頼りないかぼそさになっている。
晶が弱り切ったところで、飯島は畳みかけるように残酷に言った。
「ねえ、鵜飼さん。あなたさっきから黙っているけれど、あなたはどう思うの?」
「え、え? 私?」
「ええそうよ。竜胆にこれ以上いてほしい? それとも邪魔になるから出て行かせる? どっちなのよ」
「わ、わたし、は……」
晶は藁にもすがる思いで瀬奈を見た。瀬奈は竜胆への恩義と全員からの視線の板挟みになって震えている。
「う、鵜飼。そんなことないよな? 俺は、ここにいてもいい。そうだろ? なあ」
「…………」
「だってお前、俺がいたからここまでやってこれたって――」
「気持ち悪い。何をうぬぼれたことを言ってるのよ。それに鵜飼さんなら、もうあんたなんかいなくたって平気でしょ? ねえ、鵜飼さん?」
瀬奈は何も言わない。永遠にも思えるその沈黙に晶は次第に足元がぐらつくかのような吐き気とめまいを覚えた。
「……竜胆、くん」
「やめろ……」
「あのね……」
「やめてくれ」
瀬奈の表情と、自分に向いていない視線から、彼女が何を言おうとしているのか晶には察しがついてしまった。弱弱しく、口を閉じるように言うしか抵抗するすべがもうない。
「その……竜胆君にはたくさん助けてもらったけど、その……」
「美作のことなら誤解だ! あいつが勝手に驚いて、ペンキを放り投げたんだ!」
「見苦しいわよ竜胆! もう黙りなさい!」
発言がもうできないよう釘を刺される。口を開き、無意味と知って閉じ、それでも言い返したくて開き、また閉じる。晶のその様は空気にあえぐ魚のようだった。
そしてとうとう、瀬奈の口から晶にはっきりとそれは告げられた。
「準備に支障が出るのは、その……困るの。だから――」
その先を、晶は聞かなかった。そう告げられるだけで晶には十分すぎた。
体中から血の気も熱も引いていく。指先から凍り付いたかのような寒さのあと、晶を覆ったのは体中が沸騰するかのような激怒だった。
「お前……お前! 誰のおかげで……!!」
教室に悲鳴が響き渡る。反射的に晶は瀬奈の胸倉をつかみあげて拳を振り上げていた。
「鵜飼さん!」
誰かが叫んでいる。どうでもいい。今まで助けてやったのに。あんなに親切にしてやったのに。友達になれるかもと期待したのに。その全てをこの女は裏切った。
その怒りが晶の視界を赤く染める。もうどうでもいい。ここまで腹が立ったのは、絶望したのは初めてだ――!!
一発だけではない。二度と誰かもわからない程痛めつけなければ気が済まない。怒りはそれほどまでに深く、強かった。だが――
「――――」
拳がついぞ振り下ろされることはなかった。顔を殴ろうと晶は瀬奈の顔に狙いをつけていた。その時に見たのだ。恐怖に怯え、ガタガタと震える瀬奈の顔を。自分に対して怯えるそのまなざしを。
「…………」
晶は鵜飼から手を放し、握りしめた拳をほどいた。そうして少しの間そこに立っていると、突然「じゃあな」とだけ呟いて教室から出て行った。
「ま、待って! 竜胆く――」
呼び止めようとした瀬奈の目と鼻の先でぴしゃりと教室のドアは閉じられた。もう追いかけることはできない。
「やったじゃない。鵜飼さん」
「飯島、さん……?」
そんな彼女を慰めるように肩を抱いたのは飯島だった。
「あの厄介者の竜胆を追い出すなんて、見直したわ。この前はひどいことを言ってごめんなさい」
「でも……私は……」
「さあみんな! 準備の続きをしよ! ほら鵜飼さん、監督なんだから指示を出して」
一方的に告げるだけ告げて飯島は作業に戻るように呼び掛けた。文化祭まであと三日。準備が大詰めであることは瀬奈も承知していた。
「――――」
晶のことは気がかりだったが、竜胆を追い出した以上、追うこともできない。それに今竜胆に味方すれば、またクラスで騒動になって準備が遅れる。今の瀬奈には、準備を進めるしか取れる道はなかった。
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