第4話


 「鵜飼ー、配置の目印になるテープだけど、これでいいか?」

 「うん、オッケー! じゃあこれの通りに一回机だけ並べてみて」

 「鵜飼さん、納豆工場の段ボールだけど、譲ってもらえるって」

 「わかった! じゃあ次はあっちで小道具づくりの手伝いをしてきて!」

 「……すげえ」


 目の前でてきぱきと文化祭の準備が進んでいく。開催までは残り五日を切り、二年B組は今まで全く進んでいなかったのが嘘のように団結してお化け屋敷の準備に取り組んでいる。その様子を、晶は瀬奈の後ろから眺めていた。


 「企画書を見せられた時も思ったけど、実際お化け屋敷ってやろうと思うといろいろと準備しなくちゃいけないんだな」


 お化け屋敷をやると聞いた直後、晶は準備するといっても机を並べて部屋を暗くし、コスプレして驚かす、という漠然とした単純なイメージだけが頭の中にあった。

 しかし、いざ準備を始めるとそれだけでは足りない事がすぐに判明した。机一つ並べるにも、机の配置を考えて、その配置に問題がないかを余裕があるうちにチェックしなくてはならない。部屋を暗くしようにも、ただ布で窓を覆う程度では全く足りないと晶が理解したのも、準備が始まってからだった。

 このように晶の頭の中には『お化け屋敷でどう驚かせるか』という考えすらなかった。晶だけではない。クラスの誰も、お化け屋敷という未経験の出し物をどう準備すればいいかわからないというのが二年B組の現状だった。


 「そうだよ。竜胆君のおかげで皆協力してくれるようになったけれど、もし助けてもらえなかったら、何もかも頓挫してうちのクラスだけ何にもしない寂しい文化祭になってたかも……」

 「いや、俺のおかげじゃないだろ。お前のあの企画書。俺なんかお前の後ろで全員ににらみを利かせて言う事を聞かせてただけだ。その『言う事』を考えたのは、他でもないお前だろ」


 この窮地を打開するカギとなったのが、瀬奈の企画書である。瀬奈がひと月前に文化祭の準備を総括する立場になって、真っ先に書き上げたのがこの企画書だった。お化け屋敷のテーマ自体は『都市伝説風』ということで決まったものの、それ以降は週に一度ある準備会議の時間全てでことごとく飯島に邪魔をされたのだと瀬奈は語っていた。


 「それで、俺が声をかけた少し前から誰も話を聞いてくれなくなったってわけか……なあ鵜飼、今まで準備にかかりきりで全然聞けなかったんだけど、国崎先生は何をしてたんだ? 飯島が邪魔してくるなら、俺より国崎先生を頼ったほうが良かったんじゃ……」


 お互いが少し手持ち無沙汰になったことを確認して、晶はかねてから思っていた疑問を口にした。そもそも、本来であれば文化祭の準備がまともに進まないという異常事態は担任の教師が解決するか、少なくとも生徒と生徒の間に介入すべき案件だろう。にもかかわらず、国崎はどこで何をしているのか。現にいま準備している教室の中にもいない事が、晶には疑問だった。


 「それが国崎先生は文化祭全体の監督役なんだって。全体監督は先生たちの間で、毎年交代制で受け持つんだけど、今年は国崎先生だったみたい」

 「あちゃー……そりゃぁ、間が悪かったな」


 瀬奈自身も国崎が忙しい事は承知しており、そのため飯島が準備を妨害してくるとわかっていても国崎には相談しづらかったらしい。ただ相談しない間にどんどん彼女一人では対処できなくなっていき、晶が助けなければどうにもならなくなるまで追いつめられていたのだ。


 「ううん、私にとってはすごくラッキーだったよ。国崎先生って、優しいんだけどちょっと頼りないところもあるから飯島さんみたいに気の強い人が相手だとどうにもならないかもしれなかったし……竜胆君に手伝ってもらえてよかった。本当にありがとう」

 「……お、おう。別に、礼なんていらねえぞ」


 ストレートな瀬奈の言葉に、晶は言いようもないようなこそばゆい気持ちになる。こんなにも感謝されること自体、晶にとって未曽有の経験だ。

 これは、と思う。もしかすると行けるのではないか。晶の胸が期待に膨らむ。ここ数日共に文化祭準備に取り組んできた。とくに取り立てて悪印象を与えるようなミスもしていない。加えて瀬奈には晶のドラゴンの眼による威圧感がどういうわけかかなり軽減されている。


 (できるんじゃないか……俺にも……名前呼びを……!)


 名前呼び。ある程度仲が良いか、出なければ最初から名前で呼ぶような性格のものでなければ許されないそれは、誰かを苗字で呼ぶことはおろか、人とまともに話すことも稀な晶にとってそれはどんなに願ってもかなわない事。夢のまた夢である。まして同性の友人とではなく異性の仲の良い友人と名前で呼び合う関係になる。それは晶が夢想したまともな学園生活の一部でもあった。

 それが、もしかすると手の届くところまで近づいているのかもしれない。そう考えるだけで晶は胸の高鳴りを抑えられなくなりそうだった。最近は文化祭準備の話とはいえクラスメートと会話する機会も増えている。加えてここ最近クラスメートから向けられる怯えや恐怖の視線が少しずつ薄まっている事にも昌は気づいていた。文化祭準備の話しかできず、本当に少しずつしか薄まってはいなかったが、この文化祭を通して自分はクラスメートたちと初めて打ち解ける事が出来るのではないかという期待も晶の胸中にはある。


 「な、なあ、鵜飼」


 意を決してのどから声を絞り出す。声が裏返ってはいなかっただろうか。ちゃんと聞こえているだろうか。声を発した後でそんな公開や懸念が晶の脳裏をよぎる。


 「うん? どうしたの? 竜胆君」


 どうやら声はきちんと届いていたらしい。瀬奈は後ろに振り返ると妙な脂汗を描いている晶を見つけて小首をかしげた。


 「あ、あのさ。俺たち、結構仲がいいし、だから俺、お前の事――」

 「鵜飼! 机並べ終わったぞ! 確認してくれ!」

 「うんわかった! 今行くね!」


 振り絞った声は、より大きな声にかき消されてしまった。より大きな、うらやましいほど気安く、ごく自然に瀬奈にかけられる声。それに対して当たり前のように返事をする瀬奈。どちらも晶にはない物で、気後れしてしまう。


 「あ、ごめんね。今なんて言おうとしたの?」

 「……いや、いいんだ。忘れてくれ」


 よくよく考えてみれば、文化祭の準備に集中するべき今の段階で話す事ではないのかもしれない。ひょっとすると、実は全然仲良くなってもいないのに晶自身が勝手に勘違いをして胸を膨らませている可能性もある。

 晶の頭が急激に冷めていく。冷静さを取り戻した彼は、きっとまだ早いのだと結論すると瀬奈を見送ることにした。


 「ほら、早くいかなくていいのか?」

 「あ、そうだった。ちょっと行ってくる!」


 瀬奈が机のチェックを始める。ここ数日で瀬奈はずいぶん変わったと晶は感じていた。以前はオドオドしていて、クラスメートたちも瀬奈を見くびる節があったのだが、今や文化祭準備の為に誰もが彼女に頼っていたのだ。それだけ瀬奈の計画と指示が的確で、今のところ瀬奈の後ろでにらみを利かせる以外に仕事がない晶を除けば、クラスメートたちの誰もがダレたり暇になることもなく仕事にのめり込んでいる。


 「暇だな……」


 唯一暇な晶だったが、特にどうとも感じてはいない。そもそも文化祭にはかかわらないつもりだったので、やることがない状況には変わりがなかったからだ。

 気づかれないようにあくびをかみ殺す。後ろでにらみを利かせるとは言っても、今やクラスメートのほとんどが瀬奈の指示に従うようになっている。正直なところ、自分が居なくてももういいのではないかと晶も思っていた。



 全体的なチェックが終わり、いよいよ準備が煮詰まってきた翌日の事だった。晶が登校すると、ゲタ箱の中に入っている。

 取り出してみるが白い封筒に手紙が入っているだけで、ただ『竜胆晶へ』と宛名が封筒に書かれているものの、差出人の名前はない。


 「なんだ? これ……」

 「あ、おはよう竜胆君。それ、手紙?」

 「鵜飼か。なんか、下駄箱に入ってたんだ……まさか、ラブレターってやつか?」

 「今時下駄箱にラブレターなんて出す人がいるのかな……」


 半田学園の下駄箱は古めかしい扉付きのものである。しかし、SNSが発達したこの時代にあって下駄箱にラブレターなどという半ば化石化しかかっているような告白をする者がいるのだろうか。

 まして、相手はあの竜胆晶である。どこの誰が自分なんかにラブレターを出すのだと、晶は推測した自分に自分で呆れ、その場で手紙を開いた。


 「太い……男の字っぽいか? 『伝えたいことがあるので、今日の昼休みに屋上へ来てください』……? なんだこれ?」

 「やっぱりラブレター……」

 「いいや、ない。それは絶対にない……はあ、とにかく行ってみるしかないか。ところで鵜飼、最近飯島達の様子はどうだ? ここのところは大人しく文化祭準備を手伝ってるみたいだが」

 「うん。特に問題はないよ。竜胆君のおかげで私の頼みもちゃんと引き受けてくれるし、正直助かってるくらいだよ」

 「そうか。それならいいんだが」


 飯島はそれまで瀬奈の妨害をしていたのが嘘のようにおとなしかった。だが、長いあいだ人がどんな様子か、自分に怯えているのかを観察してきた晶にとってはむしろ何かの予兆。嵐の前の静けさにも感じられた。


 (このまま何も起こらなければいいんだが)


 漠然した不安を抱きつつも、晶は昼休みに手紙の主に会うことに決めていた。



 昼休みになると、晶はいの一番に屋上に向かった。山の上という立地から見晴らしがよく、しかも自殺対策に二メートルを超えるフェンスで囲まれている為、半田学園では学校としては珍しく普段から生徒に向けて屋上が解放されている。

 晶が屋上の扉を開けてから数分後、見覚えのある顔が屋上に入ってきた。二年B組のクラスメートにして演劇部の現部長、遠藤優だった。


 「り、竜胆、来てくれたのか」

 「お前が手紙を出したのか遠藤。いったい何のために……」


 晶の威圧感に相変わらず気圧されているのか、それとも本当に呼び出しに応じたことが予想外だったのか。とにかく遠藤は怯えながら晶の傍まで近づくと焼きそばパンを差し出した。


 「ひ、昼飯まだだろ? た、食べなよ」

 「え? いや、いいって。お前が食えよ」

 「俺の分はもうある。来てくれたお礼だと思って、ホラ」


 来てくれたお礼。そこまで言われては拒否するほうがむしろ失礼だろうと晶は焼きそばパンを受け取った。未開封の袋を開けたところでいくらか遠藤の緊張もほぐれたのか、ぽつぽつと遠藤は口を開きだした。


 「食べながらでいいから聞いてほしいんだけどさ、お前にいくつか話したいことがある。まずは謝らせてほしい。声をかけた時、協力を渋ったりして悪かった。すまない。この通りだ」


 言いながら遠藤は腰が折れそうなほど深く晶に頭を下げた。晶は一度焼きそばパンにかじりつくのをやめて、遠藤に頭を上げるよう声をかける。


 「そういうのは俺じゃなくて鵜飼に謝れよ。お前に手伝ってほしかったのは他でもない鵜飼だ。だから、鵜飼に謝れ」

 「あ、ああ。あとで鵜飼さんにもちゃんと謝る。それと、実は俺が手伝えなかったのは理由があるからなんだ」

 「理由?」


 謝罪の雰囲気から一転、遠藤は真剣な、しかし晶ではない別なものを警戒する眼差しになると話をつづけた。


 「俺が部長をやってる演劇部だけどさ、去年コンクールにも出場して入賞したっていうのは知ってる?」

 「……ああ、確か、鵜飼が言ってたな。それが?」

 「実は、コンクールで入賞できたのは飯島のおかげなんだ。あいつ、美人なうえに演技力も凄くてさ。あいつ抜きだったら、多分入賞は難しかったと思う」

 「飯島が!? あいつお前と同じ部活だったのか?」

 「え? 知らなかったのか?」


 驚きの声を上げた晶だったがどこの部活に誰が所属しているかなど、ある程度の交友関係を自分とクラスメートとの間に築くことが出来ていれば、耳に入っていても当然の情報である。自分のコミュ力のなさと疎外感が晶にはみじめに思えた。


 「とにかく、そのせいで俺は飯島に脅されていたんだ。『もし鵜飼の手伝いをするなら演劇部は退部させてもらう』って。俺も、入賞して地方紙に載ったせいで後に引けなくなってたんだ。言い訳にしかならないけれど、本当に悪かった。竜胆に睨まれたっていう建前が無かったら手伝いなんてできなかったと思う」

 「そうだったのか……飯島の奴、そんな汚い真似をして……」


 我知らず、晶は目の前のフェンスを手の甲に欠陥が浮かぶほど強く握りしめていた。瀬奈のことを忌々し気に睨んでいたのは知っていたが、嫌がらせの為にそこまでするとは夢にも思っていなかった。怒りがのど元までせり上がり、吐き気のように出口を求めているのがわかる。


 「ふざけやがって……ちょっととっちめてくる! 遠藤! お前証言してくれ!」

 「ちょ、ダメだって! 僕の証言だけじゃどうしても弱い! それに、竜胆君が暴力沙汰を起こしたら下手すれば退学処分もありえるよ!?」

 「知った事か!」

 「落ち着いてよ! それに、今は準備の大詰めだ! 大事な時に騒ぎなんか起こしたら、竜胆君と鵜飼さんの苦労が水の泡になるかもしれないんだよ!」

 「――ッ、クソッタレ!」


 鵜飼の苦労が無駄になる。晶は自分がこの後どう嫌われてもいいとは思うが、それ以上に鵜飼が悲しむのは嫌だった。それに、一度関わって助けるのだと決めた以上、晶には役目が終わるまでそれ曲げることはできない。


 「ったく……それにしても、鵜飼を手伝わなかったのはお前だけじゃないだろ。どうしてクラスメート全員が手伝わなかったんだ?」

 「……これは噂なんだけどさ」


 晶がそのことに触れたとたん、遠藤は瞳の鋭さを一層増して声を潜めた。ほとんど呟くように、二人以外誰もいない屋上で遠藤は唇をわずかに動かしながら告げる。


 「どうも飯島さんは、この辺で暴走行為をしている蛮手盗っていう集団のボスと繋がってるらしいんだ。それに今回の文化祭、飯島さんはしつこく鵜飼さんの妨害をしていた。それで、クラスの全員が文化祭準備や準備総括になった鵜飼さんに関わらないほうがいいと思ったみたいなんだ」

 「それで全員協力しないで……ってちょっと待て、蛮手盗? この前俺に絡んできたあいつらか!」

 「知ってるの?」

 「ついこの前、俺が遅刻してきたときに喧嘩した相手だ。そうか、あいつら……」



 二週間前、晶は登校中に派手な格好で駅前ロータリーに座り込んでいた迷惑な三人組を思い出した。あの連中のトップと飯島が、なぜ繋がっているのだろうか。


 「どうして飯島さんと蛮手盗が繋がっているかはわからない。でも、蛮手盗は総勢百人以上の大規模な暴走集団で、犯罪行為も繰り返している。正真正銘の札付きってやつだよ」

 「わからねえな。飯島が暴走族をバックにクラス中を脅していたのはわかったけど、どうしてそこまでして鵜飼を目の敵にしてるんだ? 鵜飼が飯島に何かしたのかよ」


 晶が最も理解できない点がそれだった。ともすれば文化祭自体が台無しになりかねない程の妨害行為を飯島が行う理由とは何なのか。しかし、これには遠藤も答えを持ち合わせていないらしく、憶測を語るほかなかった。


 「わからないけど……たぶん、飯島さんより鵜飼さんのほうが男子に人気があるからじゃないかな。気が弱いけど優しくて、顔も結構可愛いし、胸も大きいし」

 「なんだよそれ。そんなので人気って決まるのか?」


 晶にとって他人の区別は家族か、そうでないかしかない。最近は瀬奈の存在によってその価値観が少しづつ変化しているが、それでも他人が他人をどう評価するのかはよく理解できておらず、遠藤の言葉はその人間の表層だけで他人を消化しているように思えた。


 「ないけれど……でもそれ以上に、最近準備を通して鵜飼さんに対する評価が上がってると思う。そのことも気に食わないんじゃないかな。今まで下に見ていた相手だったのにって」

 「無茶苦茶だろ……わかった。飯島の動きには気を付けたほうがいいな。ありがとう、遠藤」

 「え? ……い、良いんだよ! ほんとに、手伝わなかったことに対するお詫びってことで……あのさ、竜胆」

 「ん? なんだ」

 「お前……結構話せる奴だったんだな。知らなかったよ」


 それじゃあといって遠藤は屋上から出ていく。

 結構話せる奴だったんだな。最後にはやや砕けた口調だったその言葉を、晶はどう受け止めていいかわからずに困惑していた。

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