第3話

 「おい、遠藤(えんどう)優(すぐる)は……お前か?」

 「ひィッ!? 嫌だ! 命は勘弁してください!」

 「ちょ、ちょっと竜胆君! 遠藤君も落ち着いて……」


 肩に置かれた手と、サングラス越しであっても背後に突き刺さる刃のような視線に、遠藤は昼食の味が消し飛ぶほどに戦々恐々となった。直後、慌てたような声がフォローに入りどうにか会話を取り持つ。


 「ご、ごめんね遠藤君。ちょっと手伝ってほしいことがあって……」

 「う、鵜飼さん? あれ、どうして竜胆……さんと一緒に?」

 「…………」


 後付けのご機嫌取りめいた『さん』付けに若干傷つく。とはいえ文化祭を成功させるためなので、ふてくされた顔を晶は抑え込んだ。


 「あのね、今度の実行クラス委員、竜胆君に手伝ってもらう事になって。それで、お化け屋敷だから、遠藤君なら衣装とか演技のこととか詳しいんじゃないかと……」

 「あ、ああ! 前に言ってたね。でも……その……前にも言ったけど……」

 「なんだよ。うちのクラスでやる出し物だろ? どうして協力できない」

 「いや、それは……その、部活とかでさ……ほら、ね?」


 忙しいことを理由に断ろうとする遠藤だが、その様子は晶の眼から見てもおかしいと言わざるを得ないようなものだった。訝しんだ晶が更に問い詰めようとするが、それより早く瀬奈が口を開いていた。


 「お願い。遠藤君。文化祭までもう時間が無くて、忙しいのはわかっているけど、どうしても遠藤君の力が必要なの」

 「鵜飼さん……うぅ……」


 瀬奈が頼むと遠藤は晶の時とは違う反応を見せた。ただ高圧的に迫るのではなく、頼んでいる相手自身でなければならないという事を伝えるその姿勢は、他人とあまりかかわったことのない晶にとって思いつきもしないものだった。


 「お願い! 遠藤君、たしか演劇部の部長でコンクールにも出場したんだよね?遠藤君ならどんな演技がいいか皆に教えられるでしょ?」

 「そりゃあ……まあ……」

 「だったらお願い! この通りだから!」


 瀬奈が遠藤に深く頭を下げる。その様子にさすがに根負けしたのかそれとも隣で睨む晶の迫力に気おされたか、遠藤は不承不承ながらも「わかった」と小さく返事をした。


 「本当!? ありがとう!」


 やっと取り付けられた協力に、瀬奈が喜びはしゃぐ。だが晶は沿道の様子に疑問を抱いていた。


 「協力してくれるのはありがたいんだが……なんであんなに渋ったんだ?」

 「いやその……いろいろあって」

 「いろいろ? いろいろってなんだよ」

 「もう、やめなよ竜胆君。ごめんね遠藤君。協力してくれてありがとう。これからよろしくね」

 「あ、ああ。よろしく」


 更に追求しようとした晶を瀬奈が止める。放課後までに根回しをすまさなければならない人数はまだまだ多いため、晶は瀬奈の注意に従うことにした。


 「それでね、遠藤君には、お化け役の人の演技指導とか衣装とかを見てほしいの」

 「わかった……そうだ、手伝う代わりに一つ頼んでもいい?」

 「なんだ?」

 「俺が協力してるってことは伏せて欲しいんだ。頼む、このクラスにいない演劇部の奴に協力してもらったってことにしてくれ」

 「は? なんでそんな回りくどいことを……」

 「頼むよ! もし万が一バレたら、うちの部はおしまいなんだ!」

 「ばれるって……誰に?」


 つぶやきを聞いたとたん、遠藤が青ざめた。晶の威圧感ではない、別の何かに酷く怯えだすと「昼休みに図書室に来てくれ!」と短く言い捨てて走り去ってしまった。


 「なんだ……?」

 「大丈夫かなぁ……?」

 「追及しても仕方ねえな。とりあえず遠藤の協力は取り付けられたし、次に行こう」


 遠藤の様子は気がかりであったが、話をつけなくてはならない相手はまだ多い。晶と瀬奈は次の相手に向かうことにした。



 「うーん……」

 「どうした鵜飼。捕まらなかったり時間がかかったりで数日かかりはしたけど、一応全員に協力を取り付ける事はできただろ。何か心配事か?」

 「いやほら、みんなちょっと様子がおかしかったから」

 「やっぱり……鵜飼もそう思うか」


 遠藤に声をかけてから数日後、この日の四時間目終了のチャイムが鳴り響き、晶と瀬奈が担任の国崎に現状報告をし、教室に向かうその帰りでのことだった。


 「俺が怖かった……ってだけじゃないよな。たぶん」

 「うん。竜胆君は確かに怖いけど、何か変っていうか、別の何かに怯えてたみたいで……」

 「……」


 静かにまたナイーブな所が傷つきつつ、晶は遠藤の後に協力を要請したクラスメイトたちのことを思い返した。


 「美術部の美作(みまさか)絵里(えり)……放送部の宗像(むなかた)一(はじめ)……軽音部の六原(ろくはら)源(げん)……今更だけど、こうしてみるとうちのクラスってけっこういろんな奴がいるんだな」


 それぞれ大道具、入り口案内、音響を任せようと考えていた者たちである。晶はお化け屋敷という出し物がどう決まったのかという経緯こそ知らなかったものの、都合よく適任の人材がいる程度には二年B組は恵まれていたらしい。


 「今のクラスになって、もう半年以上経つクセになぁ。そんなのも知らなかったのか、俺は……」

 「しょうがないよ。みんな竜胆君と話す機会はあまりなかったんだし……」

 「それに、怖がられてるしな。だから、脅迫まがいの手を使おうって思いついたんだけどさ」

 「でも、やっぱり様子がヘンだったよね」


 最初に声をかけた遠藤然り、その後に続く三人然り。四人とも、どうして一度目の時は断ったのかが不思議なほど、滞りなく晶が同伴した二度目の時は首を縦に振った。

 そしてもう一つ、全員に共通している事がある。四人にはバラバラに声をかけたので、おそらく口裏を合わせたわけではない、本心からの懇願。


 「『自分の名前は出ないようにしてくれ』・……か。どうしてそんなことを……」

 「そこは一応、別の人にアドバイスをもらって、適任の人をこの後のホームルームで指名してっていう流れにするけど……」


 あごに指を添えて考え込む瀬奈の顔が、晶が見ている目の前でだんだんと曇っていく。心配になった晶が尋ねると、瀬奈は暗い顔のまま言った。


 「もしかして、誰かが私たちの文化祭を失敗させようとしているのかも……」

 「はぁ? 考えすぎだろ。そんなことして誰が得するんだ? そりゃあ、うちの高校は一番よかった出し物を決める表彰制度があるけど」

 「うーん……どうしても優勝したい他クラスの陰謀とか?」

 「バカ。なんか景品があるわけでもなし、小説の読みすぎだっつーの」


 飽きれた口調に瀬奈も苦笑を浮かべる。無いものを深読みしても仕方がないと、晶は話題を変えることにした。


 「小説といえば……鵜飼、お前いつも昼休みは図書室にいるよな。なに読んでんだ?」

 「え? ああ……えと……その……」


 瀬奈が恥ずかしそうに顔を伏せる。その様子に、瀬奈はずいぶん変わったと昌は思った。周りの人間への仕草や態度が、ではない。晶への恐れがここ数日で完全に消えていったのだ。

事実実行委員をやる様になって最初の頃は、瀬奈も他の者と同じように晶の持つドラゴンの眼が発する威圧感を恐れ、不信の目を向けていた

 しかし、晶は一度発した言葉を覆すような人間ではない。実際一日も欠かさず瀬奈と行動を共にし、一緒に目星をつけたクラスメイトを説得して回っていた。そうして真面目に手伝ったからか、瀬奈も晶に自分の趣味の話をする程には打ち解けるようになっていった。


 「ま、『魔法使いの冒険シリーズ』とか……あと、『ドールクエスト』とか……」

 「両方とも聞いたことはあるな。魔法使いの冒険の方は映画になったやつだろ? それと……ああ、ドールラクエストは全部読んだな」

 「え、本当!? 外伝も全部!?」

 「あ、いや外伝は―――」

 「話の中でどれが一番好き!?」

 「話? えっとあれ、最終巻の―――」

 「私はね、第二シリーズ三巻の……」

 「ちょ、ちょっと待て落ち着け! そんないっぺんに聞かれても答えられないしつーか質問したいのか喋りたいのかどっちかにしろ! あとゆっくり喋れ!」


 うつむいていた瀬奈の顔が急に上がったかと思うと頬が紅潮し、晶の方に詰め寄る。その様に晶は人生で初めて家族以外の誰かの圧に気圧されるという事を経験した。

 はっと気づいた瀬奈が慌てて晶から離れた。だが興奮を隠しきれていないのかそれとも大声を出して恥ずかしいのか、その頬は赤いままだ。


 「ご、ごめんなさい。その、周りに同じのが好きって人がいなかったから……」

 「それでか……その手の小説が好きなのか?」

 「うん! でも、中学生になるとファンタジー小説が好きって人は少なくなっていって……高校に入学するころにはいなくなっちゃって」

 「そうか……俺もあまり本は読まないしなぁ……」


 だが、普段あれほど物静かな瀬奈が興奮するその様子に晶は興味がわいた。浮かび上がった興味のまま、晶は瀬奈に小説のことを聞いてみる。


 「なあ鵜飼。何か面白い小説ってあるのか? 今度読んでみるから教えてくれよ」

 「え? 本当!? そうだなぁ……何がいいかなぁ……」


 瀬奈の視線が宙にさ迷い、唇から何かの小説のタイトルらしい言葉がこぼれだす。本当に嬉しそうな瀬奈の表情に晶の顔もほころんだ。


 「でも、竜胆君が小説に興味があるなんて意外だったよ。すごく嬉しい」

 「そうか。同じ趣味のやつを見つけられるのは嬉しいよな。分かるよ」

 「分かるの?」

 「お前俺をなんだと思ってるんだ……それになぁ、俺だって、ネットゲームになら気の合う仲間くらいいるんだぞ?」


 そこには、ネットゲームなら晶の威圧感は完全に遮断できるという事情もあった。オフ会への参加はできなくとも、チャットで仲良くなったネット上の友人なら晶にもいる。


 「竜胆君、ネットゲームなんかやるんだ」

 「まあな。一人で出来るし、他人との距離感もいい。それに―――」


 そこで晶は慌てて口をつぐんだ。ある程度距離が近づいたとはいえ、それはまだ言っていい事ではないと冷や汗をかきながら自制する。


 「……? それに……なに?」

 「いや、なんでもないから忘れてくれ。ほら、着いたぞ。落ち着いて喋れよ」

 「う、うん」


 教室に到着し、瀬奈の意識がこれからの会議に向かう。誤魔化すことに成功した晶は心の中で安堵のため息をついた。


 (言えるわけねぇよな……ドラゴンの眼のせいで、現実に友達なんかいないって)


 それは、下手をすれば晶がネットゲームをやると聞いて意外そうな顔をした瀬奈への悪態になりかねない。それに何より、ドラゴンの眼の事を他人に打ち明けるのは晶には無理だった。

 実際、どうして瀬奈が晶を恐れないようになってきているのかさえ全く分からないのだ。そんな状態で「実はドラゴンの眼が~」などという話をしても信じてもらえるわけがない。晶はさっさと結論付けると会議で話すことを反復して教室に入っていった。



 「そ、それではぁ、ミーティングはじめァス!」

 「落ち着け鵜飼。声が上ずってるぞ」

 「あ、ご、ごめん……」


 ミーティングが始まる。緊張から声が上ずる瀬奈を落ち着かせようと声をかけた晶だったが、クラスメイトの全員は「誰のせいでそうなってるんだ」という満場一致の意見を胸中に抱いていた。

 とはいえ時間も限られている。晶が全員を威圧しないようにサングラスの奥で視線を下に向け、瀬奈は実行委員として全員を主導しようと努めた。


 「えっと、それじゃあ今からみんなの仕事を決めていくんだけど……その……」

 「なんですかー、聞こえませーん。キャハハッ」


 どもった瀬奈に対し早速といわんばかりに鳥塚が茶々を入れる。今は国崎も不在のせいで諫められるような人間もいない。

 だが、瀬奈の隣には今晶がいた。鳥塚のからかいに対してすかさず晶が視線を向ける。睨むつもりはなく、サングラス越しに軽く視線をやっただけだったが、鳥塚は「ひっ」と息が切れるような小さい悲鳴を上げるとすごすごと机に引っ込む。バツが悪そうに視線を逸らすとそのまま鳥塚は静かになった。


 「ありがとう、竜胆君」

 「気にするな。それより話を進めろ」

 「うん。ありがとう」


 深呼吸を一つ、大きく吸って吐いた瀬奈は意を決して口を開いた。


 「実はね、もう誰に何の仕事を任せるかは決めてあるの。だから、みんな私の指示に従って―――」

 「はあ? 鵜飼、あんた何様のつもりよ!」


 が、その決断を踏みにじるかのように難癖をつけたのは飯島だった。飯島は正しいことを言いつつも恫喝するかのように瀬奈へ迫る。


 「い、いやでももう文化祭まで一週間とちょっとしかないから、役割決めてすぐに動かないと―――」

 「だーかーら! みんなにも都合があるの! ねえ、みんなそうでしょ!?」


 飯島がクラスの全員に問いかける。二度三度、念を押すように「忙しいよね!?」と口にすると、他のクラスメイト達も口々に賛同しだした。


 「た、確かに……」

 「俺も、そうだ、部活の出し物があって……」

 「アタシも友達と回る約束が……」

 「そんな……」

 「ほら、言ったでしょ? みんな忙しいのよ。役割を決めるにしたってまず全員の意見を聞いてから―――」


 飯島が勝ち誇ったように畳みかけようとしたその時だった。だしぬけに晶が手を振り上げると、そのまま力任せに立っていた教壇に彼の大きな手を叩きつけたのだ。

 瞬間、教室中が水を打ったようにシンと静まり返る。飯島も先ほどまでの勢いはどこかに消え失せ、「な、なによ」と強がりながらもその視線は他のクラスメイトと同様に晶への怯えを隠し切れずにいる。


 「確かに、全員の都合を聞かずに決めたのはまずいと思う。だけどな、文化祭の当日まであと九日だ。今から全員の意見を聞くとか悠長なことをやっても間に合わないだろ。お化け屋敷の用意だぞ? どれだけ時間がかかると思っている」

 「ぐ……でも、だからって横暴じゃない? みんなはいいの? こんなふうに決められて!」

 「だから話は最後まで聞け」


 決して大きくはない、むしろ先ほど机をたたいた時の音よりもよりも小さく、しかし怒った肉食獣が低く唸るようなその声に飯塚は今度こそ黙るしかなかった。悔しそうに眉間にしわを寄せるが、その時には晶はもう飯島には見向きもしていない。


 「役割分担だが、準備を主に担当する奴は当日の拘束時間が減る。反対に当日お化け役や仕掛け役をやる奴は部活とかで忙しくても家で自主練をしたり、リハーサルに出てくれるだけでいい。それと、全員の都合に合わせてシフトは融通を聞かせる。そうだったよな? 鵜飼」

 「うん。勝手に決めてみんなごめんなさい。でも、どうしてもムリなら他の人と交換するから、全員の足並みをそろえたいの! じゃないと、一週間でお化け屋敷の準備は難しいから!」


 瀬奈の真意がやっと明かされると、それに納得したのかそれとも晶の機嫌をこれ以上誰も損ねたくないと思ったのか。今度は反対の声が上がることはない。それに安堵した瀬奈は調子を取り戻すと次々と仕事を割り当てていく。

 結論を言えば、特に誰からも交換してほしいという要望が出る事はなかった。瀬奈の割り振りが的確だったのだろうと最初はそう思った晶だったが、ふと嫌な感じがして飯塚の方を見た。


 (なんだアイツ。爪なんか噛んだりして気持ち悪い……)


 飯塚はボリボリと、音が響いてきそうなほどイラついた表情で親指の爪を噛みちぎっていた。晶だけがその様子に気づき、また視線の威圧感に気づいた飯塚はサッと両手を机の下にしまうと何事もなかったかのようなすまし顔に戻る。

 それでも、晶だけは見逃さなかった。全員の前で、実行委員として精いっぱいに声を張り上げる瀬奈をねめつける飯塚のまなざしが、忌々しいものを見るかのような不愉快な色を帯びていることに。

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