第2話

 時刻は夕方。終業のチャイムが鳴り響き、授業から解放された生徒たちが各々自由に動き始める。

 晶もまた突っ伏していた顔をゆっくりと持ち上げて寝たふりから復帰した。周りのクラスメイト達は仲の良い者同士で固まり放課後に遊びに行く話や、文化祭の準備の話で盛り上がっている。なので、教室に晶の居場所は無かった。


 「帰るか……」


 ここにいても邪魔者にしかならない。晶は荷物をまとめると席を立った。


 「り、竜胆。お前が今朝起こした喧嘩騒ぎのことなんだが……」

 「なんでしょう?」

 「詳しい話を、聞かせてくれ。い、いや、今のところ警察から連絡があったわけじゃないんだが、一応その時の状況をだな」

 「わかりました」


 全員の視線が痛いほどに突き刺さる。一挙手一投足を監視されるような感覚。敵愾心ではなく、恐れや怯えの心境からくるその視線は何度受けても居心地が悪く、『お前が居るのが悪い』と糾弾されるような心地になる。しかも今は問題を起こして事情聴取に連れていかれるところなのだ。絡んできたのがあちらの方だったとしても、クラスメイトからは晶こそ悪者だと思われているのだろう。



 「よ、よし。話はこれで終わりだ。帰っていいぞ」

 「はい。ご迷惑をおかけしました。失礼します」


 後ろ手に職員室の扉を閉めたことでようやく晶は重苦しい空気の職員室から解放された。大人だからと言って晶をただの人間としてみてくれるものは一人も存在せず、生徒と同じく恐れと嫌悪の視線ばかりが向けられる。特に職員室など金を渡されても入りたくないエリアだ。

 文化祭がもうじき近い。だが、生徒からも教師からもあんな視線を向けられるくらいなら準備も本番もフけてしまった方がいいと早々に結論付けて昇降口に急ぐが、その間にも周りの教室は一週間後に迫った文化祭に向けて着々と準備を進めていた。まだ大掛かりなことをしているクラスはないものの、小道具の準備や当日の役割分担などについてはどのクラスも話が進んでいるらしい。

 だが、活発な話し合いも楽し気な準備も、晶が視線を向けたとたんに凍り付いたかのようにぴたりと止まってしまう。何気なくあいているドア越しに少し中を覗いただけでだ。そう気づいた瞬間に晶はさっと視線を下に向けるとまた黙々と歩きだした。


 (俺には無理だ……あの中には入っていけない)


 わかりきったことの確認はもう何度目だろうか。数えていない晶が昇降口にたどり着くと、何やら聞き覚えのある声が耳に届いてきた。


 「だからさぁ、わたしたち用事があって忙しいのよ。悪いけど、一人でやってくれるぅ?」

 「そうそう! 同じクラスのよしみでさぁ。キャハハッ」


 そこに居たのは昼休みに見かけた三人だった。だが壁際に半円を作るように固まっており、どうやら三人がかりで誰かを追い詰めているらしい。


 「で、でも文化祭の準備は全員でやるって先生が……」

 「用事があるって言ってるでしょ!? 何回言わせるのよもう」


 晶の想像した通り、三人は寄ってたかって誰かを追い詰めているようだった。不愉快なだけと悟った晶はその方向に視線を向けないように足早にその場を立ち去ることに決める。


 「だ、大体用事ってなんですか? 文化祭はもう一週間後なのに、なんで……」

「うるさいわねぇ。用事は用事よ。なに? なんであんたにプライベートなことまで放さないといけないのよ」

 「そうよそうよ! あんたは黙っていうことを聞いていればいいのよ」


 耳障りな糾弾の声を無視する。当事者でないこちらまで不愉快になるような口調に耳をふさぐ。聞いたところで何にもならないからだ。


 「でも、私ひとりじゃクラスの人たちがいうことを聞いてくれるか――」

 「はあ? あんた他薦で実行委員に選ばれて引き受けたわよね。今更逃げるの?」

 「押し付けられただけでしょ? キャハハ、カワイソー!」


 吐き気のするような笑い声を無視する。自分には関係ない。そう言い聞かせて。


 「だ、大体飯島さんは手伝うってみんなの前でいったくせに……」

 「クセに? ちょっと、アンタ何様のつもりなわけ? 何上から目線で言っちゃってるの?」

 「ほんと! 女子は見下す癖に男受けを狙って胸ばっかり無駄に大きくして、頭の方はスッカラカンなんじゃないの?」

 「そんな……」


 生まれ持った体をあげつらう声に心をふさぐ。自分のことではない。だからみじめにならなくていいと言い聞かせる。


 「ちょ、ちょっとくらい助けてくれても……」

 「アーアー聞こえないきこえませーん」

 「もう行こ。こんなのにかまってても時間の無駄だし」

 「そうねー。ついでにあんたが生きる分の資源全部無駄よね。死んじゃえば?」


 生きていることを否定する言葉を無視する。あの女に向けられたのであって自分ではない。

 “自分には関係ない”


 「…………」


 だというのに、晶は少し心配になってしまった。後味が悪いと思った。夢見が悪いと、そう感じた。下駄箱から顔だけを出して覗き込むように、そっと声の方向を見る。


 「な、なに!?」


 三人の中では一番派手で声の大きかった女が晶の方を振り返る。下駄箱から顔をのぞかせる晶にぎょっとしつつも性根が他人よりも強いから、それとも他に二人仲間を引き連れているからか珍しく晶の威圧感に怯まなかった。


 「な、なによ。何見てんのよアンタ」

 「やだ。ちょっと芽依、こいつ、あの竜胆じゃあ……」

 「うそ、あいつ職員室にいるんじゃなかったの!?」


 どうしてだか、三人とも晶の名前を知っていた。そのことに晶は驚いたが、だがそれ以上に晶をその場にくぎ付けにし、固まらせたのは三人ではなかった。

 晶の方を見て動揺する三人の背後から、詰め寄られていた女子生徒がおびえた様子で晶を見ている。よく見ればその女子生徒は、昼休みにトイレから飛び出して晶にぶつかった女子生徒。弁当箱の落とし主だったことに晶は気づいた。


 (ヤバイ。目が合って――)


 うっかり……本当についうっかり。晶は女子生徒と目を合わせてしまった。ドラゴンの視線封じにサングラスをかけている晶だが、それでも視線を合わせるのは危険だ。特に彼女のような気の弱い人間では気絶させてしまいかねない。

 しかし


 (あれ。なんともない……のか?)


 気絶するでもなく、おびえた様子が更に酷くなるでもなく。

 しかし晶には分かった。普段からおびただしい程の視線を向けられている晶だからこそ、彼女が自分に助けを求めていることが分かった。


 「――ッ!」


 助けを、求められた。それは晶にとっては家族以外では初めての経験で、同時にだからこそすぐに判断を下すことはできない。助けたところで自分にとっては何にもならないのではないかという疑問。下手に手を出せばドラゴンの眼の威圧感のせいで自分が誰かに悪者扱いされるのではないかという懸念。今までさんざん自分をのけ者にしていたくせに今更助けを求めるのかという自分でもわかるような場違いな怒り。

 多くの感情が晶を飲み込む。目のせいで自分は好かれないという諦観が二の足を踏ませる。だが――


 「…………」

 「ヒッ、な、なによ! 来るんじゃないわよ!」


 晶はそれでも前に踏み出した。ただでさえ自分は悪くみられやすい。その気がなくても周りを威圧し、人には避けられる。それもこれも、全部ドラゴンの眼のせいだ。

 だからだ。それは、いわば晶の肉体の問題であって、彼自身の性根の問題ではない。体がこうだからと言って、目の前で困り果てている相手を見捨てられるほど晶は腐り果ててはいなかった。


 「なあ、何をしてるんだ? なんでお前はオレの名前を知っているんだ? てか、誰?」

 「は、ハァ!? お、同じクラスでしょ。同じ二年B組の!」

 「え、そうなのか。で、結局名前は?」

 「ええ……」


 女子生徒は拍子抜けした様子で飯島芽衣と名乗った。晶が視線で促すと、飯島の他二人もそれぞれ鳥塚とりつか真紀まき袋田ふくろだ東子とうこと名乗る。

 最後に、三人に囲まれていた女子生徒は鵜飼瀬奈という名前だった。全員の名前を確認したうえで、改めて晶は何があったのか尋ねた。


 「いや、あんたもいたでしょ。文化祭よ。こいつ実行委員に選ばれたくせに仕事したくないってふざけてるのよ」

 「そ、それは、だって、私ひとりじゃ……」

 「ま、あんたみたいなネクラじゃねぇ。結局男子生徒もだーれも手伝おうとしなかったし?」

 「そういう事でしょ。と言うわけで、あんたも手伝わないなら関係ないでしょ? 帰ってくれる?」

 「そうよ! あんただってずっと寝てたじゃない!」

 「悪いけどかえってくれる? それとも何? ヒーロー気取り?」


 晶が思ったよりも大したことがないと判断したのか、飯島が高圧的に晶に迫る。それに合わせるように鳥塚と袋田が晶をなじった。

 だが晶はその場を引かない。一歩も後退せず、むしろ三人に向かって一歩踏み出した。その様子に今度は飯島達三人がたじろぐ。


 「要するに、鵜飼は手伝ってくれる奴がいなくて困っているのか。男子の実行委員もいないせいで渡りをつける方法もないと」

 「う、うん。そうだけど……」

 「だったら。俺がその実行委員を引き受けてやるよ」


 つい、としか言いようがないほどに。晶は半ば反射的にそう口にしていた。


 「え!?」

 「はぁ!?」

 「なんだよ。何か文句でもあるのか」

 「い、いや、それは……」

 「どうせ男子は誰も実行委員をやろうとしなかったんだろ? それなら、俺が引き受けてもいいはずだ」

 「そ……そうだ! 竜胆、あなた今朝問題行為を起こしたばかりじゃない! そんな人に、実行委員なんかやってほしくないんですけど!」

 「じゃあ他に代案でもあるのか? 男子は立候補しなかったんだろ。それとも飯島、お前まさか文化祭を失敗にさせようって気なのか?」

 「ぐ……」


 飯島がいよいよ言葉に詰まる。悔しそうに歯がみすると、ふんっと鼻を鳴らして晶たちに背を向けた。


 「じゃあもうすきにすれば? 言っとくけど、あんたたちのいう事なんて誰も聞かないだろうから!」

 「ちょっと、芽衣! 待ってよ!」


 そそくさと立ち去る飯島を取り巻き二人が慌てて追いかける。やがて静けさを取り戻した昇降口で、瀬奈は晶に向き直ると開口一番に「ごめんなさい」と謝罪の言葉を口にした。


 「なんで謝るんだよ。俺、勝手に手伝ってるんだぞ」

 「でも、私のせいで、竜胆君をまきこんじゃって……」

 「だから、俺は勝手に巻き込まれに行ったんだって。それにお前、俺に助けてほしいって思ってたろ」

 「え?」

 「そういう目をしてた……ところでこの後時間あるか? 一応、俺が実行委員になったこと、国崎先生に話を通しとかなくちゃいけないだろ」

 「あ、待って! 今行く!」


 晶が職員室に足を進める。その背中を、瀬奈は少しの間見つめるとはっと慌てて我に返ると追いかけていった。



 「失礼します」

 「し、失礼します!」


 二人そろって職員室から退室する。一日に二度も職員室に入る羽目になるとは思ってもいなかった晶だったが、男子生徒が誰も立候補しなかったことや、文化祭までもう二週間を切ってしまっていたことが後押しとなり、晶は無事二年B組の文化祭実行委員の立場に収まることが出来た。

 まだ学校は開いているが文化祭当日までは時間が少ない。早速二人は図書室で文化祭について話し合うことにした。


 「……話し合う前に聞いておきたいことがあるんだが」

 「え? 何?」

 「お前、俺のことが怖くないのか?」


 この時も晶は視線を伏せたまま席に座っていた。今図書室には晶と瀬奈以外は誰もいない。受付に職員が一人いたが、晶が入ってきたと単にそそくさと姿を消してしまっている。


 「怖いって……竜胆君が不良だってこと?」

 「そうじゃない。それよりもっと……こう、根本的に、本能に訴える感じの……」


 言いよどむ晶だが、実のところドラゴンの眼が発するプレッシャーがどういったものなのかは端的に、一言で言い表せる。ただそれを口に出すのが、かなりおかしいことであるだけで。


 「命が危ないとか……感じないか?」

 「えぇ?」


 晶の予想通り、瀬奈は怯えながらも困惑したような顔になった。普段全く話さない有名な不良のクラスメイトがいきなり自分の手伝いを申し出た上に、自分から命の危機を感じるなどとわけの分からないことを言い出しているのだ。余計に彼女を混乱させてしまったと晶は後悔した。


 「あぁ……悪い。やっぱり気にしないでくれ」

 「うん……えっと、それじゃあ文化祭のことだけど、竜胆君は聞いてなかったみたいだから一から説明するね」


 晶は瀬奈から手早く文化祭についての説明を受けた。出し物はお化け屋敷。準備のためにやることは多く、教室の設営や衣装の準備、演技の練習などなどだ。

 無論、準備から当日のシフト設定までクラス全体で協力し合う必要がある。だが、授業時間中は飯島が茶々を入れ続けたせいでロクに話が進まず、放課後も何故か全員協力的な姿勢を見せなかったため見通しが立たない状態だったらしい。担任の国崎も不在だったため八方ふさがりだったと瀬奈は語った。


 「なあ鵜飼。どうしてみんな協力しなかったんだ?」

 「わかんない。私が話しかけてもみんなよそよそしくて……」

 「うーん……?」


 瀬奈の口からそれ以上情報を得られそうにはない。仕方なく晶は今後の方針を打ち出していくことにした。


 「文化祭までは残り二週間ちょっとか。一人ひとり説得していく時間はないし、最低限協力してほしい奴に声をかけたらどうだ?」

 「協力してほしい人? うーん……」


 瀬奈は少しの間考え込むと、何人かの名前を挙げた。


 「そいつらが?」

 「うん。演技と衣装とメイクの相談ってなると、演劇部の力が必要だと思うから」

 「よし。明日から声かけてくぞ」

 「…………」

 「どうした?」


 予定が決まったというのに、瀬奈の浮かない顔は一向に晴れない。それは、晶が手助けする理由が不明なので不振がっているというだけが理由ではなさそうだった。


 「あのね、一度はクラス全員に声をかけたって言ったでしょ? でも、皆から断られちゃって……もう一度行っても引き受けてくれるかどうか……」

 「……それなら、俺の方からいうのはどうだ?」


 自分が嫌われ者で恐れられていることは知っている。だからこそ、押しの弱い瀬奈よりも断れば何をされるかわからないと思われている晶の方が、晶の心情はともかく頷いてもらえる可能性はあるというのが彼の提案だ。


 「いいの? 私の為に……」

 「ああ、いいよ。嫌われてるのは今更だし」


 晶は話を切り上げると席を立った。


 「じゃあ、明日な」

 「うん……よろしく」


 晶が図書室から出ていく。その背後に瀬奈からの疑念や困惑……若干の不信感の視線を、気味悪く受け止めながら。

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