夜遊びという伝統の継承

山内一正

夜遊びという伝統の継承

僕は、その日池袋西口の繁華街で、上司である宮本さんと飲んでいた。上司の宮本さんは西武池袋線、僕は高崎線なので、普段は池袋まで一緒に帰ることが多かった。宮本さんがなんとなく飲みたそうにしているために、池袋で降りて飲みに行くことも給料日の後とか、たまにあった。次の日が休みの僕は、すごく飲みすぎており、宮本さんの誘いに応じてフラフラとその店の前まで来てしまった。

「おい、着いたぞ」

「ここどこですか」

「俺の行きつけの店だよ」

「バーですか?」

「あれだけ飲んでバーのわけないだろ。ピンク系の店だよ」

「ピンク系って?」

「よく見ろ」と宮本さんは僕の顔を店の看板のほうにむける。そこには「ソープランド『徳川家康』」の看板がある。

「あの、僕まだ童貞なんですけど」

「そうか。ちょうどいいな。実は俺も二十年前、会社の上司に連れられて、ソープに行って、童貞を捨てたんだ」と宮本さんは懐かしそうな顔をする。

「初めてくらいは好きな人に捧げたいです」

「そんなこと言ってるから、童貞なんだよ。先輩におごってもらった分、今日は俺がおごるから。これは伝統だよ」

「会社の伝統ですね」

「そうだ」

 伝統とまでいわれてしまっては仕方ない。僕は、宮本さんに連れられ、自動ドアから店内に入る。ボーイがやってきて、赤い絨毯と革張りの待合室に通される。ボーイは五十くらいの管理職のサラリーマンでも通用しそうな白髪交じりの眼鏡の男だった。ボーイから今空いている娘の何枚か写真を手渡されたが、画像処理されており、顔がぼやけていてよくわからない。

「どうする」宮本が聞いてくる。

「顔がぼやけていてよくわかりません」と答える。

「確かにな。指名しないでフリーでいいか」

「はい」

「二人ともフリーで」と宮本が店員に告げる。

しばらくして、店員に番号で呼ばれた宮本が立ち上がる。

「頑張れよ」と肩を叩いて、行ってしまう。僕の番号が呼ばれた。ボーイに促されて部屋に入る。六畳くらいの広い浴室だった。ドアを開けると、二十歳くらいの女の子が立っている。

「理央です。今日はよろしくお願いします」と手を握ってくる。僕も理央の手を握り返す。理央はぎこちなく笑う。シャワーを出す。

「シャワー熱くないですか」と僕の手にシャワーを掛けてくる。

「ちょっと熱いかな」と僕は答える。

「これくらいでどうですか」

「ちょうどいい」

 理央は僕の身体にボディーソープを塗って、僕の身体に抱きついて、体を左右に揺らす。僕はいきなり射精して、そのまま萎れたままだった。頑張ってくれたけど、僕はもう大丈夫夫だからと言って、浴室の隣のベッドルームに行き、二人であおむけに寝た。理央は疲れていたらしく眠りに入り、僕もいつの間にか寝てしまった。タイマーの音で飛び起き、急いで着替えて、待合室で待っていた宮本さんと一緒に店を出た。


 僕はその日、夢を見た。昔見た時代劇のセットで出てきた江戸の町を僕と理央の二人で歩いている。とても暗いので、僕と理央の顔しか見えない。「御用だ。御用だ」という声が聞こえる。どうやら追っ手に追われているらしい。二人は駆け足になった。人影のない橋にたどり着く。川は増水しており、流れは速い。僕の口から自然に言葉が漏れる。

「この世では結ばれない運命なんだ。だから来世で結ばれよう」

「はい」と、理央は思いつめたように、うなずく。僕と理央は橋の上から手と手を取り合って飛び込む。目が覚めた。


 理央にもう一度会いたいと思った。僕はスマホを取り出し、今日行った店のサイトにアクセスした。お店のトップページに「新入店の理央ちゃんはしばらくお休みになります」という文字が載っていた。早朝から営業しているその店にスマホで電話することにした。

「もしもし、理央さんは今度いつ出勤しますか」

「あー、理央さん、もう出勤しないよ。退店したから」

「えっ、お休みって」

「すぐ退店って書くのも都合が悪いからお休みってしといたんだ」

「あのー、差し支えなければ次の店の名前を教えていただけますか?」

「いや、プライベートなことだから、もう風俗を辞めるとか、次の店に行ったとか教えられないよ。わかってよ。前にも別の子にストーカーとかいて大変だったからさ」

「わかりました」

 夢に出てくるということ、これは運命である。僕は店のサイトにある理央の顔写真でネットの画像検索をしてみた。やはりさっきの店以外の情報は出てこない。次に、「風俗嬢 人探し」という言葉をネットで検索した。「大宮探偵事務所」という探偵事務所が見つかった。そこに記載されている番号に電話してみる。

「はい。大宮探偵事務所」と男の声。もしかしたら、一人で営業してるのかもしれない。

「あの人を探してまして」

「なるほど」

「どのくらいのお金がかかりますか?」

「まぁ、とりあえず三十分で三千円という金額で、お試しの相談に乗るから、それにしたら」

「それにします。だいたい十一時頃は空いてますか」

「大丈夫だよ。では、お待ちしています」

 僕はすぐに着替え、電車で十数分掛けて、大宮駅に向かった。


 住所に行くと、スナックやガールズバーばかりある雑居ビルの一室の案内板に「大宮探偵事務所」という文字があった。入っていくと、五十がらみの男が椅子にソファに座っていた。

「電話してきた。村山さん?」

「はい」

「大宮探偵事務所の大宮三郎です。大宮にあるから大宮探偵事務所だとおもわれているけど、名字が大宮だから大宮探偵事務所」

「そうですか」

「で、どんな人を探してるのかな」

「昨日の夜、池袋にある『ソープランド徳川家康』という店に行きました」

「で、その店の女の子に惚れたのだな」

「なんでわかるんですか」

「そういう依頼はいっぱいあるから。で、その女の子の素性を調べてくれと」

「その娘が急に退店しちゃったので、連絡先も聞けなかった…」

「まぁ、そういう依頼を受けないこともないのだけど」

「じゃあ」

「ちょっと筋が悪いのよ。あの店は池袋の杉山組がケツモチだから」

「杉山組?」

「杉山組っていうのは池袋のあの辺を管轄しているヤクザだよ」

「そういえば聞いたことあるような。なんかの掲示板でそんな話を読んだような」

「ソープというのは昔からの建物じゃないと免許が取得できないから、ああいう店には昔からのヤクザがついてるんだ」

「じゃあ」

「そういうことだよ。俺みたいなしがない探偵がそんな店を探ったりしたら、今後の営業に差し支えるんだ」

「ほかの探偵さんでも」

「悪いけど、あの店のことだったらあきらめたほうがいいよ。あの組と揉めたい探偵なんて一人もいないから」

「どうにもならないですか」

「そうだね。あきらめてくれ。では、相談料三千円になります」と急に事務的になって大宮が言った。


 その日は鬱々として何もする気になれなかった。ベッドで寝転がっているとまた夢を見た。昔、五社英雄の映画で見たような吉原の座敷に僕と理央が寝ていた。

「前世で俺たち二人は夫婦だったんだ」と僕は理央に言う。

「だから私たちは惹かれあったのね。なのに、私のおとっつぁんが…」

「君のおとっつぁんは悪くねえ。君の将来を考えて太い客に嫁がせようとしてるだけだ。水揚げさせられねえ、おいらが悪いんだ」

「いいの。また来世で夫婦になればいいんだから」

 僕と理央は手を取り合ってお互いの顔を見た。理央の目から涙が流れている。


起きてるときは、理央のことを考えてしまうし、寝てるときは理央の夢を見る。散々な休日を過ごしたあと、出勤した。朝礼のあと、早速宮本さんが話しかけてきた。

「お前、ひどい顔してるぞ」

「そうですか?」

「この前、楽しくなかったのかよ。おごってやったのに」

「楽しかったですよ」

「じゃあ、何で」

「楽しすぎて、またあの娘に会いたいと思ったら、店を辞めてて」

「よくある話だなぁ」

「僕の運命の女なんです」

「女なんて、星の数ほど、いるよ。お前、今日遅刻しただろ。罰として今日付き合ってもらうからな」

「えーっ」

また、宮本さんに池袋駅で下車されられ、やきとん屋でしこたま飲んだあと、繁華街のキャバクラが立ち並ぶ通りまで連れてこられた。

「ここだ」と宮本さんが看板を指差す。看板には「キング」という文字。キャバクラのようだ。

「失恋したら、また別の女を見つけりゃ、いいまでよ」

「そんな乱暴な」

 宮本さんの隣に女の子が付いた。ずいぶん派手な女の子だ。専業と言っていた。僕は所在なく座っていた。ボーイが新人の女の子を連れてきた。薄暗いなかで、近くに来て、顔を見えた。その女の子は、理央だった。

「はじめまして。理央です」

「はじめまして。運命の男です」

僕は深々と頭を下げた。

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