第二十九話 『報い』

「あいつ本当にむかつくんだけど。何様のつもりなのよ。ホームラン打ったからって偉そうに。エラーして戦犯にでもなればいいのに」


転機は杏菜のこの一言だった。まあまあ、となだめる優太の気遣いも虚しく、事件は起きてしまった。


試合は1対0のまま8回表まで進んでいた。明日香ののらりくらりとした投球術に、相手は完全に飲まれている。対して紫陽花高校打線も、伊織のホームランでの得点のみに抑えられていた。伊織は2打席目以降もヒットを打ってはいるが、打線が上手く繋がらない。


明日香の投じたスローカーブをバッターが引っ掛けた。打球は高く弾み、ジャンプする明日香のグローブを弾いた。二遊間への当たりかと思われた打球は方向が変わり、三遊間へと転がった。ショートの伊織がグローブに収めたときには、既に内野安打となっていた。


「なんで触ったんだよ。おれのボールだろ」


伊織が明日香にきつく当たる。自然と内野手がマウンドへと集まった。


「おいやめろよ。今のは仕方ないプレーだろ」


悠大が明日香のフォローをする。たしかにこれは責められるべきプレーではなかった。仮に明日香が触らなかったとしても、打球は高く弾んでおり、内野安打となっていた可能性は十分にあったのだ。


「次からは全部おれに任せとけばいいから。わかった?」


伊織はそう言うとそそくさと持ち場へと戻っていった。マウンドへ残された野手は重い空気にうんざりとしている。


「まぁ切り替えていこう。明日香もかなり疲れてるだろうし、みんなでしっかり守っていこう!」


「おう!」


優太の励ましに、一同が声を揃える。



次の打球も伊織の正面へ飛んだ。伊織は逆シングルで捕球すると、くるっと反転してセカンドへと送球した。しかし優太は送球に反応することが出来ずライトへと転々と逸れていった。近い距離のはずが伊織の送球は速すぎたのだ。ライトを守る頼人がカバーリングに回っていたが、既にファーストランナーはサードまで達しており、たちまちノーアウト1・3塁の大ピンチとなった。


「なんだ今の送球は!!」


悠大がタイムを要求した後、伊織の元へ詰め寄った。


「ダブルプレーを狙うには、あれくらいの送球は捕って当たり前だろ。下手くそすぎる」


「お前、もっと思いやりを持てないのか!いくらなんでもあんな球捕れるわけがないだろ。いや、もういい。好きにしろ」


そう言うと悠大は再び試合に戻った。本当の事件はここからだった。


相手の4番バッターが放った打球は、またもや平凡なショートゴロとなった。素早くチャージして捕球すると伊織はバックホームをした。


ガシャーーン!


ボールはバックネットに突き刺さった。悠大は顔を真っ赤にして怒り狂った。


「お前、もう試合から降りろ!!」


悠大はそう言ったが、優太は伊織の様子がおかしいことに気がついた。


「伊織、なんかあったか?」


優太が伊織の元へ駆け寄る。


「い、今…。今はちゃんとバックホームしようとしたんだ。でも急に力が抜けて…」


「さっきまでとは別人みたいだな!」


悠大が冷やかす。しかし当の伊織からはそれに歯向かう余裕すらも失われていた。


「とにかく。同点に追いつかれたんだ。この回最小失点で終われるように次はダブルプレー取るぞ」


優太が伊織と悠大をなだめるように言う。


「おう」と返事をする伊織は、顔面蒼白となっていた。これではまるで本当に別人のようだ。



キンッ!


バッターが打った打球は優太の所へ飛ぶ。優太はしっかりと捕球すると、セカンドベースへ入った伊織へトスした。伊織が捕球してワンアウト。そしてファーストへ送球した。


「!?」


全員が困惑した。伊織の送球は地面へ叩きつけられるようにして、ファーストを守る海斗の遥か遠くへ転がっていった。


「あれ…自分…。どうしたんだ…」


伊織の顔はもう今にも泣き出しそうになっていた。

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