第二十八話 『打線と呼ぶにはまだ遠く』

「1回の裏、紫陽花高校の攻撃は、1番センター木下くん」


雅也が先頭のバッターボックスに入る。相手ピッチャーがワインドアップからストレートを投げ込んだ。大きな音をたててミットに収まる。


「えっ?」


雅也の顔が一瞬にして凍りついた。それもそのはず、中学生が投げるようなスピードではなかったのだ。スピードガンがあれば130キロは計測したであろう速球に、雅也は手が出なかった。


2球目も真ん中付近へスピードボールが投げ込まれる。またも気持ちの良い音をたててミットが鳴る。雅也はいとも簡単に追い込まれてしまった。


「速いな…。でも合わせることぐらい、おれにだって出来るはず」


雅也はバットを少し短く持ち替え、バッターボックスの後ろ側へと下がる。そして3球目、三球三振を狙ったストレートは高めいっぱいのコースへ投じられた。


キンッ!


雅也のバットが速球に食らいついた。打球はバックネットへと食い込んでいる。そして4球目、5球目と同じようなファールが続く。ここまでくれば根比べだ。雅也は目の色を変えていた。


「木下ー!負けてないぞ!食らいつけ!」


ベンチからは応援の声が上がる。しかし雅也はそんなことも気が付かないくらい、集中していた。6球目、相手ピッチャーの投じたボールは、内角低めギリギリいっぱいを目掛けて進んでくる。


「…!!もらった!」


タイミングを合わせていた雅也は、ボールを捉えたと思った。

しかしそうは甘くなかった。ボールはホームベースを通過する瞬間にストンと沈んだのだ。ショートバウンドしたボールが巻き上げた砂とともにミットに収まる。


「ストライクバッターアウト!」


キャッチャーが雅也にタッチし、勝負あり。130キロ台のストレート5球に、鋭く落ちるフォークボール。相手ピッチャーの手のひらの上で、上手く料理されてしまった。その様子を見ていたベンチは、一気に暗いムードが漂い始めた。


バッターボックスに2番の頼人が入る。ピッチャーはたったの3球、しかも全球ストレートで三球三振を奪って見せた。頼人はバットに当てることも出来ず、見せ場なく終わった。


「3番、ショート田沢くん」


初めて見る伊織の打席は、とてつもなく風格があった。細身ながらどっしりとした構え、懐の深さに妙な落ち着き、どれもスラッガーのそれである。


伊織は完全にストレートに照準を合わせていた。1球目、ピッチャーは同じようにストレートを投げ込んだ。決して大振りではないコンパクトなスイングから、信じられないような弾丸ライナーを打ち返した。


ぐんぐんと伸びていく打球はセンターの遥か頭上を越え、部室棟の屋根に当たって跳ね返ってきた。


「ほ、ホームラン!!」


塁審がグルグルと腕を回した。伊織はあくまでクールを装いながら、ゆっくりとダイヤモンドを回った。


「ナイスバッティング!伊織!」


優太たちが出迎える。


「あんな球くらい打てるだろ、普通に」


出迎えた選手たちは気まずくなった。伊織は本心でこんなことを言ったのではない。伊織の悪い癖で、照れ隠しで言った言葉が周りの人たちを傷つけてしまうのだ。


「ま、まぁ、この調子でどんどん行こう…!」


優太が盛り上げる。…がその掛け声の裏で、4番の海斗が初球を打ってのライトフライに倒れていた。


「あ、あれっ…。いつの間にか3アウトになってるし」


何はともあれ、なんだかぎこちないスタートを切った紫陽花打線は、伊織のソロホームランによってチーム結成後初めての得点を奪ってみせた。

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