第二十一話 『ストライクすら遠く』

あまりに無垢な笑顔だった。優太は頷くことしか出来なかった。途端に優太の脈が速くなり、呼吸が浅くなってきた。

そこからのことは正直優太は覚えていない。気づくとマウンドに立っていた。キャッチャーはおらず防球ネットとバッターが目の前に構えている。汗が止まらない。上半身が強ばり指先からは握ったボールの感覚が伝わってこない。


「あぁ、またこれか」

優太は打ちひしがれた。マウンドに立てばいつもこうだった。まともな投球が出来る気がしない。イメージすら湧かない。

「おい早くしろよー」

悠大だろうか、誰かが急かす声が聞こえた。優太は渋々プレートに足をかけた。中学の頃、少しでもコントロールを良くしようと考えた苦肉のセットポジション。そこから左足を上げ、ど真ん中に狙いを定める。ややグローブを抱え込むようなフォームから精一杯のストレートを投じた。


どうかストライクを。

神様に祈った。


ガンッ!

優太の指から離れたボールは悠大の後頭部に直撃した。

跳ね返ったボールは転々とし、優太の足元まで戻ってきた。悠大はその場に倒れ込んだ。守備についていた選手らは立ち尽くしている。

ハッとして駆けつけた時には、悠大は起き上がっていた。


「ごめん」

優太は頭を下げた。いずれこうなることはわかっていたのだ。明日香の言葉を断らずにマウンドに立った罪は重いと思った。

「大丈夫、大丈夫。かすっただけだから」

しかし悠大は呆気からんとしOKのサインを周囲に送っている。


「ただ、さすがにピッチャーは別の人にお願いしたいかな」

人の良い悠大が申し訳なさそうに言う。それが逆に優太にとっては辛く感じた。

たった1球だけを投げてマウンドを降りることになった優太の背中はとても小さくなっている。


「あとは頼んだ」

優太は明日香にボールを手渡す。明日香も責任を感じているようだった。まさかこれほど重症だとは考えなかったのだろう。

「ごめんね」


優太は何も答えなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る