第十三話 『気づいてしまった?』
「……くん、優太くん!そろそろ起きてよー」
声が聞こえる。明日香の声だ。突っ伏したまま顔だけ上げたものの視界はまだぼんやりとしている。適度な気温と心地よい春風によって優太はいつしか眠っていた。
「ねー!授業とっくに終わったよー」
授業中で静かだった教室は、気づいた頃にはざわついていた。黒板の上に掛けられた時計を見ると、既に16時20分になっている。どうやら5限目の途中から6限の終わりまで眠り続けていたらしい。優太の1つ前の席に座った明日香は椅子の背もたれに顎を乗せ、その大きな目で優太を覗き込んでいる。とても綺麗で丸い瞳をしている。白く柔らかそうな肌、そして髪からは少しいい匂いが風に乗って流れてくる。優太は体勢を変えずに眠そうなふりをしてしばらく明日香の顔を眺めていた。明日香は優太と目を合わせて反応が薄いことを改めて確認すると、痺れを切らした明日香は優太の腕を揺すった。
「早く顧問の先生探しに行こうよー」
優太は名残惜しさを感じながらも、明日香の招きにに応じた。優太は鬱血して赤くなった顔を上げると、明日香に引っ張られるままに教室を出た。手招きを受けた杏菜と雅也も当然のように後に続く。
駆け足で廊下を移動していると、見慣れた背中があった。優太たちのクラスの担任教諭である川上先生だ。メガネをして少し髪のはねた細身の先生で、地味ではあるが優しくて良い教諭という印象だ。優太たち4人で進行方向を塞ぐようにしてその川上先生を取り囲む。
「野球部作りたいんですけど顧問になってくれませんか」
明日香が単刀直入に話しかける。川上先生は話が見えないようで戸惑っている。
「えーと、野球?ルールもわからないけど」
見た目の印象そのままに、体育会系とは程遠いらしい。先生はうーん、と唸ったあと、少し面倒臭そうにしながらも渋々助け舟を出した。
「部活を作るんなら、申請用紙を渡すから職員室に付いてきて。顧問は学校側が用意することだからね」
川上先生は包囲をかいくぐりながらあくまでクールに話す。明日香は目を輝かせながら頷くと、3人を引き連れて職員室まで先生について行った。職員室に入り川上先生は窓側左から2番目の席に座ると、袖机から「部活動新設申請書」と書かれた用紙を取り出した。
先生に渡されたボールペンを手に取ると、明日香は女の子らしい丸みを帯びた文字で空欄を埋めていく。明日香は代表申請者の欄に優太との連名で書きこんでいく。川上先生は書き終えたのを見届けるとその用紙を手に取り、自らの印鑑を押すと奥の方で暇そうにしていた教頭の元へ提出した。あとは受理されるのを待つだけだ。優太たち4人は川上先生にお礼を言って職員室を後にした。
軽く挨拶をしながら職員室の扉を閉めると、優太はほっと一息ついた。
「明日香は本当に突っ走る癖があるよな」
優太は明日香に振り回されることに少し疲れながらも、明日香の行動力に関心していた。思い立ったらすぐに行動をする。しかも考え無しで動くわけではなく、理屈もしっかりと通っている。それが自然にできるのだから彼女は凄い。
「優太くんは色々考えすぎるタイプよね」
そうは言ったが、明日香は優太のことを相棒のように思っていた。明日香は突っ走りすぎてしまう癖があることを自覚していた。熱くなった頭をクールダウンさせてくれる人、そういった存在はとても大切だということもわかっていた。しかし優太は、明日香にそう思われていることに微塵も気づいてはいなかった。むしろネガティブなやつという印象を持たれているとばかり思っている。
「これはもしや、ラヴですな?」
そう言って冷やかす杏菜の口元は緩みきっていた。優太と明日香は顔を赤くしながら否定する。しかしお互いどこか満更でもないような気持ちになった。
「でもでも明日香は私の愛する人なんだからねっ?荻野くんには渡さないよっ!」
いつも通りぎゅっと明日香にしがみつく。明日香は「はいはい」と慣れた手つきで杏菜の頭を撫でている。優太は自分の心に明日香を大切に思う気持ちがあることに気付かされていた。呆気にとられっぱなしの優太は、この場面以降のことをあまり覚えていない。この後も何か会話をしながら下校し、電車に乗り込んだところでやっと我を取り戻した。
「おれ、もしかしたら明日香のこと…」
明日香を思い出すと、自然と顔がにやけてしまう。
優太はひとり電車内でにやける、怪しい人になっていた。
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