第十一話 『誰のために野球をする?』

仕切り直して翌日の朝、優太は気合いの入った表情で教室の扉を開いた。明日香がまだ来ていないことを確認すると、一番窓側の後ろから2番目の席に着く。優太は昨日集まった入部届けを取り出すと、もう一度枚数を数え直した。よし、自分と杏菜のものも合わせて9枚ある。そう改めて確認し気持ちを落ち着かせていく。

紫陽花高校での部活動の設立には最低5人の生徒と1人の顧問が必要で、安定して活動することの出来る場所と合わせて生徒手帳の部活動規則欄に明記されている。メンバーの数では条件を満たしているが、顧問とグラウンドの確保も確実にしなければならない。共学になったことで新たに設立される部活動は野球部だけではないだろう。他の部に取られてしまう前に何としても囲いこんでおきたい。優太の手には自然と力が入る。自分のためより、今度こそ明日香の役に立ちたかったのだ。

机に引っ掛けた鞄からメモ帳と筆記用具を取り出すと、目標リストと題した文章を書き始めた。1つ目は「今年の夏の大会に出場すること」、2つ目は「明日香を公式戦の舞台に立たせること」だ。


「よし、まずは1つ目だな」

改めて今の目標を頭の中に叩き込むと、昨日預かった入部届けから名前とクラスを確認していく。優太と同じクラスには明日香と杏菜以外にもう1人いた。木下雅也というらしい。あまり印象にはなかったが、確か最初の自己紹介の時に野球経験者だと言っていたような気がする。席は優太のひとつ右側の前から2列目である。

「経験者か…。そういえば大橋くんって何であそこまで嫌がったんだろ」

昨日のことを思い出す。ふと辺りを見渡すと、8時20分を過ぎて教室は賑やかになってきていた。すると廊下からは杏菜の声が聞こえてきた。やがて教室へと入ってくると、杏菜が男子と2人で登校していることがわかった。杏菜は優太に気づくと、おはよっといった具合で軽めの挨拶を交わす。男子生徒も席に着いた。この人が雅也だった。雅也は眼鏡の似合うインテリ系といった雰囲気で、野球をするにしてはやや細めの体型だ。優太は席を立ちそっと杏菜に近づくと、小さめの声で質問をした。

「あの人って知り合い?木下くん、だっけ?」

「幼なじみだよ。明日香が野球部作るって張り切ってたから無理やりこの学校に連れてきた。人数合わせぐらいにはなると思うよ」

けろっとした表情で杏菜は返答する。そんな理由で連れてこられた側はたまったものでは無いだろう。

「雅也、ちょっと来て」

杏菜が呼びながら手招きをする。まるで女王様である。呼ばれた雅也はというと、満更でもなさそうな表情である。

「あーちゃんどしたのー?」

雅也はこちらへ近づいてくると、優太の方へちらっと横目で視線を送った。優太は何となく2人の関係性を悟った。雅也は杏菜に惚れているのだ。ぱっと見ただけでわかるほど露骨だ。そして杏菜はそれをわかっていながら上手く彼を扱っている。優太は少し引き気味で2人を視界の中に入れながら、挨拶をする。

「昨日も挨拶したと思うけど、荻野優太です。入部届け出してくれてありがとう。これから3年間よろしく」

優太は手を差し出す。雅也も口を開く。

「僕は木下雅也。野球は小学校の時からやってる。ポジションはセンターで、見た目通りパワーはないけど足と頭脳プレーには自信があるよ」

優太の差し出した手を雅也の手ががっちりと繋ぐ。雅也の手は見た目以上に分厚かった。相当バットを振り込んでいるのがわかる。朝礼前の予鈴が鳴り始めた。

「2人とも今日の放課後は空いてる?顧問を探すために担任と話をしようと思うんだけど、協力してくれない?」

「私も一緒にいくよん」

教室の扉を閉めながら明日香が話に割り込んでくる。いつも登校時間は遅刻ギリギリだ。優太たちへ声をかける明日香はさらさらのショートヘアに大粒の汗が光って、肌に触れている部分だけが水気をもっている。優太は暑がってシャツの胸元を緩める明日香をどうしても見てしまう。いち早く杏菜が反応を示す。

「荻野くんがやらしー目で明日香のこと見てるー」

「そんな目では見てないし!」

「見てたのは見てたんだー」

杏菜は優太のいじり方をわかったようだ。明日香も便乗する。

「まぁ優太くんなら驚きはないなぁ。だって初めてのホームルームの日なんて…ねぇ?」

「あー!えーっと!結局放課後どうするー!?」

明日香があの日のことを口にしようとした瞬間、優太はとっさに話題を変えようとした。

明日香はくすくすと笑う。しかし明日香の笑顔には嫌らしさは微塵も感じられない。優太も慌てはしたが、どこか明日香なら大丈夫という安心感を持っている。それにしても、この話題だけは避けたいところだ。

「明日香がいるんだったら私もいくー!」

杏菜が反応する。雅也もそれに倣う。

「あーちゃんがいるならおれも」

芋づる式に大所帯へと変化する。決戦は放課後だ。

スタートラインに立つために4人は立ち上がった。

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