第八話 『三人目を求めて』

クラブ勧誘期間とはいえ、部室はおろか正式な活動場所さえ決まっていない「硬式野球部(仮)」は苦難を強いられていた。

優太と明日香は朝早くから下足室前の広場に立ち、男子生徒が通る度に声を掛けていた。明日香がたった1日で仕上げてきた勧誘チラシを手に精一杯の努力はしていたが、何度も断られることに2人は少し疲れてしまっていた。これならティッシュ配りの方がよほど楽である。チラシを受け取った男子生徒はたったの5、6人ほどだった。


「やっぱりこうなるよな」

優太は予期していた事態にため息をつく。

「昨日はかっこいこと言ってたくせに…」

むすっとしながら横目で明日香が睨む。しかし明日香にもこのやり方では限界があることにはなんとなく気づいていた。もっと全校的な宣伝をしなければ、7人という人数は集まりそうにない。


「このままじゃ非公式野球部だな…」

優太が唐突な駄洒落を挟む。明日香はあえて何も触れない。いつしかほとんどの生徒たちはそれぞれの教室へ入り、広場はがらんとしていた。8時20分の広場はとても静かだ。


「そろそろ戻るか」

優太は時計を横目に手に持っていたチラシを鞄へとしまう。校舎へと歩きだそうとしたとき、後ろから袖を引っ張られた。誰でもない、明日香である。

「あと5分だけ、お願い。予鈴がなるギリギリまで頑張りたい」

明日香の目は真剣そのものだった。明日香は本気だ。優太は自らの甘さを認めざるを得なかった。

「そうだな。最後の最後に大逆転があるかもしれん」

「ありがと。私の見立てだと予鈴が鳴ってる最中に駆け込んでくる男子が野球経験者だね」

明日香は冗談を言ったが、優太は現実に起きるような気がした。

明日香が少し校舎側へと移動すると、植え込みの隙間から見える駅を眺めた。この広場からは紫陽花高校前駅のホームが見えるのだ。学校の敷地に駅が飲み込まれているような格好の小さな駅であるが、普通列車の終着駅である。その駅に梅田方面へと向かう急行電車が滑り込んだ。

何やら様子がおかしいことに2人はすぐに気づいた。明らかに紫陽花高校の制服を来た生徒が多い。遅刻ギリギリのはずなのに、である。時計は8時24分を指していた。生徒がなだれ込んでくる。明日香は優太よりも先に動く。


「硬式野球部です!現在部員が2人しかいません、募集中です!今ならすぐレギュラーです!是非よろしくお願いします!」

明日香が男子生徒に片っ端からチラシを手渡す。どちらかと言うと押し付けに近い。生徒らは既に手に持っていた遅延証明書に重ねるようにチラシを手に取っていく。どうやら梅田方面への電車が遅れていたらしい。優太も流れに乗って次々に手渡していく。

「野球部だって、しんどそう」

「自分はサッカーだな」

男子のグループからの声が聞こえてくる。微妙は反応に明日香の表情が少し曇った。優太は今が自分が頑張る番だと思った。

「野球部ですけど無理な練習はしないつもりです。まだ部員が足りないので個々の能力に合わせて練習メニューも考えます。それに男子サッカー部だってまだありません。11人揃えるより、あと7人で試合ができる野球部はどうですか」

思いつきの言葉だが嘘ではない。真面目そうな男子は押しに弱いのか、「それなら考えてもいいかも」と言いながら校舎の中へ消えていった。予鈴が鳴り、一通りの列が流れ去った。恐らく20人以上は配ることが出来たのではないだろうか。

「よし、今度こそ教室に戻ろう」


優太が声をかけたそのとき、今度は後ろから物凄いスピードで走ってくる男子生徒がいた。明日香は見逃さなかった。

「ねえ君、スポーツやってた?」

明日香は短髪で爽やかな印象の男子に声をかける。馴れ馴れしさが許されるのは女子の特権だ。無視されると思ったが男子生徒はピタッと足を止め、返答をする。

「中学まで野球をやってました。これでも一応、兵庫県代表にもなったんですよ」

明日香はガッツポーズをした。優太も「うおっ」と変な声を出した。明日香の予感は的中したのだ。


「硬式野球部、入ってください!」

明日香はこれ以上ない満面の笑顔で、勧誘チラシを差し出した。しかし男子生徒の顔はとても嫌そうな表情に変わった。視線だけが逸らされる。チラシを渋々受け取ると、暗い声で「野球なんて絶対しないから」とだけ言い残して去ってしまった。

どうやら深いわけがありそうだ。優太は直感的にそう思った。しかしさっきから何かを忘れてる気がする。優太は首を捻ったそのとき、再びチャイムが鳴り響いた。忘れていたのは他でもない、本鈴だ。


「ああっ!もうこんな時間か!忘れてた」

優太と明日香の声が同調するが、時すでに遅し。初の授業日にして優太と明日香は2人揃って遅刻をした。

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