その日、私は過去を辿る。
しーな
その日、私は過去を辿る。
『昔に戻りたい』
いつからか、それが私の一番の願いになり、私の唯一の生きる意味になっていた。
『昔に戻りたい』
誰しも一度はそう思った事があるのではないかと私は思う。いや、そんな大それた願いじゃないかも知れない。もっと「あー、あれは失敗だったな、やり直したいなー」「うわ、今のはちょっとまずかった?言い直したいな」そんな日常に溢れる願望に近いと思う。
でも、やっぱり根本的なものが違う。他の人が『昔に戻りたい』は一時的な失敗を後悔する感情に過ぎないのに、どうして私は常日頃『昔に戻りたい』と思ってしまうのか。
そんな私の『昔に戻りたい』を、少しだけ聞いてもらいたい。
二歳の頃。よく燥ぎ回る元気な子供だった。お姉ちゃんの後ろにくっついてたっけ。この頃の写真を見てると、ああ、まだ物心もついていない、何も考えずに生きていたこの頃に戻りたいなって思う。
三歳の頃。幼稚園に入園した。友達が沢山出来た。幼稚園の帰り道、やんちゃな男の子の真似をして、塀の上を歩いたんだけど、降りられなくなって泣いたのを何となく覚えている。よく友達とお母さん達で、幼稚園の前にあるスーパーに行ってたっけ。友達とこのシール可愛いねって誕生石がモチーフのカワイイシールを眺めてた。梅雨はよくカタツムリが居たので、濡れたティッシュにくるんで家に持って帰ってた。そんで育ててた。
六歳の頃。幼稚園を卒園する。意地悪な友達と厳しい先生が怖くて、二人に囚われた生活からやっと抜け出せるのが嬉しかった。でも、卒園式の時、みんなの赤ちゃんの頃の写真が流れたり、お母さん達が啜り泣いてるのを見て、ちょっとだけ寂しかった。幼稚園の歌、今でも歌えるよ。……サビだけ。
七歳、私は小学生になる。その日は入学式の次の日で、担任の先生が校内を案内してくれた。その時、出席番号が後ろの女の子と話して仲良くなった。
その日の給食は、ロールパン、コーンポタージュ、オレンジジュースだったっけ。ロールパンは、えーと、どっかの国の、伝統的な作り方で作られてるらしくて、んーと、特殊な方法で焼いてるんだって!食パンみたいなのにソーセージとチーズが入ってて、アルミホイルに包まれてるの。あったかくて美味しかったなぁ。
その次の日には給食中に歯が抜けちゃって、半分パニックになったっけ。可愛い柄のポケットティッシュに抜けた歯を入れてポケットにしまった。
九、十歳。初めてのクラス替えで、一番仲が良かった友達と別々のクラスになっちゃったのが寂しかった。でも、そのクラスでも友達が沢山出来た。
シール交換に、プロフ帳に、交換日記に、虫取り、駄菓子屋さん、児童館……。
日常に溢れる全てがキラキラして見えたあの頃。あの時見えていた景色は、多分もう一生見る事が出来ない。
そう、この頃が私が一番戻りたい過去。
そして、十一歳。
私は、不登校になった。
その年の夏休み。私は塾をはしごしていたので、当然夏期講習に追われ。唯一得意なスポーツが水泳だったから、学校のプールにも参加していた。それとは別に水泳教室に通っていたので、土曜日はみっちり泳がされる。私のコースは200メートルメドレーを学年、男女ごとに分けられたタイム内に泳ぐのが目標だったので、一時間ずーっと泳ぎ回る。
そして、その夏、おじいちゃんが亡くなった。
数日前、おじいちゃんが倒れて入院しているとお父さんから聞いていたので、私とお父さんとお姉ちゃんで、私の誕生日にお見舞いに行く事になった。真夏の車内は、じっとり焼けるような暑さだった。
数時間掛けて病院に着く。おばあちゃんと合流して、看護師さんに案内されて、おじいちゃんの病室に向かう。カーテンを開けると、そこには弱り切ったおじいちゃんが横たわっていた。
私達が姿を見せると、おじいちゃんは起き上がろうとする。慌てて止める、私とお姉ちゃん以外の大人達。看護師さんが、ベッドの角度を変える。
「おじいちゃんはもう長くないんだ」
誰かに聞かされたのか、自分で悟ったのか覚えてないけど、そう分かっていながらおじいちゃんを見るのはとても苦しかった。口数は少なくてあんまり話した事もなかったけど、元気だったおじいちゃんが弱り切った末に死ぬんだと思うと。ぽとり。私の中から、何かが抜け落ちた。
ぼーっとしていると、おばあちゃんとお父さんが何かを話していた。私は我に返って、抜け落ちた何かを自分の中に戻さなければ、と、床を探した。落とした何かは見付からなかった。
「お小遣いをあげよう」
おじいちゃんが、おばあちゃんに財布を取り出させた。そして、私とお姉ちゃんにお札を握らせる。ぽとり。また何かが抜け落ちた。
「そろそろ帰ろうか、おじいちゃんの負担になっちゃうといけないから」
お父さんが言う。これ以上変わり果てたおじいちゃんの姿を見ていたら気が狂いそうだったので、素直に従う事にした。
病室を出ようとすると、
「……」
おじいちゃんが、お姉ちゃんに手を伸ばした。お姉ちゃんの名前を呼ぶ。そして、ぎゅっとお姉ちゃんを抱き締めた。
「……」
次に私の名前を呼んだ。何て言ってるのかやっと聞き取れるくらい弱々しい声だった。
あ、私、抱き締められるんだ。自然と脚が一歩を踏み出しはしなかった。私が触れたら本当に死んでしまいそうな気がして、なかなか近付けなかった。でもやっとの思いで一歩を踏み出すと、おじいちゃんが私を抱き締める。枯れ枝のように痩せ細ったシワシワの腕は震えていたし、目は半開きだったし。抱き締めるなんて言えないくらい力だって無かった。ぽとり。大きな何かが抜け落ちる。
「じゃあね。」
病室から出る。最後に、一番大きな何かが抜け落ちた。
体力も、気力も、限界だったのかも知れない。二学期になってすぐ、私は学校を休み始めた。
元々あまり食べられない人で、給食もほぼ食べない日もあった。それなのに水泳で泳ぎまくって、遊び回ってるんだから、そりゃ体を壊すだろーな。
BMIは極端に低くなっていた。体脂肪率も三パーセントしかなかった。でもそれに気付くのは、一年以上後の事だった。
と、こんな感じで、私は常に『昔に戻りたい』のだ。
嫌な友達や先生が居たのに。
おじいちゃんが亡くなったのに。
病気になって病院を何件も回って毎日泣いていたのに。
どうしてそんな辛い時期にも戻りたいんだろう?
過去にしか縋り付けない程「今」が嫌な訳でもないはず。
でも、これだけは確かだ。
「今」より「昔」の方が、私を取り巻く世界が、私の目に映る世界が、キラキラ輝いていたからだ。
あの頃に戻りたい。戻りたい。戻れない。
いつの間にか、私は時の流れを逆走していた。
全ての生き物が正しい方向へ流れていく中、私だけは人や動物や魚の集団を掻き分けながら、間違った方向へ進んでいく。
だめ、このまま進んだら、もう後戻り出来ない気がする。一度流れに逆らったら、もう向こう側に向かう事は出来なくなってしまう気がする。
でも、私はこっちに進むのを辞めなかった。
こっちに進まないと、本当に後悔してしまう。そう思った。
それから、私は戻りたかった時期に着々と戻っていた。
最初に衝撃を受けたのは、自分の『昔に戻りたい』欲が余りにも強過ぎた事だった。私は、『昔に戻りたい』と嘆いていた時期に「戻りたい」と思っていたのだ。
結局は「今」じゃなければいつでも良かったんだろう。「今」じゃない「過去」なら、いくら痛くても、いくら苦しくても、いくら悲しくても、その痛みや感情はもう過ぎ去った事だから、もう感じる事はない。これから痛みを感じるのではないか、これから悲しい思いをするのではないか、と心配する必要も無いからだ。だってもう終わった事だもん。
次に衝撃を受けたのは、私は『昔に戻りた』くなかったという事だ。実際に昔を辿ってみて気が付いたけど、本当に昔に戻ったら、また痛みや悲しみを感じてしまうではないか!あの頃の苦痛が、あの頃の虚無感が、あの頃の悲壮が、全てがリアルに蘇る。
その時、私は友達と遊んでいただけなのに、頭痛がした。要らない過去が出来てしまった。
最後に衝撃を受けたのは、胎児の頃にまで戻ってしまった後だった。
私は消えてしまった。
よく分からないけど、もう手は動かせないし、足の感覚もない。頭で考える事は出来ても、それを言葉にする事は出来なかった。
私の体は、母の子宮に戻り、精子と卵子に分かれ、そして、そのまま――
昔に戻った直後の私はどうなったんだろう。過去に戻りながら色々な過去を上書きしてしまったから、もしかしたら死んでしまったかも。それとも別の私が今まで通り生きてるのかな。
それは分からないけど、一つだけ言える。
『昔に戻りたいなんて、言っちゃだめ。』
あなたは、絶対に昔に戻らないでください。
あなたには、まだ未来がある。
自分には過去しかないって思ってても、未来はあるから。
だからお願いします。私みたいにならないでください。
その日、私は過去を辿る。 しーな @nostalgicGIRL
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