第5話 二人きりの帰り道

 時計の針が十時を指した時、やっと作業が終わった。健太郎は、あくびをしながら、奈緒の所へと駆け寄った。


「ふぁ~やっと終わったよ、奈緒さん。さ、遅い時間だし、そろそろ帰ろうか。近くまで送っていくよ……あれ?」


 奈緒は、木陰でしゃがみこみ、目を閉じてしばらく居眠りをしていたようだった。


「奈緒さん、寝てたの?」


 健太郎の言葉で、奈緒はやっと目を覚ました。


「あ。私、寝ちゃったのかな?」

「そういうことかな」

「あはは……ごめんね。私だけ寝ちゃって」

「いいんだよ。作業が予定より時間がかかっちゃったのが悪い。さ、今日はもう帰ろう」


 健太郎の言葉に、奈緒はニコッと笑って頷いた。

 わずか目先の建物でさえ見えなくなるほどの暗い闇の中、古い街灯が照らす細い道を、集落へ向かって歩く二人。響き渡るのは、奈緒の下駄の音と、二人の笑い声。

 健太郎の手が触れそうな場所に、奈緒の手があった。そして、奈緒の手は、いつの間にか、健太郎の手に触れ、指をそっと握りしめていた。


「奈緒さん?」


 健太郎は、奈緒の手のぬくもりが自分の手に伝わると、胸が段々高鳴り始めた。胸の高鳴りがつないだ手を伝わって奈緒にも伝わったのか、奈緒はクスクスと笑っていた。


「健太郎さんって、ウブよね。私の手を握って、ドキドキしてるなんて」

「ドキドキしちゃ、ダメなのか?」


 健太郎は、照れ隠しに、奈緒から目を逸らし、夜空を見上げながらつぶやいた。


「ううん。ダメじゃないよ。というか、素直でいいと思うよ」


 奈緒は、にこやかに答えた。


「俺、恥ずかしい話だけどさ。今年で三十二歳になるんだけど、まだ結婚してないし、それどころか、彼女らしい彼女も出来たことないんだ」


 健太郎のつぶやきに、奈緒は驚きの表情を見せた。


「やっぱりおかしいよ。奈緒さんも、そう思うよな」

「ううん。そんなことないよ」


 奈緒は、健太郎の言葉に驚きつつも、にこやかな表情で答えた。


「じゃあ、私で良かったら、お付き合いしてくれる?」


 奈緒の言葉に、健太郎の全身に電撃が走った。


「い、いいのか?イケメンでもないブツブツ顔の、モジャモジャ頭の、しがないサラリーマンでも」

「私は全然気にならないよ。私は今の健太郎さんのままでいいよ」


 奈緒はさらりと答えた。


「ありがとう。何というか、嬉しいというか」


 健太郎は奈緒の言葉を信じ、三十二年生きてきてついに彼女と呼べる存在に出会えたことにひたすら感動していた。


「ただ」

「え?」


 奈緒から発せられた、突然の思い留まるような言葉に、健太郎は一瞬耳を疑った。


「明日までのお付き合いに、なっちゃうけどね」


 奈緒はそういうとニコッと笑い、健太郎の額を指さした。


「はあ?あ、あした?」


 健太郎は「明日」という一言に、それまでの高揚感が一気にそぎ落とされた。


「あ、今日はもう遅い時間だし、帰るね。明日の朝、昨日私たちが出会ったコンビニに、来てくれる?」

「うん、いいけど。明日までって、どういうこと?」


 健太郎には、『明日まで』という言葉が、どうしても引っかかってしょうがなかった。


「それは聞かないで。あまり聞かない方がいいと思うし……その理由は話したくないから」


 奈緒はそれだけ言うと、黙りこくってしまったが、しばらくして、健太郎の方を振り向き、何事も無かったかのように語りかけた。


「とりあえず、明日までなんだ。だからさ、明日は二人で一緒にお出かけしようよ。私、ドライブに行きたいな。海とか行きたいかも」


 奈緒は、健太郎の疑問には答えず、明日のお出かけをどうするか?位のことしか語らなかった。


「もう遅いから帰るね。バイバイ!」


 奈緒は下駄のカラコロ音を響かせながら、石垣に囲まれた暗い小径へと走り去っていった。

 健太郎は、あまりにも急な展開に何をすることもできず、ただその場でボーっと立ち尽くしていたが、しばらくすると、徐々に現実に引き戻されてきたようで、明日、奈緒とドライブデートするにあたって、色々な物が無いことに気づいた。

 健太郎は慌ててスマートフォンをポケットから取り出し、幸次郎に電話した。


「もしもし幸次郎?俺だよ、健太郎だよ。明日、お前の車を貸してくれ。それから、デートに着ていくカッコいい服が無いから、それも貸してくれ。あ、それから、水着もだ!大至急だぞ、頼むよ~!」

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