砂漠にて
ザッザッと緩い砂上を強く踏みしめシンは一人歩いていた。
ダラダラと汗は無限に流れ、上裸になった素肌を太陽は容赦なく焼く。
着ていた服を頭に乗せても尚暑いが直射日光が当たらないだけマシというものだろう。
──暑い
水分補給はまず出来ず、オアシスがある気配すらない。
一体、幾つ砂山を越えればいいのか。かれこれ二時間は歩いているだろう。いや、三時間だったか?...まあ、そんな事この暑さを前にしてしまえばどうでもいいのだが。
──暑い
どうしようもなく暑い。これはもうズボンも脱いだ方がいいのではと思い始めた。
喉の乾きが進み、体は警報を鳴らす。彼にとって初めての砂漠遭難は最悪の結末で終わろうとしていた。
──暑い
それでも足を引きずり前に進む。
立ち上る陽炎を無視して汗を拭って。靴に入った大量の砂にを気に留めず歩いてゆく。
──暑い
「いや暑っつ!!こんなのずっと居たら死ぬだろ?!クソッどうしてこんな事になるんだ!これも全部シュレディンガーとかいう胡散臭い男のせいだ。なんで転生するって言ったのにこんな馬鹿広い砂漠で上裸になって歩く羽目になったんだよクソが死ね!!!」
この怒りをどうやって砂漠で発散すればいいのか考えた上で頭に被った上着を砂上に叩きつける。勿論砂に服なのでパサ、と落ち砂がへばりつくだけだったが。
砂だらけの服を拾おうと屈めたその視界の端に妙な物が映った気がした。
服を頭上に被り砂丘の頂上に登ると、数キロ先に遺跡群の様な建物を見つけた。あそこなら水や日陰があるはずだと先程とは打って変わって嬉々としていた。
アドレナリンが大量に出ているのか暑さや疲れすら忘れて砂丘を走り抜ける。足が縺れながらも奇跡的に見つけたオアシスに向かって無我夢中で走る。
何故か不意に視界が真っ暗になった。
体から力が抜け、膝から崩れ落ちる。やはり無理だったようだ。
強力な重力に押されているかのように体はビクとも動かない。
───やっぱりここで死ぬのかな。
彼の体には限界が訪れた。
そんなものか。
お前は一時的な器に過ぎぬが、器にヒビが入れば中身の酒は無駄になるのは明白だろう。
これで、貸し一つだ。
さっさと行け。
先程まで溶ける程暑かった筈の気温は熱を残した涼しさが漂っていた。額が妙に冷たかった。
なんだろう、このデジャブ感。
───そういえば、砂漠で死にかけていて、
そこまで思い出したところで元気な声が響き渡った。
「おとーさーん!お兄ちゃん起きたよ!」
子供特有のゆったりした声を上げ、十歳ほどの少女は部屋から出ていった。
頭を擡げ、ベッドで寝かされていた事を理解する。
ピラミッドの内部のような雰囲気の部屋は埃っぽく、息を吸うと咳き込みそうになったがまだ生きているという安堵感で満たされていた。
「おう!起きたかあんちゃん。体は大丈夫か?」
無精髭の男は軽快な笑みを浮かべ安否を確認する。
「あんたが何で砂漠で倒れてたんか聞きてぇとこだが、俺らも用事があるんでね。事情は俺の城で聞くから着いてこい」
男に言われるがまま狭い通路を着いて行き建物から出る。
そこには沢山の、荷台を繋げた馬車が立ち並んでいた。
「おっと、自己紹介がまだだったな。俺はハンズマン、ハンズマン・フリックリックだ」
「──で?その謎の施設から脱出してぶっ倒れてたのか。うーん...なぁ、ウリ遺跡の近くに建物なんてあったか?」
「いや、私に聞かれてもですね...。まぁ、何年も馬連れ回してますけど見た事無いですね。大きな壁なんて遠くからでも見えるんですけど、」
ハンズマンは御者の男に聞いたが、それらしい答えを知っていなかった。
馬車の中は日に当たらないので比較的涼しいが、それでも暑い。
「おとーさん、暑ーい」
ハンズマンの娘、リンが暑さに耐えきれずに愚痴を零した。
ハンズマンが団扇で扇いでやると涼しそうに顔を崩す。
リックリック商団はこの近辺の国では有名な商団らしく、多くの物品を運搬している。
団長であるハンズマンに妻リースと娘のリン、その他団員の計18人であちこちを回っているそうだ。
「18人よりも明らかに多い気がするんだが」
「それは俺が雇った冒険者だな。ちょっと奮発して四人をな。砂漠と言えど危険なヤツは幾らでもいるからな、襲われたらたまったもんじゃない」
『冒険者』
その言葉に何故か興味を惹かれた。
地球では古くから物語や多くの創作物のネタとなった存在だ。
彼が産まれる何十年も前の、それこそ少年少女から青年或いは大人まで幅広く楽しませてきたであろう物だ。
まぁ、今となっては読めないが。懐かしいな。
「ちょいと俺からも聞きたいんだが、」
「何だ?」
「あんたは何処出身なんだ?やっぱり、黒髪黒目ならあの島国、かい?」
出身、か。確かに出身は島国だが、そもそもの世界が違う。
まぁ、別段隠すものでもないし、言っても構わないか。
「...どうせ信じないとは思うが、俺は異世───」
そこから先の言葉は焦りを含んだ胴間声に遮られた。
「クソッタレ、ワイバーンが出やがったぞ!戦闘準備!」
怒号を聞いてからの行動は慣れていたかのように迅速だった。
「野郎共、槍と弓を持て!!女衆は隠れろ!」
突然の出来事に右往左往していると馬車から先に降りていたハンズマンの妻、リースが手招きしていた。
馬車の荷台の横に隠れる。先頭だったので荷台の側面から顔を出し覗くと、そこにいたのは。
『GIAAAAAAAAaaaaaaaaa!!!』
身体中に鋭く大きな棘が生え、歯は乱雑で鈍色に光っている。
赤銅色の鱗が全身を覆い、生半可は攻撃は効かない事を何故か理解した。
それ程までにワイバーンと呼ばれた生物は恐ろしかった。
戦場で敵戦車にハンドガン一丁だけで立ち向かっているかの様な絶望感。
宝石の様な眼はギラギラと捕食者の覇気を放い、今にも襲い掛かりそうだ。
ワイバーンは全部で五体。そのうち一体が咆哮を上げ、その鋭い爪で冒険者達に肉薄した。
あわや爪が体に突き刺さろうとした瞬間、長柄の棍を背負った冒険者の男は寸前で回避し、体を捻ってその棍で叩き落とした。
地面に伏したワイバーンはもう一度立ち上がろうとしたが、ナイフで眼を刺され、脳を破壊され絶命する。
その頭を踏みつけ男は未だ空を飛ぶ残り四体に向かって吼える。
「かかってこいよ」
丁重に手で挑発する。
その意味を理解したのかは定かではないが、仲間をやられた怒りで残ったワイバーンは一斉に動いた。
冒険者は上手く回避しつつ攻撃するが、その強固な鱗に弾かれる。
商団メンバーも弓を使って応戦するが、それも徒労に終わった。
激昴するワイバーンは暴れ回り一人、また一人と弱い者から襲っていった。
それを傍観していたシンはリースに尋ねた。
「俺も応戦します、武器は何処に!?」
「ダメよ!ワイバーンはとても危険なのよ!」
「助けてもらった恩を仇で返すのは、俺のポリシーに反する」
リースの制止を無視し荷台の中を探し回る。
ちょうど最後の荷台に槍や剣の予備があり手を伸ばしたが、その端にちょこんと置いてあった箱が目に入った。
木製の古びた箱。興味とも言える不思議な感覚を感じながら金具を外し、中身を確認した。
中身は、凡そ、この世界では有り得ない物だった。
「──...何で、これが!?」
そこに入っていたのは、紛うことなき『銃』だった。
それも、シンが前世、気まぐれで闇市で買ったトンプソン・コンテンダーの30年モデルだった。
ご丁寧に銃弾もケースに綺麗に入れてあり、銃を取り出すと、紙がテープで留められていた。
剥がし、開くと。
『Survive?』
癖のある字で書かれたそれの意味を瞬時に理解した。
「そうか、試されてるのか」
コンテンダーを右手に握り、銃弾を雑に取り出した。
慣れた手つきで.308ウィンチェスターを滑らせ、手首を跳ね上げて装填する。
荷台から飛び降り、ワイバーンの死角に回り込もうとすると、リンは心配そうに聞いてきた。
「おとーさん、大丈夫かな?」
「...俺が倒して来るから、待ってろ」
不安そうなリンの頭を撫でて、彼らの方へ走る。
「グアァァァァァ!!グソっ!!」
「フリークがやられた!」
「馬車の方へ避難させろ!」
「あいつら俺らから攻撃したら距離を置きやがる」
「学習しやがって!」
遠目から見ても戦況は芳しくなかった。
彼らはどんどん疲労していくが、ワイバーンにはその兆しすら見られない、寧ろ強くなっていた。
槍は届かず、弓は効かない。
絶望的な状況でどんどん士気は落ちてゆく。
『GIAAAAAAaaaaaaa!!!』
「団長ッ危ない!!」
振り向いて、彼はきっと死を覚悟しただろう。
眼前に迫り来る容赦なき剣。それが今まさに斬りかからんと迫っていたのだ。
チラリと馬車の方を見る。
(...どうしようもない野郎でごめんな)
だが、その走馬灯と悲鳴を雷鳴が全てを掻き消した。
糸の切れた人形のようにワイバーンはハンズマンの真横を滑っていった。
眼から血を流し絶命していた。
雷鳴が轟いた方向に目を向けると、一人の男が見たことも無い武器を片手に立っていた。
ハンズマンはその驚きを呟いた。
「あれは...シン!?」
排出した空薬莢が宙に踊る。
それを気にも留めず、漆黒の双眸は標的を絶えず睨む。
口に咥えた.308ウィンチェスターを解放し、弾丸は薬室に吸い込まれるように装弾される。
彼の本来の姿を知らぬ者でも、彼とその武器が一体となっている様に見えただろう。
それ程までに洗練された無駄の無い動きだった。
迫る刃を身動ぎ一つで躱し、的確に仕留める。
残り二体。
残り五発。
再装填。
撃つ。
ワイバーンは躱しきれず翼に直撃。地面に倒れ何とか飛ぼうとはためかせるが、膝部分を撃ち抜かれ立ち上がれず藻掻く様な姿はあまりにも憐れだった。
もう一方もシンに突貫するが、奮闘虚しくその爪が届くよりも先に撃ち落とされた。
シンはそのまま地に伏す最後の一体に近付いた。
ワイバーンは恐らく、迫り来る『死』を感じていただろう。
仲間を屠った謎の武器。
銃口を押し付けられ、抵抗も出来ず、逃げられない。
「GIa...GIeAA!GI───」
無慈悲な雷鳴が轟く。
頬にヌメリとした感覚。返り血すら気に留めずシンは銃を下ろした。
それに何の感慨も無い。淡々と事を成しただけ、ただそれだけだった。
フッと溜息を吐いた。
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