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 僕が初めて人を殺したのは高校生の頃だった。

 父親の心臓と脇腹に包丁を。

 なぜ?嫌いだったから。死なないかとふと願う程、殺してしまう程には嫌いだった。

 これでやっと終わったんだと思った。

 でも違った。

 母さんは僕の罪をわざと被り、連れて行かれた。

 下された判決は無期懲役。最後まで叫んだ、「僕が悪いんだ!」と。そんな咽びは誰にも届かずに宙を舞ったが。

「ねぇ、どうしたらいいの?どうすれば、お母さんは...」

 あの日、僕の妹は家で泣き縋り付いてきた。嗚咽で言葉は通じず、泣きじゃくっていた。

「──うるさい...。うるさい、うるさい!うるさい!!」

 たった一人の大切な妹をあの日、突き飛ばした。

 床にへたりこんだ妹の顔を、未だに忘れられない。

 僕自身、ナニカが、ネジが一本二本十本抜け落ちていたのだろう。

 それは悪魔の仕業か、妹の目は、麗花の瞳は、人が人を殺める姿を唖然と見ていた母さんの目と、酷く似ていた。

「あ...あ、ああぁぁアアアアァァァアあァアぁあ!!!」

 しん、と静まり返る闇夜の中を僕は当てもなく走った。


 そして、俺が家に戻ったのは七年後のことだった。






 鼻にツンとくる刺激臭がする。

 おぼろげな視界は少しずつ覚醒しつつあった。

 酷く悲しい悪夢を見ていた気がしたが、夢を見たのかすら覚えていない。

 背と後頭部に柔らかな感覚。恐らくベッドに寝かされているのだろう。アルコールの匂いからして病院だろうか。

 五体は命令に反応しちゃんと動く。重い体を起こすと、視界がまたおぼろげになる。

「──ッツ...」

 頭痛と目眩が襲った。そこまでひどい状態ではないことを経験的に判断した。

 未だ霞む視界で周囲を見回すと、頭痛と目眩を忘れるほどの寒気が全身を襲った。

 雪のように白い壁は清潔感で無機質さは無限に広がる空間を強調し、それでいて極端に狭い鳥籠を想像させるほど、窮屈だった。

 その積雪を眩しく照らす天井のライトは明らかに科学技術の産物と分かった。

 目の前には金属製の強固な扉がある。確実にロックが掛かっているだろう。

 どう考えても囚われているとしか思えない状況下だというのに、思考は何故か冴えていた。

(換気扇から脱出するか。監視カメラが無いのはわざとか、元々か...それは今考える事ではないか)

 ベッドを移動させ天井のダクトへ通じる蓋を外す。

 ガコンという音に少し驚いたが、敏感過ぎたと自負する。

 ダクトは伏せればギリギリ入れる程の大きさだった。

 蜘蛛の巣や埃が大量にあるが通れるだけマシだろう。

 ある程度進むと何処からか声が聞こえ始めた。

 更に進むと小さな休憩所のような所の真上に出た。

「はぁ...ほんと技術長も無茶な事言いますよね。こっちの身にもなって欲しいですよ」

 どうやら部屋のソファで飲み物を飲んで休憩しているようだ。

「あいつは狂ってはいるが、この研究所ではトップクラスの頭脳だ。なんでも赤外線センサーだとかを開発したらしいぞ」

「本当ですか!?不可視線を機械に搭載出来るだなんて。それこそ大幅な技術革新が起きますよ!」

 どうやら此処は研究所のようだ。話からして地球よりも技術は発展していないようだ。

 いや、まず此処が地球外の世界だという確証が無い。

 シュレディンガーとかいう胡散臭い男に騙された可能性もある。しかし、何故かシュレディンガーと会った記憶が所々曖昧だった。思い出そうとしても何かが引っかかる。喉まで出かけているような違和感が消えない。

「そういえば、新しく捕獲されたあのモンスターはどんな感じなんですか?」

 “モンスター”その一言で先程までの謎は思考の端に追いやられた。

 地球ではあまり聞かなかった言葉だった。

 そして、科学者達の言葉に耳を疑った。

「まぁ、一般的な“ヒトガタ”だったな。臓器も無ければ血も流れていない、だけど外見はちゃんと人間の見た目をしている。35番低級隔離室に運ばれたそうだ」

 メガネをかけた男はタバコを吸いながらそう答えた。

「ですが、その“ヒトガタ”は街のド真ん中で突然現れたんですよね?変異型の可能性もあると思うのですが...」

 メガネの男よりも比較的若い男は発見時の謎について問うた。

「いや、発する周波数が既存のモノと一致していたらしい。残念ながら変異型では無いな。あの新入りが見たければ第二生体実験室に行くといい。二時間後に引っ張り出して解剖するらしいぞ」


 暫く談笑した後、二人の科学者は部屋から出ていった。

「さてと、ここからどうすっか」

 天井の金網を外し静かにおりる。

 本当なら科学者の一人を襲ったうえで服を奪い安全に此処を出る事が最適解なのだが、如何せん情報が少ない。

 立ち聞きならぬ寝聞きで得た情報はほぼ全てが地球には存在しない専門用語が殆どだった。

 音を立てぬよう少しずつ進んでゆく。

 廊下は十字路やT地路が多く、バイオハザードやナノハザードに対応した造りのように感じた。

 会話からしてこの施設は生体研究所だろう。どれだけ進んでも出口に辿り着く気配がしなく、まるで巨大な迷路に迷い込んだかのように錯覚する。それでも直感を頼りに進んでゆく。


 一時間程経っただろうか、尋問した科学者によるとこの研究所は地上一階の地下三階構成の建物のようだ。現在位置は地下一階で元々居た部屋は地下二階に位置していた。

 丁重に脅迫した後、情報と白衣を譲って貰った彼には感謝しつつ縛り上げてロッカーに閉じ込めた。後はゆっくり堂々と出ていくのみだったが、彼は気付かない。

 無数に伸びる不可視の蜘蛛の糸を。レーザー光線とは違った、この世界での技術が彼を知らぬ間に襲っていた事を。

 彼の脱走を止めなかった事を。






「素晴らしい!全くもって最高だよ!」

 パンパンと部屋に拍手が響く。水晶玉から伸びる光で映り出された映像を椅子を蹴り飛ばして子供のように男は興奮していた。

「大丈夫なんですか所長」

 助手と思わしき女性は静かにそれによる結果を予想し質問する。

 ずっと笑いながら拍手をしていた大柄な男はそれを一切聞いていなかった様におどけて聞き返してみせた。

「大丈夫、とは?」

「ヒトガタとはいえ変異型なんですよ、ただでさえ何が起こるか分からないブラックボックスなんですから」

 かろうじて部屋の全体が見える程薄暗い部屋の中、最も画面に近い位置に座っていた老齢の男は猛禽類もかくやという鋭い眼で睨んで聞いた。

「エドワード君、君は重大な事件を起こした事について自首しに来たのか?そうならばエリア2の合成獣キメラ共の餌になってきたらどうだ。保険は出るぞ」

「いやいやーそんなんじゃありませんよ。セクター4の一人がそんなに短気でどうするんですか?───第一」

 おどけた調子から一転し、声色を重くし、続けた。

「あの“変異型”は特別です、私がそう簡単に手放すと思いますか?捕獲後に我々はアレを計測器で測りました。放つ周波数は通常のヒトガタと同じ、」

 この施設で重宝されている計測器は検査対象の心拍数や感情、魔力量その他諸々を一度に計測できるという代物だ。

 この時代で最新型の機械の一つであり、誤計はまず有り得ない程正確だ。

 しかし。

「しかし唯一無二の計測器はアレに対して異常な数値を示しました。えぇ、有り得ませんよ」

 エドワード所長秘書から渡されたプリント数枚を老齢の男はペラペラと捲る。そして捲る度にそんな事があって良いのか?!と狼狽した。

「そうです、野良ホムンクルスと呼ばれる程脆弱な生命体から逸脱したアレの総合脅威度は...

「──...経過観察とは、冗談が過ぎるぞ」

「いえ、心配には及びません。アレの体内に追跡用の魔道具を埋め込みました。そもそも隔離室の換気扇を分解して脱出する時点で知能レベルは人間と同じでしょう」

 むぅ...と男は唸る。確かに人間程の知能ならば本能に身を任せ暴れる可能性は少ない。だからといってそう簡単に野に離すのは少しはばかられる。

「...いつまで監視する」

「乗り気ですか?軽く見積もって......四ヶ月ですかね。四ヶ月経ったら部隊を招集して確保に移りますよ」

「...分かった。約束は違えるなよ、私とてお前の首を飛ばしたくはない、君は貴重な優秀人材だからな。それと0043、0638の報告書をさっさと提出しろ。3時間だけ待ってやる」

 そう言って席を立ち部屋から老齢の男は出ていった。

 バタン!と扉は勢いよく閉まり、部屋は静寂に包まれた。

「──フゥ、いやいやほんっとに『王冠ケテル』の名は伊達じゃないね!フィール、あのヒトガタの追跡装置を逐一私に報告するよう伝えろ」

「かしこまりました。ところで、そのヒトガタに固有名を付けるのはどうでしょう。何時までも“アレ”だと味気ないのではないでしょうか?」

「流っ石、出来る秘書は違うねぇ!...そうだな......突発発生...変異、特異点......通過点。......決めた、此奴は今から『憐れな生贄スケープゴート』として調査を開始しろ」

「かしこまりました」

 エドワードは軽い足取りで書類を作成する為に自室に戻っていった。






 ようやく施設から出たシンは流れる汗を拭っていた。

 爛々と照りつける太陽は流す汗の量を増やしていく。

 360度を馬鹿でかい壁で囲まれており、出口は無いかと壁沿いを歩いていた所、複数ある裏口の一つを見つけた。

 扉は頑丈なのが見てわかる程で、警備員は二人。

 物陰から忍び寄り扉の開け方を吐くまで殴り続け、重い扉を開くと眩しい光が差し込み思わず手で覆う。

 いざ一歩踏み出したその先に広がっていたのは───



「うそん」

 広がっていたのは、地平線上に永遠と続く広大な砂漠だった。

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