#2


 ピエロは高笑いを響かせながら、右手の刀を振りかざしたまま、走ってくる。


「ひっ!」

「そのまま動くなよ!」


 やっと危険性を感じて、半歩後ろに下がったガツにそう忠告して、俺はキーボードを出現させた。

 不測の事態に備えて、ショートカットしていたコードを入力する。


 ピエロの速度は、自動車ほどでもなく、普通の大人くらいだ。こういうデティールはリアルなんだなと、変なところで感心したが、こちらには好都合だ。

 コードを入れながら、ピエロが完全にガツに向かって走ってきていることに気が付いた。


 やばい! 俺は咄嗟にガツの目の前に立った。


「Hさん! 危ないですよ!」

「大丈夫だ……すでにコードは入力している」


 俺の一メートルほど先に到達したピエロは、その足元が突然泥のような物質に代わってしまったため、そのままゆっくりと沈み始めた。

 下半身は動かしているために、余計に泥に飲まれて、まったく進めない。一方でプログラム通りに、刀は掲げたままで沈んでいくので、何とも妙な格好だった。


 とぷん、という音とともに、刀の切っ先まで地面の中に落ちていったので、俺はやっと安堵の息をついた。

 ピエロは十キロ以上の重量に反応して、地面が泥のように変化する「底なし沼モード」にはまり、別の空間へ送られていった。


 ともかく、ガーディアンにバレた理由を探らなければならないと、画面を表示して調べている俺に、ガツが遠慮がちに「あの……」と話しかけてきた。


「先ほどの方、Hさんはガーディアンと言っていたのですが、それは何ですか?」

「え? VRの説明書に載っていなかった?」

「すみません、早く遊びたくて、まともに読んでいなかったんです」

「おいおい。ちゃんと確認した方がいいぞ」


 素直に頭を下げるガツに、俺はそう言ったが、直後にハッキングしている奴に注意されても説得力がないことに気付いてしまった。

 ともかく、ガツにガーディアンについて説明する。


「ガーディアンっていうのは、ハッキングとか違反行為を取り締まうプログラムだな。定期的にVR空間を巡回して、悪質ユーザーを探しているんだ」

「そのガーディアンに見つかったら、どうなるのですか?」

「悪質ユーザーに対して、攻撃をする。別に痛みとかはないんだが、その攻撃が当たると強制ログアウトになるんだ。ログアウトされたユーザーは、違反行為をとがめられて、ログイン資格をはく奪されるんだが……」


 俺は、熱心に話を聞いてくれているガツを見た。

 申し訳なさを感じながらも、正直に話す。


「ガツが狙われたのは、ここがログイン不可能区域なのに入ってきているから、不正アクセスしてきたと見なされたようなんだよな……」

「そんな……せっかく、VRで遊べるようになったのに……」


 ガツは顔面蒼白なったのを見て、ますます罪悪感が大きくなっていく。

 当たり前だ。やっと十二歳になって、三回しか遊んでいないのに、もうログインできなくなるなんて。


「巻き込んだのは俺の方だ。だから、ガツを安全にログアウトさせよう」

「えっ、どうするのですか?」

「VR空間には、『非常口』があるんだ。もしも機器にトラブルが起きたり、コンピュータウィルスに侵されても、絶対にユーザーがログアウトできるような空間なんだが、そこにはガーディアンも侵入することができない」


 俺はこの空間の地図を出して、『非常口』を探した。

 『非常口』は悪用されないように、緊急事態時の地図にしか出てこないのだが、俺の手にかかれば、今表示することも可能だ。


「あった。ここから二ブロック右、あっち方向へ三十メートル進んだところにある、消火栓が『非常口』だな」

「わかりました」

「そこまで案内するから、一緒に行こう」

「はい!」


 ガツはこっちがひるんでしまうほど元気よく返事をした。

 ハッキング行為によって面倒に巻き込んでいるのは俺の方なのに、彼女には警戒心というものがないのか? と内心首をひねっていた。






   ◇






 ハッキングする以上、俺はガーディアン対策をしっかり練ってきていた。俺のいる半径五メートルの空間は、ガーディアンが外部から認識できないようにしていた上に、ガーディアンが五百メートルまで近づいたら緊急事態画面を出るようにしていた。

 しかし、俺たちが遭遇したピエロのガーディアンが残したデータを分析すると、昨日アップデートしたばかりで、俺のガーディアンセンサーをかいくぐることが出来、さらに「視認」機能を強化されているために、トランポリンで飛び跳ねている俺たちを認識して現れたようだった。


 こんなしょぼくれた空間では、アップデートはあまりされないだろうと油断していたのだがかなりダメージがでかい。

 とりあえず、トランポリン機能が使えないので、あたりを警戒しながら歩いていくことになった。


 俺は隣の、きょろきょろしながら歩くガツを見た。

 もしもガーディアンを知らなくても、あの血まみれピエロを見たら恐怖を感じるものだが、ガツは全く平気そうだった。


 未成年のVR空間では、子供にとって恐ろしいものがガーディアンとして登場する。

 俺は、悪い子を切り刻む血まみれピエロの絵本を読んだことがあったので、見た瞬間に頭が真っ白になったのだが、ガツはそれを知らないのだろうか。


「なあ、ガツ、血まみれピエロの絵本は知っているか?」

「いいえ、絵本は見たことありません」

「マジか……」


 血まみれピエロを知らないなんて、ガツはいいところのお嬢さんか?

 そう疑いながら、血まみれピエロが何か知りたがっているガツに簡単な説明をした。


「そんな恐ろしいガーディアンさんだったのですね……」

「それに近付こうとするから、こっちはびっくりしたよ」


 話を聞いて、ぶるぶる震えるガツの反応は、俺の幼い頃と全く一緒だった。

 その姿と先ほどの行動を重ねてしまい、思わず苦笑がもれた。


「ガツは本とかもあまり読んでいなかったのか?」

「いいえ。本は大好きでした。長靴下の怪力な女の子が出てくる本がお気に入りで、何度も読みながら、この子みたいになりたいと思いました」

「ふーん」


 うっとりと目を細めるガツを見て、俺がログアウト不可能空間に巻き込んでしまったのだから、お詫びにその夢をかなえてあげようかと思った。

 アバターを直接いじることはできないけれど、両手でつかんだ物の掌から数センチ下の箇所を粘土くらいに柔らかくするえば、それができるかもしれない。


「ガツ、このポストを持ってみて」

「わかりました!」


 俺がコードをごちゃごちゃと打ち込んでいたのを見て、何をしたのか察しがついたのだろう。

 弾む声でポストに駆け寄り、しゃがんでポストの柱をつかみ、よいしょという声を上げると、ぼこっという音とともにポストが持ち上がった。


「すごい! とっても軽いです!」

「質量もなくしたからな」

「Hさん、ありがとうございます!」

「うわっ、あぶねぇ!」


 ガツがポストを持ったまま、それを振り回すようにこちらへ向いたので、危うく俺にぶつかりそうになった。


「重さは無くしたが、材質は鉄のまんまなんだ。気を付けてくれよ」

「あ、すみません」


 ガツはそう謝りながら、ポストを元の位置に戻した。

 仮想空間なので、何もしなくてもポストの柱はくっついて、ガツが手を放しても立ったままだった。


 それからガツは歩きながら、自分の好きな本の話をしてくれた。

 俺はそれを聞いて、ガツの話す本の内容に興味を持ってきた。


「おもしろそうだな。俺も、ここからログアウトしたら読んでみようかな」

「はい、お勧めします!」


 どうせ、ログアウトしてらも時間がたっぷりあるんだし、読書もいい暇つぶしになりそうだと思った。

 ガツはその本のサーカスのエピソードがお気に入りだと言っていた。


「今度は、VR空間でサーカスを見たいと思っているんです!」

「いいな、それ」


 無邪気にそう宣言するガツを見ると、これは何としてでも、ガーディアンから守らなくてはならないという気持ちになってくる。

 そうこうしている間に、俺たちは三十メートルほど歩いていて、電柱の立っているこの角を曲がって三ブロック分進めば『非常口』にたどり着けるという位置まで来ていた。


「ガツ、ここで待ってろよ」

「はい」


 ガツより先に前へ出て、曲がり角の先を覗いてみる。

 その先に何が立っていても大丈夫な様に覚悟していたが、何もいなかったため、俺は拍子抜けした。


「ガツ、行こう」

「ねえ、Hさん」


 そのまま進もうとする俺を、ガツが呼び止めた。

 怪しみながら振り返ると、ガツの背中越しに、ライオンが立っているのが見えた。尻尾をゆらゆら動かして、こちらに飛び掛かろうとしている。


「昔の地球では、野生動物が普通に町中を歩いていたっていうのは、本当なんですね」


 息を呑む俺とは正反対に、こちらを向いたガツの声はびっくりするぐらいにのんきだった。


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