一夜のキリトリセン

夢月七海

#1


 座標、NP4509から6631。時間帯は四時ちょうど。

 ハッキングによって切り取られたこのVR空間が、今の俺の遊び場だ。


 空間名は「二〇一〇年代の地球の日本・平均的な住宅街」。どこまでも伸びるアスファルトの道、碁盤状に並べられたブロックの中のコピペした一軒家など、見るだけでは非常に退屈な場所だ。

 ここを選んだ理由はただ一つ。誰もログインしていないから。ハッキングして、やりたい放題できる。


 まずは、どこもいじらずに、まっすぐに走ってみる。

 真っ黒な空の下で、何の痛みもなく手と足を前へ前へと進めていく。灰色の塀や、白い街灯の光が、風と一緒に通り過ぎていくのが心地よい。


「自由ってサイコー!」


 誰もいないことをいいことに、大声でそう叫んでしまう。

 わざわざハッキングしなくても、こんなことはVR空間ならどこでもできるけど。今度はもっと大胆なことをやってみたくなってきた。


 ちょっとペースを落としながら、二回のウインクで目の前に操作画面とその下にキーボードを出現させる。

 駆け足のまま、カチカチとキーボードを操作する。音声入力だと、ハッキングコードはAIにはじかれてしまうからだ。


 コードを入力直後に、踏み込んだ左足の下地面が、ぶにゅんと柔らかく沈んだ。うまくいったと、俺はほくそ笑む。

 さらに力を入れて、右足を踏み出す。地面がぼよんと弾んで、俺の体は両脇の塀よりも高く飛んでいた。


 このようなリアリティ重視の空間では通常使えない、「トランポリンモード」だ。

 地面が足の接触を感知して、トランポリンのような素材に代わるように設定した。一歩ずつ足を踏み込んでいくたびに、俺の体はどんどん上昇していく。


「イヤッーーーハーーー!!!!」


 屋根よりも高く跳びながら、俺はまた叫んでいた。自分でハッキングして、それがうまくいったのが初めてだったから、心の底から嬉しくてたまらない。

 調子に乗って、空中で宙返りしてみた。夜空と道路がひっくり返る中で、何か人影が見えたような気がした。


 俺は怪しみながら、もう一度宙返りしてみる。やはり、自分の頭と足が逆さまになった瞬間、辛うじて目視できる位置に誰かが立っているようだった。

 足が地面に接触する前に体の向きを変えてみる。そうして跳びながら確認すると、俺のいる通りの右三ブロック隣の後ろの方に、ワンピースという服を着た一人の女の子がこちらに手を振っていた。


 驚きながらも、体が落ちていく間に考える。

 あのような反応をしたことは、彼女はNPCではないようだ。しかし、この空間では正規ログインしたアカウントがいないはずなんだが……俺と同じようにハッキングしてきたのか?


 ともかく、本人に話を聞いてみることが一番だと思い、俺は彼女のもとへと向かった。

 何度かのジャンプで勢いがついていたので、三軒分の家を飛び越えてから、彼女のいる通りに降りると小さめのジャンプを繰り返しながら辿り着いた。


「こんばんは!」

「あ、ああ。こんばんは」


 少女は満面の笑みで挨拶をして、俺は拍子抜けした。急に普通のことを言ってくるなんて、実はNPCか?

 しかし、俺の戸惑いをよそに、彼女はじろじろと俺のことを眺めていた。


「すごいジャンプですね。どうやったんですか?」

「トランポリンモードだけど」

「トランポリン! 面白そうですね! どうやるんですか?」

「こういう場所ではできないから、君もハッキングしてやってみたらいいよ」

「え? ハッキング?」


 少女が不審そうな顔で言い返し、俺ははっとした。

 しまった。自らハッキングしていること吐いていた。


「君は……ちゃんとしたログイン方法してきたのか?」

「はい。特殊ではありますが、正規のやり方です」


 完全に墓穴を掘ってしまった俺は、両手で覆った顔の隙間から少女の様子を伺った。

 彼女は変わらず微笑んでいて、俺のことを怖がるでも、引いているわけでもなさそうだった。


 通報する様子もないので、俺はもう一度ウィンドウを出して、少女のユーザー情報を確認してみた。

 ユーザー名は「ガツ」、年齢は十二歳、VR空間へのログイン数は三回目だ。


 シナプスに直接働きかけてログインするVR空間には年齢制限があって、十二歳から使うことが出来る。

 初心者だから、ハッキング行為の重要さがよくわかっていないのかなと、俺は予想した。


 一方、ガツも俺のユーザー情報を見ようとした。しかし、指を目の前ではなく、地面の下に向けて、何かをなぞるように細かく動かしている。

 珍しいけれど、どこかで見たことある入力方法だ。なんだったけと記憶を辿っていると、ガツは初めて眉をひそめた。


「ええと、何と呼べばよろしいでしょうか」

「ああ、Hでいいよ」


 俺はそっけなく答えた。下の名前の頭文字が由来だ。

 ガツが困惑するのも無理がない。俺は不正ログインの痕跡を薄めるに、自分のユーザー情報を文字化け状態で表示するようにいじくっていた。


 本当ならば、アバターを改造するのが一番足のつかないテクニックなのだが、そこまでの技術はないし、リスクも高い。

 だが、ガツは俺の外見に対しては全く何も言わないので、内心ほっとしていた。


「はい、Hさんですね。よろしくお願いします」

「え、うん。よろしく」


 丁寧に頭を下げたガツに対して、俺はまた戸惑いながらもそう返す。

 俺よりも二つ年下なのに、ガツの言動は年齢よりもずっと幼い印象だ。


「あの、私も、トランポリンモードをやってみたいです」

「ああ、ちょっと待ってて」


 屈託ない表情でそう言われたら、俺も協力しようかなという気持ちになってくる。

 先ほど見たユーザー情報だと、ガツがログアウトする予定時間まであと一時間ほどある。現在はログアウトできなくしているので、それまで付き合おうか。


 先ほどのコードを打ち込んで、ガツに足で踏み込んでいくようにと指導する。

 地面が沈んで、跳ね返り、ポンポンと体が上下し始めると、ガツは高い声で大笑いした。


「あはは、Hさん、すごく楽しいですね、これ!」

「着地の瞬間にもっと足に力を入れたら、あの家くらい跳べるよ」

「本当ですか! 頑張ります!」


 ガツに合わせて俺も飛び跳ねながらそうアドバイスすると、彼女は謎の意気込みを見せて、さらに高く跳び上がっていった。

 紺色の屋根の家を見下ろしながら、彼女は心底嬉しそうに目を細めた。


「憧れの場所に来れただけじゃなくて、こんな楽しいことが出来るなんて……」

「憧れ? ここが?」


 誰もいないと思っていたからハッキングしてきただけの俺は、ガツの呟きが理解できなかった。

 ガツは、幸福を噛みしめるかのようにゆっくりと頷く。


「母が好きだと言っていた小説の舞台が、こういう場所なんです。ラストの方に、主人公の女の子が朝日を見るシーンがあって、私も同じ経験をしてみたいって、ずっと思っていたんです」

「ふーん。そうなんだ」


 本をあまり読まない俺は、そういわれても全くピンと来なかった。二〇一〇年代が舞台なら、だいぶ古い小説なんじゃないかなと思ったくらい。

 子供にとってVR空間の定番は、地球だとジャングルとかエジプト文明とか海底とかだから、こういう渋いチョイスをするガツの気持ちは、正直想像がつかなかった。


 しかし、その憧れを語るガツの両目はキラキラと輝いていて、そちらの方が魅力的に思えるくらいだった。

 俺にも、そう思える場所があるだろうか? 今は、走ったりジャンプしたりが一番楽しいんだけど、憧れの場所はすぐに思いつかなかった。


「Hさん、ちょっと一休みしましょうよ」

「うん。いいよ」


 十キロ以上も移動していたため、息の上がったガツがそう提案してきた。

 ゆっくりと地面に降りる方法を教えながら、ガツとある通りの上に立ち止まった。


「喉が渇きました」

「あそこに自動販売機があるから、飲み物でも買おうか」

「はい」


 トランポリンモードを解除しているので、俺たちは並んで二メートル先の自動販売機へと向かった。

 デザインもこの時代の四角い形で、物珍しさに写真を撮りたくなる。足がつくからできないけれど。


「はー、あそこにお金を入れるのですね」


 また指を地面に向けて動かしていたガツは、どうやら初めて見る二〇一〇年代の自販機の使い方を確認していたようだ。

 その間に俺は当時のポピュラーなズボンのポケットから財布を取りだして、小銭を入れて、コーラを買った。俺はガツと違って生理現象を感じないモードにしているけれど、ここは彼女に合わせようと思った。


「葉っぱみたいな色のブドウのジュースにします」

「マスカットね」


 ボタンを押して、落ちてきた短めの缶を手に取って、ガツは冷たいと騒いでいた。

 どうせVR空間でいくら使っても関係ないから、もっと高いのを買えばいいのにと思いながら、俺は自販機の中で一番高額だったペットボトルコーラを仰いだ。


 俺の横で、おいしーいと目を細めていたガツが、急に自分の背後を振り返った。

 俺はそれを視界の隅で認めつつ、コーラの炭酸の刺激を純粋に楽しんでいた。


「……Hさん、誰かログインしたようですよ」

「はあ?」


 そんなわけない、ハッキングでログインもログアウトも不可能にしているから。

 そう言いかけた言葉は、ガツの目線の先を辿った瞬間に喉の中で止まってしまった。


 街灯の光の下ではなくても、はっきりと物の姿を確認することが出来る。それが現実の夜とVR空間の夜との違いだ。

 そして、俺たちの三メートル先に立っていたのは、ピエロの服にアフロのカツラをかぶった背のでかい男だった。


 黄色に水玉模様でぶかぶかの服には、べったりと赤い血がついている。

 白塗りに赤い鼻をつけた顔で空を仰ぐと、そのピエロは口の中に手を突っ込み、自分の指先から肘くらいまでの長さがある刀を取り出した。


「わっ、すごい。あれって、魔法ですか?」


 ガツは何もわからないのか、無邪気に手を叩いている。こっちは内心脂汗でびっしりなのに。

 刀を構えたピエロは、俺たちの方を見ると、不敵な笑みを浮かべた。


「面白い方ですね」

「待て、あれはユーザーでもNPCでもない」


 警戒心のないまま、ピエロに近付こうとするガツのワンピースの襟を、俺はとっさにつかんで止めた。

 心底不思議そうな顔でこちらに振り返ったガツに、俺は必死に口を動かして言う。


「ガーディアンだ」


 その瞬間、ピエロの足が地面を蹴った。



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