第8話 彩佳の提案
翌朝の午前五時。夏美よりも早起きした総次は隊服に着替えて朝のジョギングに出かけていた。これは総次にとって日課となっていることである。
この日は旅館を出てから南ヶ丘学園高等部の方へ向かうルートを選び、かつて使っていた通学路を改めて眺めながら走っていた。
「この道も懐かしいな……」
淡泊な態度ながらも懐かしさを口にした総次は、少々スピードを上げた。
「早朝ジョギング、今もやってるのね」
すると総次の斜め右から聞き覚えのある声が耳に入ってきた。振り向くとそこに立っていたのは、ジャージに着替えていた彩佳だった。
「君も日課だったでしょ? その格好も久しぶりに見た」
「そう。君は今もやってるの?」
「今は仕事もあるから、出来る日と出来ない日がまちまちかな」
「そっか……大変なのね。新戦組って……」
「支えて下さる方々もいるし、それに……」
「それに?」
「元を正せば自分が決めたことだから、大変って思いたくないの」
「自分の決めたことだから……か。本当にそう言うところは相変わらずね」
彩佳は納得した様子で言った。
「それより、総次君は確か今日のお昼頃に帰るのよね?」
「十二時二十分の便で帰る予定だけど……」
「それはね……えっと……」
彩佳の質問に淡々と答える総次を眺めながら、口籠ってしまった彩佳だが、やがて決心したかのような表情でこう答えた。
「私ともう一度、試合してくれる?」
「……やっぱり、気にしてたんだ。卒業イベントで戦う約束を果たせなかったことが……」
唐突な彩佳からの挑戦に、総次は戸惑った。一年前に果たせなかった約束を果たしたいというのは、図らずも掃除も思っていたことだからだ。
戸惑いを覚える総次をよそに、彩佳は話を続けた。
「本当は私も申し訳ない気持ちはあるわ。大変な中、時間の合間を縫って来てくれた総次君の時間を奪うことには、でも……」
彩佳は唇をかみしめながら言った。
「……僕は一向に構わないよ。でも時間は?」
「十時だったら大丈夫かしら?」
「問題ないよ。それで場所は?」
「島の南西にある海岸。あそこなら闘気を使っても周辺被害は出ないわ」
「……分かった。でもいいの? 勝手に決めて……」
「沙希さんと沙耶さんには言っておくわ。武具に関しても一応の確認は取っておくし」
「そう……」
そう言われた総次の声はどこか嬉しそうにも聞こえるものだった。
「じゃあ宜しく頼む」
「あっ、総次君!」
ジョギングを始めようとした総次を呼び止めた彩佳は、彼に近づいてこう言った。
「途中まで一緒に走らない?」
「いいよ。そっちのルートに合わせるよ」
「じゃあ競争しましょう」
そう言って彩佳と総次は共にジョギングをすることになった。
⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶
「彩佳さんと試合?」
「ええ。今日の十時に、南西の砂浜でやりたいと言ってたので……」
二時間後、ジョギング終わりに朝食を取ってから旅館の部屋に戻ってきた総次は、既に起きて一通りの荷造りを済ませていた夏美に彩佳との試合の件を話した。
「美原先生達には許可を取ってくれるみたいなので、その辺りは心配してません」
「……約束を果たすのね。でもいいの? 総ちゃんは」
「構わないどころか、望むところです。それに、彩佳さんは本当に強い人ですし」
「どんな風に?」
夏美は不思議そうな表情で尋ねた。
「彩佳さんは剣術の達人で、学園内でも一、二を争う闘気使いです。特に闘気コントロールの精度は他の追随を許さなかったですから、僕も当時は本当に戦うのが楽しみでした」
「そんなに強いんだ。彩佳さんって」
「ええ。だから彼女が闘気研究者としての道を進みたいと言った時も、どこまでも闘気に対して真っ直ぐな彩佳さんらしいと思ったものです」
「そっか……」
「最後に戦ってからもう二年近く経ちますが、どこまで強くなってるのかが、楽しみだったりします」
そう言いながら帰宅の為の荷造りをする総次の口調は、無愛想な表情と裏腹に楽しさが滲み出ていた。そんな総次の姿を夏美は穏やかな笑顔で見守っていた。
「そう言えば、彩佳さんってどんな属性の闘気を使う人なの?」
「風と炎の闘気による接近戦を軸にした速攻型です」
「じゃあ、修一さんに近い戦い方ってこと?」
「ですがパワーに比重が置かれる澤村さんと違って、機動力に比重が置かれた戦い方をするのが彩佳さんです。斬撃の鋭さも、何度も僕の太刀筋を狂わせたことがあります」
「そんなに強いんだ」
「ですが、互いにブランクがあるので、正直戦い方にも多少の変化があるかもしれません。そうなると当然、戦術的な動きに大なり小なりの変化が出るのは必然でしょう」
「ってことは、これまでと違う戦い方になるかもってこと?」
「だと思います」
そう言う総次は、まるで闘争本能を刺激されたかのように微かに身体を震わせていた。
そんなところに、旅館の女将が受話器を持って部屋を尋ねてきた。
「沖田様。美原沙耶様からお電話です」
「美原先生から?」
そう言いながら総次は受話器を受け取った。
「もしもし、沖田です」
『おはよう、総次。卒業前の忘れ物を取りに来たくなったって聞いたわ』
「忘れ物……と言うことは、彩佳さんから例の件は聞いてるんですね?」
『勿論よ。久々にお前と彩佳の戦いが見れるのは、あたしとしても楽しみってものよ』
「ありがとうございます。そして唐突なお願い、申し訳ありませんでした」
『その台詞、彩佳からも聞いたわよ。気にしなくていいわ』
「彩佳さんも同じことを言ってたんですね」
『ええ。相変わらずお前といい彩佳といい、本当に超真面目ね』
受話器越しの沙耶の声は、いつもの明るい朗らかな声だった。そしてその声と態度に、まじめすぎる性格の総次も彩佳も何度も精神を解されたことがある。
『ああそれと、二人の試合の審判はあたしがするよ』
「先生がですか?」
意外そうな表情で総次は聞き返した。
『折角の試合ですもの、いいかしら?』
「ええ、ありがとうございます」
『いいってことよ。じゃあ総次、いい勝負を期待してるよ』
「はい。では」
そう言って総次は受話器の通話ボタンを押して切り、女将に返した。
「総ちゃん、何か嬉しそう」
「表情に出てましたか?」
そう言う総次の表情は相変わらずの無愛想だった。
「ううん。それより、この際に聞いておきたいことがあるんだけど……」
そう言いながら夏美は総次の真ん前まで近づいた。
「何ですか?」
「どうしてずっと笑わないの?」
夏美にそう言われた総次は、一瞬身体をビクッと震わせた。
「ねぇ、どうしてなの?」
「……それは……」
「……言いにくいこと?」
「……笑いたくても、笑えなくなったような気がします」
「笑えなくなった?」
「あの日、新戦組の一人として戦うと決意した時から笑うことが出来なくなったような気がして……」
静かに語る総次の醸し出すくらい雰囲気に、夏美は戸惑いを見せた。
「あの、その……」
「謝る必要はありません。それにここ最近、僕も何となく考えてたんです。どうして自分が笑えなくなったのかを……」
「どうしてなの?」
夏美は恐る恐る尋ねた。
「……一番隊組長として就任したあの日から、多くの人を殺してきた。そんな自分が笑っていいのかが、分からなくて……」
「それが、笑えなくなった理由なの?」
「最も自分を納得させられる理由として挙げると、これが一番しっくりきます」
「昔のように笑えるようになるには、どうすればいいの?」
「MASTERとの戦いが終わった時に分かると思います」
「……じゃあ、絶対に生き残らないといけないわね」
夏美はそう言いながら総次の右肩に手を置いた。
「……ありがとうございます、夏美さん」
夏美はそう言って夏美の手に自分の手を重ねた。
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