第七章 黒狼と白鬼……‼

第1話 悔しさをバネに……‼

「はぁ……はぁ……」


 九月三日、午後五時三十分。里見神社に来てから一週間、総次は相も変わらず龍乃宮紗江との剣の稽古に励んでいた。最も、総次は一度も彼女に対して太刀を浴びせるどころか、彼女相手に優位に立てず、結果的に敗北に敗北を重ねていただけであった。

 この日も紗江に果敢に挑み続けたがことごとく返り討ちにされた為、その疲れから社殿前の地面に仰向けになって己の無力さを嘆きながら夕焼け空を眺めていた。


(全く進歩がないな。龍乃宮さんに一太刀浴びせることも出来ないなんて……)


 自分の未熟さを思い知りながらも、総次は立ち止まることをしなかった。それが結果として先日の呼吸困難に陥る原因だった。身体を崩すことになりかねないと知っていても、自制できる性格ではないからだ。


「今日はここまでね。お疲れさま、総次君」

「お疲れさまです……」


 そんな総次とは対照的に、爽やかな汗をタオルで拭きながら余裕と妖艶さを兼ね備えた笑顔で総次に近づいてきたのは紗江だった。


「あら? 元気ないわね?」

「いや、まだあなたに一撃も与えられないのが悔しくて……」

「自信喪失したの?」

「と言うよりは、やる気が空回りして結果に結びついていないのが何とも……」

「それは今のあなたが未熟だってことでしょ?」


 総次を起こしながら心に刺さる言葉を投げかけられた総次は反論しようとしたが、原因が彼女の言うように自分の未熟さにあるということも自覚していた為に、それを甘受せざるを得なかった。

だがそんな彼でも甘受しきれない彼女の行動がある。


「それとも~……」


 そう言いながら紗江は総次の両手を取って緋袴の横に深く入ったスリットから覗く妖艶な太腿に触れさせた。


「何するんですか……?」

「ん? 元気にさせようと思ってだけよ♥」

「……僕以外の男だったら、さぞ喜んだでしょうね……」


 この類の紗江のセクハラ行為は、総次が里見神社を訪ねてから日常茶飯事となっているが、毎日の如く行われた為に面倒だと思うようになってしまっていた。

一方で紗江はそんな総次の心境などお構いなく、ひたすらにセクハラ行為を働いて総次のリアクションを愉しんでした。


「太腿フェチの総次君にはこれが一番だと思ったのに♥」

「……僕は膝枕が好きなのであって。太腿フェチと言うほど好きではないんですが……」

「でも麗華言ってたよ。膝枕で寝るとき、麗華の太腿に顔を埋めて両手でその感触を楽しんでるって♥」

「なっ‼」


 突然そう言われた総次は仰天しながら起き上がった。


「そんなことを……」

「ふふっ。あの子は本当に総次君がだぁ~い好きだからね。きっと総次君の可愛らしい仕草を見ると萌えるのよ♥」

「はぁ……」


 この時の総次は決して麗華に対して悪い感情を抱いたわけではない。むしろ麗華が自分をそう思ってくれたことが嬉しかった。

出来ることであれば、その詳細は二人だけの秘密にして欲しかったという感情も否定できなかった。


「そんなことより、そろそろ夕飯の支度をしなきゃ」

「お手伝いします」


 そんなやり取りをしながら二人は仲に戻っていった。



⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶


 午後七時三十分を回り、夕食を終えた総次は居間で畳に胡坐をかきながら手元のノートを見ていた。そこにはこれまでの自分の訓練の結果が詳細に記されている。

里見神社に来てから今日に至るまで、訓練の中で気付いたことを逐一記録していたのだ。

しかし紗江の圧倒的な力と技巧を前に未だなす術がなかった。それは彼にとって、兄である沖田総一に勝てるはずがないと言われているのと同義だという考えが浮かび始めてもいる証拠だった。


「あら~? 何をぼぅっとしてるのかしら?」


 そんなことを思っていた総次を想像から現実に連れ戻したのは、手に二人分のオレンジジュースを持った紗江だった。


「……僕は強くなったのでしょうか?」

「ん?」


 質問を投げかけられた紗江は総次の隣に座って話を聞く姿勢に入った。


「稽古を続けていても、全く強くなれていないと思ってしまうんです……」

「それで自信が持てなくて、焦ってしまうの?」


 紗江の返答に総次は無言で頷いた。人間誰しもいえることだが、一度や二度指摘されたことを直すのは容易いものではない。特に長年の習性となっていれば、それは厄介この上ないものである。これまで稽古や試合でも、常に自分より格上の相手を破り、その都度急激な成長速度を周囲に見せつけてきた総次。


 だが新戦組に入って以降の幸村翼や沖田総一などの強敵達との戦いの中で、自分の成長が止まってしまったのではないかと思い始めていた。


「君はあたしに勝つためにここに来たわけではないんでしょ? 勝とうとまでは思わなくてもいいのに……」

「それが出来る力がないと、あいつに勝つことは出来ない。ですが……今の僕は視野狭窄に陥っているんですかね?」

「そこまでではないと思うわ。でも、ならばどうすれば勝てるって思ってるの?」

「沖田総一は、力技で甘い相手ではありません。技巧も同じくらいに優れています。対抗できるだけのものを持たない限り、僕に勝機はありません」

「……言いたいことは分かったわ」

「申し訳ありません。我が侭ばかり申し上げてしまって」

「いいわよ。強くなる為に一切の妥協を惜しみたくないからでしょ?」


 紗江は総次に対して微笑みながらそう言った。


「いずれにしても、先が長く思えてしまいます」

「千里の道も一歩からって言葉があるでしょ? それに麗華が言ってたわよ。万が一に備えて東京都全域に警察や新戦組で警戒網を構築して、即応態勢を整えてるわ」

「ですが、沖田総一が相手となれば、相応の力を持った人間でないと、一方的ななぶり殺しに見舞われるだけかと」

「あなたの所属してる新戦組は、その程度のことも出来ないような組織なの?」

「そうですが……」


 紗江の指摘は正しく、総次は反論を封じ込められてしまった。


「僕はこれからも戦いの中で起こりうる凶事を未然に防ぎたいと思っています。せめて、僕の目に届く距離で出来ればと……その為にも、奴を倒さなければならないんです」


 総次は両手の拳を血が出るのではと思える程強く握りしめ、悔しそうに唇を噛みながらそう言った。そんな彼を見た紗江は彼の拳に手を添えてこう言った。


「……その気持ちを大事になさい」

「はい?」

「悔しいって気持ちよ。君は随分兄に負けたことを悔やんでるわね。その悔しいって気持ちは、確かに大事にするべきものよ」

「は、はぁ……」

「でもね」


 そう言いながら、今度は総次と真正面から向き合う紗江。


「焦りは度を越せば眼前の出来事を正しく見られなくなるものよ」

「目の前のことを、正しく……」

「……」


 稽古の時や誘惑の時とは違う雰囲気を纏いながら放った紗江の言葉に、総次はいつの間にか黙して聞き入っていた。


「あなたが優秀で何事もそつなくこなせる子だってのは麗華から聞いてたけど、焦りに染まり過ぎれば、その能力も曇ってしまうのよ」

「……確かに、以前から何度も指摘もされました。この戦いに身を投じてからも、何度も」

「それが分かれば、少しは落ち着いたでしょ?」

「今一時はですが……」


 総次はやや不安そうな表情でそう言った。理屈で分かっても、改めてそれを自制できるか自信が持てなかったからだ。


「なら、これからはあたしにムキになって立ち向かおうとしないの。今のあなたが強くなる理由はなんだったかしら?」

「これ以上、罪のない人達が命を落とすのを見たくないからです」

「宜しい。それで明日の午後の稽古なんだけど、持ってきた刀を用意して八時に雲取山の中腹に向かいなさい」

「えっ‼ ですがそれでは……」

「グダグダ言う暇があったら、どうしたらあたしに一太刀浴びせられるかを考えることよ」


 茶目っ気交じりにそう言われた総次は、まだ自分が麗華に一太刀を掠らせることすら出来ていないことをほじくり返されたと思い、ややむすっとした表情になった。


「じゃあ、明日も頑張りなさい」

「分かりました。ありがとうございます」


 総次の言葉を聞き、紗江は居間を後にした。だがこの時の総次は、冷静ではいられない状態だった。東京全域に検問が敷かれて都内での警戒が強まり、結果的にMASTERに一定の圧力が掛けられるが、もしも沖田総一が東京の首都機能を掌握したとして、奴が国盗りを成すと言った以上、やはり相応の能力を持った部下もいるだろう。


 そうなれば単なる力技だけで掌握するとも限らない。現に警視庁幹部が会議をする日時を知ってたことから、ハッキング能力に長けた部下がいると考えて間違いないからだ。


(検問を敷いても沖田総一を止められる可能性があるとは言い切れないからな……)


 冷静さを取り戻しながらも不安を拭いきれない様子の総次。 いずれにしても、簡単に東京を陥落させまいとする新戦組と、警視庁への奇襲を許した上に多くの犠牲者を出した警視庁管轄下の職員が共同戦線を張って戦ってくれる。それが時間稼ぎにならなくても、力を弱めて対処しやすくすれば問題ない。だとしたらそれまで自分は力を手に入れる稽古に更に専念しよう。そんな考えが総次の中に芽生え始めていた。

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