第20話 龍乃宮紗江の懸念

 八月二九日、午前九時。里見神社に滞在していた総次は、紗江が課した過酷な稽古に励んでいた。


「ほらほら! 今のあたしはまだ本気じゃないわよ? それについてこれないなら、君が倒したい相手に勝てないんじゃなくて?」

「言われなくても……‼」


 総次から言い出したこととは言え、その稽古は予想を遥かに超えるもので、稽古が始まって二時間で足元が微かに震えていた。

しかし彼の目はその気力を失っていなかった。それは自分と沖田総一の出生の因縁に終止符を打たなければならないという使命感と、もう二度と罪のない人が死ぬのを見たくないという思いの双方が支えていたに他ならない。


「……行きます!」


 総次は気力を振り絞って木刀に風の闘気を纏わせて突進した。

だがその動きは万全の状態のそれと比較して直線的であり、かつそのスピードも僅かに劣っていた。


「気力は衰えてなくても、動きは鈍ってるわね……」


 当然紗江がそれを見抜けないはずもなく、木刀に鋼の闘気を流し込んで総次が繰り出した乱撃を次々といなしながら徐々に総次の急所を狙うようになっていた。


(ここで、ここで今の僕を越えないと、総一(あいつ)を倒すことも出来ない)


 紗江との打ち合いと焦りの中でそう思った総次は、きわめて正確に急所を狙う紗江の斬撃の嵐を潜り抜けんと、遮二無二紗江の乱撃を捌き続けた。

紗江も総次のやや乱れた連撃の僅かな隙を見抜いて彼の木刀を賽銭箱の前まで吹き飛ばしてしまった。


「この程度……‼」


 小さな声でそうつぶやきながら、総次は木刀のある賽銭箱まで一足飛びで到達して手にし、乱れた呼吸を整えることなく紗江に向かってそのままの体勢で光の闘気を纏わせた木刀による鋭い突きを繰り出した。


(飢狼‼)


 光の闘気を纏わせた飢狼から放たれた一筋の闘気は、総次の気力そのままに鋭く空を切りながら紗江に向かって行った。


「呼吸を整えないで続けて戦おうとするなんて……」


 紗江は、自分の身が滅ぶことも厭わず戦い続けるその姿勢に危機感にも似た感情を覚えながら、総次が飢狼から放った光の闘気を風の闘気で生成した刃で打ち消した。それによって発生した爆風を潜り抜けて総次は紗江に再び突進していた。


「これで……げほっ、げほっ」


 突進しながら紗江に斬りかかろうとした瞬間、総次は咳き込みながらその場に倒れ込む。


「総次君!」


 呼吸困難になってその場にうずくまる総次を見兼ね、紗江は駆け付けて彼を抱きかかえた。


「落ち着いて、息を整えなさい」

「げほっ、げほっ。はぁ、はぁ……すいません……」


 紗江の懸命の声掛けで呼吸のリズムを取り戻した総次は、すぐさま迷惑をかけて紗江に謝罪した。


「全く、息を整えないでがむしゃらに動くからよ。こんなことをこれ以上続けたら、冗談抜きで死ぬわよ?」

「例え身体がどうなっても、自分だけの力を手にしないと駄目なんです。決着をつける為にも……絶対に……‼」

「はぁ。本当に無茶する子。二十分休憩をあげるから、その間に水分補給をしてしっかりと体調を整えなさい」

「ありがとうございます……」


 重ねて謝罪する総次に、紗江は心配そうな表情のまま彼を社殿裏の縁側に座らせた。


「何か飲み物持ってくるわ」

「お手数をおかけします」

「気にしなくていいわよ」


 そう言いながら紗江は中に入っていった。


(ちっとも進歩がない……)


 総次はそう思いながら膝に置いていた拳を強く握りしめた。自分の力不足に対しての苛立ちや、一刻も早く強くなりたいという焦りが彼の心を支配している為に、精神的な余裕がなくなっていた。


「僕以上の剣腕に、あの未知の闘気。乗り越えるべき課題は多いけど、何としてもあいつに勝つんだ。自分だけの力を体現する術を得る為にも。そして総一(あいつ)との因縁に決着を付ける為にも……‼」

「その責任感の強さは分からなくはないわよ」


 そんな声を聞いてふと顔を上げると、スポーツドリンクを手にした紗江が戻って来て、総次に一つ手渡した。


「聞こえてましたか?」

「途中からね。でも事は君個人の問題ではないのよ」

「分かっています。でも……」

「でも?」

「だからこそ、やれなくてはいけないんです……」

「具体的には?」

「……龍乃宮さんは僕のことについて、どこまで局長から伺ってるんですか?」

「警視庁を襲撃したのが君の双子の兄って言うことと、今まで見たことが無い闘気を使ってるってことかしらね? 君の特訓の為の理由を知る必要があったからね」

「では、僕と沖田総一の出生に関しても?」

「まあね。一通りは」


 そう言いながら紗江はスポーツドリンクを一口飲んだ。


「だからこそです。僕と沖田総一の出生が水瀬名誉教授の研究の果てにある以上、ここで決着を付けないと、また罪のない人が死ぬかもしれません

「でも、沖田総一が君でないと倒せないって言う明確な理由ではないわね」

「え?」

「彼の力が未知数と言っても、別に不死身でも無敵でもないんでしょうし、それを君個人が倒さなければならないっていう訳でも……」

「ですが僕は……」

「理屈じゃなくて、本能的に沖田総一と戦わなければならないって言う気持ちが強いって訳ね?」

「うっ……」


 そう指摘された総次は、図星を突かれたという表情になって言葉に詰まってしまった。


「気にしなくてもいいわ。その辺りは麗華も承知してるわよ」

「局長がですか?」

「君を幼い頃から見てきたんだし、それを見抜けない麗華ではないわよ」

「……僕はまだ、局長の足元にも及びません。入隊前に一度一騎打ちを行ったんですが、それを改めて実感しました」

「そりゃ君と麗華とじゃあ十歳近く違うんだし、当たり前よ」

「分かってます。でもそれを言い訳にしたくないんです……」

「決して言い訳じゃないと思うけど?」

「いえ、言い訳です。強いか弱いかの世界ではそれも言い訳です」


 再三の紗江の気遣いに対しても強情な姿勢を崩さない総次。そんな態度に対して急に紗江は総次を押し倒してしまった。


「あ、あの……?」

「聞き分けのない坊やね……」


 総次の耳元でそうつぶやく麗華に、頬を紅くした総次。


「ま、また僕を子供扱いして……」

「あなたは子供よ」

「ぐっ……‼」

「この一連の戦いが終ったらどうするのかしら?」

「……‼」


 その質問を投げかけられ、総次は言葉に詰まった。そして紗江は「やっぱり」と言う表情で更に続けた。


「この戦いが終わっても、君の人生が終わるわけではないのよ。大きすぎる力は、えってその後のあなたの人生を苦しめることにだってなりかねないのよ? 例えそうならなくても、それ相応の責任や重荷を背負うことになることに変わりないわ」

「……それでも僕は……それに、その先のことなんて今は……」


 紗江が指摘したように、ただ生きることのみを考え、戦いが終わった後の具体的な身の振り方を考えていなかった総次には、それ以上先をいうことが出来なかった。


「まあでも、今はそれについて深く考える必要はないわね。確かに目の前の敵を倒さないんじゃ、その未来もないでしょうし」


 そう言いながら紗江は総次を自身の拘束から解放した。


「正直なところ、多くの人を殺した僕に、平和な未来があるというのは信じがたいですが、こんなところでは終われないという感情もあります。ですが……」

「ですが?」

「だからこそ自分だけの力を形にする術を見出して総一(あいつ)を倒し、その後のMASTERとの戦いに改めて備えなければと、そう思うんです……」

「分かったわ。じゃあその為により一層、強くなりましょう」

「……はい」


 紗江の言葉に対し、総次は静かにそう答えただけだった。



⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶


「どうやらあなたが思った以上に深刻みたいね。総次君の心情は」

『そうですか……』


 同日午後十一時三十分。紗江は午前中の稽古での出来事を麗華に伝えていた。


『生き急ぐかのような戦い方をあの子がするなんて……でも、確かにあの子の性格を考えると、その可能性がないことはないとは思っていたけど……』

「新戦組一番隊組長としてのあの子が冷静沈着なのは事実でしょうけど、今回はそれとは少し違う気がするわ」

『自分と沖田総一との因縁が、あの子を今まで以上に焦らせているのでしょうか?』

「可能性は十分にあるわね」

『それにしても、それにしても倒れるまで戦おうとするなんて……』

「理由だけなら洞察できても、そこに対する思いまで洞察するのは難しいものよ。あの子のそこに掛ける思いが、私達の予想を遥かに上回っていたのでしょうね」


 総次の心境の異様さに対する懸念を抱く麗華にとっても、稽古を言ら受け持つ紗江にとっても、総次の異様なまでの求道的性格に戸惑いを覚えていた。

 以前から大なり小なりその傾向はあったものの、今回のそれは紗江が指摘したように、今までと比較にならない程のものだった為に、幼い頃の総次しか知らない麗華が戸惑いを覚えるのも無理のないことであった。


『それで、あの子はこれから一体……』

「任せなさい。あたしの目が黒いうちは、絶対にあの子に無茶させないわ」

『お願いします』

「それにしても、麗華もこんな気持ちを味わったの?」

『はい?』


 急な話題の方向転換に、麗華は一瞬戸惑いの声を出した。


「いざとなると無茶ばかりして、誰かが見守っていないとどこか遠くへ行ってしまうんじゃないかと。だからこそ守ってあげたくなっちゃう。総次君を見てると、ついそう思っちゃうわ」

『……あの子に、何かしてないですよね?』


 麗華は懸念するような言葉を漏らした。彼女自身、かつては彼女の悪戯に振り回されて苦労したことが多かった。総次も同じ目に遭っているのではと言う懸念が出てくるのは決して不可思議なことでもない。


「心配無用よ」

『はぁ……』

「とにかく、あの子のことは任せなさい」

『分かりました。引き続きお願いします』

「ええ」


 そう言って紗江は通話を終えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る