第18話 特訓開始‼

「……あの、よろしいでしょうか?」

「なにかしら?」


 午後十一時四十分。本部から持ってきた寝間着に着替えて寝室に入った総次は、不機嫌さを表情と声にいっぱいに滲ませて紗江に質問した。


「……寝室が一つしかないと言うのは予め局長から伺っていましたが、何故布団まで一人分しか用意されていないのですか?」


 そう言いながら総次は足元に敷かれている布団を指差した。彼の言うように二人分が用意されておらず、一人分しか敷かれていなかった。言うなれば、これは同じ布団で一緒に寝ろという、紗江からの無言の命令に等しかった。


「いや~。用意するのがめんどくさくって~。それに君のような子だったら一緒の布団で寝てあげてもいいかなって思って~♥」

「……まさかと思いますが、あの画像を見てそう判断なさったんですか?」

「うん! 可愛い男の子なら、一緒の布団で寝たいって思っちゃって~。ああ勿論麗華には内緒にしてるわよ。あの子なら絶対反対するだろうし~」

「えっと……」

(まさかこんな目に遭うなんて……でも、今回の稽古を引き受けて下さった龍乃宮さんのご厚意に甘んじて、ここは覚悟を決めるしか……)


 明るく、そして何の悪びれもなく答えた紗江の態度に、総次はどこか諦観した様子だった。この人には自分が何を言っても聞くことはない。そもそもそんな立場に自分はないことを、この瞬間に改めて悟ったからだ。


「……分かりました。ところで、龍乃宮さんは寝巻に着替えないんですか?」


 寝る体勢に入っている総次と対照的に、紗江は例の装束のままだった。


「ああ、あたしの寝巻はこれなの。ちなみに同じデザインの奴が五着。着替える手間が省けるの」

「では僕は、その格好の龍乃宮さんと同衾と言うことに……」

「なぁに? 何か不満?」

「正直、平和に寝付ける自信がありません」

「そっかぁ……じゃあ大人の夜を過ごしてみない? どうしても坊やが寝付けないなら、今夜は寝れないようなことをお姉さんとしてみない♥」

「丁重に遠慮させていただきます。そして必ず寝付けてご覧に入れます」


 紗江からの色仕掛けに懲り懲りした様子の総次は苦笑いしながらはっきりと宣言した。そうでもしなければ身が危ないと、本能的に察していたが故の行動である。


「分かった。でも、もしあたしに甘えたくなったら、いつでも引っ付いていいわよ。まあ麗華とは感触が違うと思うけど……」

「感触って……僕が局長の膝枕で良く寝ていたということも、伺っていたんですね?」

「おや? それは初耳ねぇ」

「えっ?」


 その瞬間、総次は嫌な予感がした。そしてそれは的中することになった。


「……ってことは、総次君は麗華の太腿の感触を堪能してるってことよね? いや~。麗華が可愛がってるって聞いたから何らかのスキンシップはあったと予想してたんだけど、そうかまあ君と麗華ぐらいの年の差ならそれぐらいあってもおかしくないね。それによって君は太腿フェチになったって?」

「えっ‼ あっ、いや、その……」

(しまった、墓穴を掘った……いや、カマをかけられたか……)


 総次は後悔したが、紗江を前にそれは遅すぎた。既に紗江は総次の目前まで来て、彼の顎を右手で押し上げて誘惑の態勢に入っている。退路は断たれてしまっていたのだ。


「じゃあ、あたしのこの太腿の感触も、抵抗しながらも実は愉しんでたとか? あんな反応してた癖に……いやらしい♥」

「……まあ、気にならない訳ではないですが、決して如何わしい心理ではないということは断っておきます」

「そう。まあどう解釈してもいいけどね。さて、あたしはそろそろ寝るわよ」


 そう言いながら紗江は灯りを豆球にして布団に入った。


(本当にこの人は掴み所がない。でも……)


 そう思いながら総次は紗江の隣に座って彼女を眺め始めた。


「……何をじろじろ見てんだい?」


 すると総次の死線に気付いた紗江が突然総次の方を振り向いて尋ねてきた。


「別にじろじろ見てないですよ」

「嘘おっしゃい。さっきっからあたしの身体をじろじろと眺めて……視線を感じるのよ♥」

「……」

「ひょっとして……あたしの身体に触りたくなったとか?」


 そう尋ねられた総次は頬を紅くして無言になった。


「……麗華にもそうやって昔は甘えてたんでしょ?」

「それは……」

「不愛想しても無駄よ。態度にも頬にも出てるし……」


 更に追及されるように言われた総次は後ろを向いてしまった。


「もう、可愛いんだから♥」

「……本当に、あなたって人は……」


 そう言いながら観念した様子の総次は面を両手で隠しながら布団に入って紗江と背中合わせに寝ころんだ。


「ふふっ。照れちゃって……」

「別に照れてません。でも……」

「でも?」

「でも……その……」

「あたしと麗華の感触がどう違うのか気になったのかしら? こんな格好の女と2人きりだと、流石に君も無視できなくなっちゃったのね?」 


 紗江にそう割れた総次は、寝返りを売って紗江と向き合い、彼女の全身を眺め始めた。


「……やはり神様に失礼な格好ですね……」

「褒め言葉と受け取っておくわ」

「……麗華姉ちゃんって、本当に暖かいんです。膝枕もそうですが、心も温かくて……」

「そうね。あの子は優しくて強いし、何より物腰柔らかで女神みたいなところがあるわね。確かにあなたが懐くのも分かるわ。それじゃあ」

「はい?」

「確かめてみる? あたしと麗華の違いを……」


 そう言いながら紗江は袴のスリットを広げ、太腿を大きく露出させた。


「……あの……」

「ふふっ。君にならいいって、さっきも言ったでしょ?」

「ですが……」

「じれったいわね……」


 そうつぶやいた紗江は総次の右手を持ってきて強引に太腿に持っていった。


「あの……‼」

「ほら。どう違うか言ってごらん?」


 そう尋ねられた総次は紗江の太腿の感触を確かめた。


「……すべすべしてますね。麗華姉ちゃん以上に……」

「そう」

「でも、柔らかさは麗華姉ちゃんの方が1番です。やっぱり……」

「それじゃあ、引き分けってことね」

「いえ。麗華姉ちゃんの勝ちです」

「あら、残念」


 言葉通り残念そうな声を出した紗江は、そのまま総次の手を元に戻そうとしたが、何故か総次の手に力が入って離れなかった。


「どうしたの?」

「……もう少し、触っていてもいいですか?」

「いいけど、ひょっとして気に入った?」

「そうじゃなくて、その……」


 すると総次は言葉に詰まって口をもごもごし始めた。そんな総次の態度に何かを察した様子の紗江はこんなことを尋ねた。


「人肌が恋しくなったの?」

「……ご想像にお任せします……」

「じゃあ、当たりってことね。別に少しと言わず、一晩中いいわよ。いっそのこと、太腿だけじゃなくて、全身でもいいわよ」


 そう言われた総次は無言のまま太腿にあてがわれた手を動かして感触を確かめ続けるのだった。



⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶


 八月二十八日、午前六時三十分。総次は紗江と共に朝食を取って直ぐに、剣の稽古を行う為に木刀を手にして外に出ていた。


「さて、疲れは取れたかな?」

「ええ。もう万全です」

「宜しい。じゃあ構えて」


 にこやかな表情の紗江は木刀を構えながら総次に合図を送った。彼もそれに応えて木刀を構え始めた。


(麗華姉ちゃんと肩を並べる実力を持つ女剣士……一体どんな技を見せるんだろう?)


 総次はそう思いながら紗江の出たかを伺った。紗江が麗華と同等のチカラを持つものであれば、一瞬の隙でも見せれば命取りになる。

木刀を構えて総次の前に立ちはだかる紗江から、彼は本能的にそんな空気を感じ取っていた。


「それじゃあ、そちらからどうぞ」

「では遠慮なく……」


 紗江から先攻を譲られた総次は、その直後に紗江の視界から姿を消す。

ほぼ同時に木刀に鋼の闘気を流しこみ、紗江の背後を取って斬撃を繰り出していた。

 しかし紗江は木刀に風の闘気を纏わせて総次の斬撃をいなた。


「なっ……‼」


その勢いのまま、身体を横に一回転しつつ目にも止まらぬ速さで回転斬りを繰り出した。


(速い……でも見切れる!)


 紗江の回転斬りを見切った総次はバック宙で紗江と距離を取って着地した。

直後に木刀に風の闘気を纏わせ、腰を深く落として神速の連続突きを繰り出した。


(尖狼‼)


 総次の尖狼から放たれた三十三の風の槍は一斉に紗江目掛けて襲い掛かる。


「あたしにも出来るわよっ‼」


 紗江は目いっぱい振り上げた木刀に風の闘気を纏わて斬撃を繰り出すとを繰り出すと、巨大な風の刃が総次が風の槍を全て斬り裂いた。

それで発せられた突風で周囲に土煙が立ち込め、互いの視界を遮った。


「さて……どう出るのかしら?」


 紗江は周囲を警戒し、総次が次に取る行動に対応できるように備える。

すると紗江の頭上の土煙を突き破った総次が、木刀に雷の闘気を纏わせて振り下ろした。


(天狼‼)


 轟音を響かせながら閃いた天狼は、僅かな狂いもなく紗江の頭上に振りかかろうとしていた。


「結構高く飛んだのね……‼」


 しかし紗江は苦も無くさらりと直撃地点から横にかわし、総次の背中に闘気を解きつつ、強烈な一撃をお見舞いした。


「ぐあっ‼」


 背中に強烈な痛みが走ったのを感じた総次だったが、吹き飛ばされながらも空中で態勢を整えて無難に着地し、その流れで木刀に大量の光の闘気を纏わして強烈な突きを繰り出した。


(飢狼‼)


 飢狼と共に繰り出された極太の光線は紗江に一直線に向かって飛来した。


「次は威力ってことね」


 紗江はその場から大きく飛び上がってかわしながら総次の頭上を取る。

先程総次がそうしたのと同様、木刀に雷の闘気を纏わして前方回転をしながら斬りかかってきた。


(……全方位攻撃って言う意味では、僕に合わせてるってことか……)


 紗江の斬撃を交わしつつ、総次は木刀に風の闘気を纏わせながら着地したばかりの紗江目掛けて突進して間合いを一気に詰めた。


「今度は真正面から打ち合おうってことね」


 総次の一種の挑戦にも思える行動に、紗江も木刀に風の闘気を纏わせて最初の一撃を相殺させ、そのまま互いに目にも止まらぬ速さで次々と斬撃を繰り出して互いの隙を伺った。


(これって……)


 それは打ち合っている最中の総次を驚愕させるのに十分だった。紗江が放つ斬撃のキレと鋭さが、麗華のそれを遥かに上回っていたのだ。


(一撃の重さは麗華姉ちゃんと同等だけど、正確さと打ち込む角度は麗華姉ちゃん以上だ……)


 驚愕する総次は、頃合いを見て紗江から距離を取って体勢を立て直した。


「どうしたの?」

「いえ、局長の仰っていた意味がようやく分かりました。あなたは局長と同じくらい強いと」

「そう。じゃあ、その身体の震えは武者震いって奴かしら?」


 紗江に指摘された通り、表情こそ真剣そのもので、そこには一ミリも笑顔の気配がなかったが、身体は傍から見ても分かるほどに震えていた。麗華以上の手練れと手合わせできるという喜びがどれほど彼を刺激していたのだ。それは傍から見ている紗江にも感じ取れるほどだったようだ。


「だからこそ、強くなりたい……‼」


 確信した総次は木刀に鋼の闘気を流し込みつつ、紗江の足元目掛けて突撃を掛け、彼女を斬り上げようとした。


(翔天狼‼)


 それを紗江は風の木刀で受け止めたが、その衝撃でやや上空に飛び上がった。

続けて総次は先程以上の速度で連続斬りを始めた。


(蒼天狼‼)

「甘いわよ‼」


 紗江もまた、総次と遜色ない速度で乱れ斬りを繰り出して総次の太刀筋を見切りながらいなし、やがて二人は着地し、距離を取った。

その頬や額には多量の汗が湧き出ており、この短時間での総次の動きがいかに激しかったかを如実に物語っていた。


(さっきの攻めの鋭さといい、守りの堅牢さといい、麗華姉ちゃんとは違うベクトルで、でもそれに匹敵する強さを持っている。しかもまだ僕に合わせた上での動きとしたら、本気を出したらどうなるんだろう……)


 そう思った総次は武者震いと同時に恐怖を感じた。紗江の本気を見てみたいと思うが、その時自分は互角に太刀打ちできるのか、そもそもその時自分は五体満足のままでいられるのか、そんな考えが総次の中に生まれていた。


「機動力と剣速。そしてあらゆるレンジから攻撃を繰り出せる範囲の広さと長さ。的確な威力調整に、全ての戦い方を万遍なく行える万能性。結構見どころはあるわね」

「お褒め頂き、光栄です」


 紗江からの称賛に総次は丁寧に言葉を返した。だがその次に紗江が放った言葉は、総次をほんの一瞬、思考停止に陥れた。


「そうなると、これ以上強くなる必要があるのかしら?」

「えっ……?」

「私としては、もう十分持てるものを持ってると思うけど……?」

「ですが、今の僕では警視庁を襲撃した奴には……あいつには絶対に勝てません……」

「君の双子の兄って名乗った子のこと?」

「……局長から説明されたんですね。沖田総一にも勝てなければ、今の僕は組織としても足手纏いなだけです」

「それは新戦組の皆から言われたことなの?」

「いえ、僕がそう思っているだけです」

「じゃあ、無理して力を求めなくてもいいじゃない」

「ですが、それでは僕は自分だけの力を……沖田総一を討ち果たすほどの力を得られない。そんな僕に、新戦組一番隊組長としての資格はない……‼」

「そう……」


 先程以上に真剣な表情で宣言した総次を眺めながら、紗江は余裕に満ちた柔らかい表情から一変、総次の思いに応えるように凛とした、精悍な表情になった。そこには昨日の妖艶さとは違う大人の女性の魅力も溢れていた。


「分かったわ、総次君。君が納得いくまで付き合ってあげるわ。でもその分厳しくしごくから、付いてきなさい!」

「望むところです‼」


 紗江の宣言に応えるように、総次もこれまで以上に大きな声でそう言った。

自分だけの力を得んとする、魂からの叫びとも思える程の声で……。

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