第9話 冬美と真

「冬美。入っていいかな?」

「真さん……どうぞ」


 夏美達が脱衣場で談笑している頃、彼女より先に入浴して組長室に戻っていた冬美の下へ、真が訪ねてきた。


「突然押しかけて済まないね」

「いいえ。どうされたんですか?」

「いや……久しぶりに君と話がしたくてね、ここ最近忙しくてプライベートな談笑も出来なかったし……」

「その為に……ですか?」

「それと、君の破界の力についてもね」

「あぁ……真さんもそのことを……」


 自分達が破界の力のコントロールの特訓をしていることはほぼ周知の事実となっていたが、薫や麗華の仕事の手伝いなどで他の組長よりも遥かに多忙の中にいて、この手の話が入ってくる余裕がない真にまでそれが及んでいることが、彼女には意外だったようだ。


「もっとも、僕もそれを知ったのはここ二、三日のことだけどね。麗華達がようやく特訓のGOサインを出したと聞いて、ちょっと気になったんだ」

「そうだったんですか……」

「それで、特訓の調子はどうなんだい?」


 真は冬美が腰かけているベッドの端に腰を下ろしながら尋ねた。


「……特訓を始めて二週間経ったんですけど、本調子時の五割程度までしかできなくて、実戦で扱える最低限度と言われる七割から八割にはまだ……」

「だろうね」

「え?」


 冬美は目を丸くして真の顔を見ながら声が出た。


「今の君の技量なら、二週間程度でそれぐらい行けると信じてたよ。実際、破界の闘気の特訓で最も大変なのが五割から先に持っていくまでなんだ。闘気の覚醒と同時に破界に目覚めてから力に振り回された経験が多い君なら、鬼門となるのがその辺りになるのはある程度予想できたよ」

「……私、どうしたらいいんでしょうか……早くこの力をモノにしないと……」

「……BLOOD・Kと、また戦うことになるかもしれないって、思ってるんだね?」

「……」


 真のこの質問に、冬美は無言で頷いた。彼女も夏美と同様、BLOOD・Kが再び自分達の前に現れるのではという不安に駆られていたようだ。


「だからこそ一日でも、いや一時間でも早く力をコントロールできるようになりたいと考えるんだね……」

「はい……」


 冬美はやや暗く思いつめた表情でつぶやいた。


「……君は本当に強くなったね。ここに来てから夏美ちゃんと一緒にここまで強くなるとはね……」

「私にはそんな自覚は……ただ、逃げたくなかっただけです。現実からも、BLOOD・Kからも……もう何からも……」

「それが聞けて良かったよ。だからこそ、破界の力を操るうえで大事なことを伝えに来た価値があったという訳だ」

「それで、何が大事になるんでしょうか?」


 冬美は最も期待していたであろう話題に食らいついた。先程も冬美が言っていたように、一時間でも早く会得したい彼女にとって、喉から手が出る程欲する話題だったからだ。


「闘気をコントロールするうえで大事なプロセスに『必要な量の闘気の放出』と『放出した闘気を集中する箇所へ移動させること』と、もう一つ大事なことを思い出してごらん?」

「……放出し、移動した闘気を留めきる……」

「ご名答」


 冬美の回答を聞いた真は右手親指を突き立ててウインクしながらそう言った。


「破界の力と言っても、基本的な闘気のコントロール方法と変わらない。だけどその基本をより徹底的に極めることが、操るうえで大事になって来るんだ。特に『留めきる』というのは、強大な破界の力をコントロールする中で一番大変なプロセスになるからね」


 破界に限らず、闘気のコントロールの上で最も大事になり、かつ闘気を習熟するうえで一番難しいと言われるのが、この「留めきる」という部分である。最低限でも留めるというプロレスは、実戦レベルでは非戦闘時の八割前後保持する必要があると、専門書物には記されている。


「留めきるというのを、通常よりも意識する必要があるということでしょうか?」

「その通り。しかもその時は、針の穴に糸を通すような繊細なコントロールが必要になってくる。君の闘気コントロールの技量を考えれば、慣れてくれば問題なく実戦レベルの代物に昇華することは可能だと、僕は信じている」

「真さん……」


真の言葉を聞いた冬美は、先程までの思いつめていた表情から徐々に柔らかいものになっていった。真の言葉は決して煽てでも過大評価でもない。

実際冬美の闘気コントロールテクニックの技量は、新戦組トップクラスの技量を持つ椎名真に匹敵すると本部内でも評されている。


「それに、夏美ちゃんや陽炎もいる。聞けば君は、夏美ちゃんと一緒に新しいコンビネーションを考えているようだね。だとしたら、僕が心配することは何一つとしてない。自分に自信を持って、仲間の力を借りて、皆と一緒に頑張ればいい」


 真の声は非常に穏やかで、そしてその声で紡がれた言葉にも温かさがあった。だからこそ冬美は安心したような表情で激励を受けたのだった。


「じゃあ、僕はこれで失礼するよ。頑張ってね」

「はい。ありがとうございます」


 冬実のその言葉を背に、真は花咲姉妹の組長室を出た。


「ふぅ……」

「冬美殿に用があったでごわすか?」


 そこへ通りがかったのは、遅めに風呂に入っていた助六だった。彼は佐助と共に4日前に西東京のMASTER拠点の複数制圧任務を成功させて大きな武勲を立てて帰還してたのだ。


「真殿……冬美殿に何か御用でごわしたか?」

「まあね……ちょっとアドバイスを」

「例の、破界の闘気の特訓に関してでごわすか?」

「うん……ところで助六。これから一緒にフリールームに行かないかい? さっき佐助からメールで食堂にいるから来いよって来たんだけど」

「それなら拙者の携帯にも来たでごわすよ。お供するでごわす」


 そんなやり取りをした二人は食堂へと足を運ぶことになった。


「それにしても、あれからもう二年半ぐらいは経つのかな……」

「夏美殿達がここへ救助されてからでごわすか?」

「夏美ちゃん達の叔父夫婦を助けられなくて、他に二人を保護してくれる親族もいなくて、実質的に逃げ場が無くなったことを知った二人の絶望の表情を思い出すだけで今でも胸が苦しくなる思いになるよ。自分が同じ立場だったらって思ったら……」

「覚えてるでごわす。見ていた拙者達も同じ事を考えていたでごわすよ。しかも夏美殿や冬美殿の親族が身元引受人の役割を放棄した理由が、当時精神的不安定だった二人を持て余すという、自分勝手な理由だったのがまた何とも……」


 目を細くしながらそうつぶやく真を見て、助六はつらそうな表情でそう言った。


「その上、その身元引受人を探す過程であの二人が立花製薬の取締役の娘であること、その関連でBLOOD・Kの情報にもぶつかった。あの情報は当時の僕達を驚かせるには十分だったよ。まさかあの事件の被害者遺族だったとは誰も思いもよらなかっただろうしね」

「冬美殿の破界の闘気の件に関しても、並行して議題に上がっていたでごわしたな……」

「勿論当時の冬実が闘気の存在自体を知らないことは知ってたけど、夏美ちゃんや麗美ちゃん達も関わってくると知った時は驚いたよ。けど考えれば必然的だったかもね」

「そう考える理由は?」


 腕を組みつつ、尋ねる助六。


「夏美ちゃんは妹の身を案じてのことだったし、麗美ちゃん達はそんな二人の力になりたいというのが理由だった。それに自分達の身の安全は自分達で確保しなけらばならないっていう現実を、本部に保護されてからの僕らとの交流の中で感じ取ったのもあると思うし、闘気の稽古に三人が加わるのを無理やり止めることも憚られたしね。心情的に……」

「しかし夏美殿もこの組織の中にいることで、否が応でも現在の日本が置かれた状況を知ることになったのもまた、必然的ではごわしたな」

「まあ、結果的に彼女達が新戦組に志願したのも、自分達がこの状況から逃げきれない。力があるには戦うしかない。そして僕達が、闘気の理念を教えたからってのがあるかな」

「人々が避けられない苦難や災厄に見舞われた時に、人々を助けること……」


 そう言った真はその場に立ち止まり、右手に作っていた拳を震わせていた。


「どうしたでごわすか?」

「いやね、助六の言う通りなんだけど、それ以外に、あの子達を戦いと無関係な環境に移せなかったのかなって、何度も悩んだよ……」

「それは拙者も分かる。だが闘気を持っているのであれば理念を知るのは当然であり、それを受けて彼女達は戦いに身を投じる決意をした。まあ、組織を強くしたいという思いで引き受けたのは事実でごわすし、罪の意識もあるでごわすが……」


 そう語る助六も、当時は彼女達を戦いと関係のない場所へ連れていけないのか考えたが、理念を聞いて決意をした四人の言葉に動かされ、入隊を決意させたのは事実だった。以降、この剣について彼らの間で言葉が交わされることは、この日までなかった。割り切って、彼女達の決意を尊重する為に……。

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