第5話 ひと時の安らぎ

「総ちゃん……総ちゃん……」


 総次の右耳に穏やかで優しい声が入る。目を開けて最初に視界に飛び込んだのは麗華の太ももだった。そして声が聞こえる右側へ顔を向けると、寝る前と変わらぬ聖母のような表情の麗華がいた。


「……麗華姉ちゃん……えっと……」

「もうすぐ七時よ」

「そんなに寝てたんだ……」

「とても気持ちよさそうだったわよ? どう? 久々に私の膝枕で眠った感想は?」

「すごく気持ちよかった」

「そう、嬉しいわ」


 麗華は満面の笑みで総次につぶやいた。


「総ちゃん、これから一緒に食堂に行く? 私も総ちゃんにずっと付きっきりだったから、お腹が空いちゃったわ」

「ごめん。じゃあ、一緒に行っていい?」

「勿論よ」


 そう言って麗華は総次を連れて部屋を出た。彼らがいつも使っている食堂は局長室などがある階層の真下にあるとのことで、二人は階段を使って下に向かっていた。


「本当に大きいね。どれぐらい広くしたの?」

「局長室や私の部屋、他の重要な部屋とかは全部地下二階にあって、フリールームは地下一階、食堂があるのは地下三階よ。地下は結構空きの部屋とか増改築できるスペースが多かっの。敵に発見されにくいように、新戦組関係の全ての設備や部屋は地下にしかないわ」

「全部地下なんだ……」


 説明を受けた総次だったが、なんとなく想像は出来ていた。新戦組の施設内には一切窓がない。全ての設備や部屋が地下にあると言われても、総次は驚くことなく納得できていた。


 

 地下に到達してそのまままっすぐ進んでいくと、フリールームの時に匹敵するサイズの扉が目の前に現れる。その上には「食堂」と墨の字で書かれた大きな看板が堂々と掛かっている。


「ここが……」

「中に入るわよ」


 麗華が扉の右側にある赤いボタンを押すと扉を開いた。中は先程のフリールームのようなテーブルと長椅子の並びになっており、入った所から見て右側には調理場がある。調理場には三十人程のシェフがせっせと料理を作っているのが見える。麗華は総次を食堂に入った所から見て左側の手前の列のテーブルに招いた。

 麗華は総次の正面の椅子に座り、テーブルに立てかけられているメニューを開いて総次に見せた。


「あんまり人がいないんだね……」

「夕食時に人がここに入るのは大体八時過ぎだから、まだいないのよ。さて……総ちゃんはどれにする?」

「じゃあ、僕はこのカレーの大盛りで」

「そう、じゃあわたしもそれで」


 麗華がそう言うとメニュー表が立てかけられていた所にあったボタンを押した。すると調理場から眼鏡をかけた三十代半ば程の男性が、腰につけたエプロンで手をふきながら出てきた。


「いらっしゃい麗華ちゃん」

「ええ、ああ、総ちゃん。この方はここの料理長よ」


 麗華から紹介された男性は、麗華の反対側にいる総次を見て自己紹介をした。


「初めまして、料理長の本島保志もとしまやすしと申します」

「沖田総次です」

「そっか。君が紀子のりこが話してた子だね……」

「はい?」


 一体誰のことを話してるんだと思った総次。そんな総次を見かねた麗華はこう補足した。


「本島さんの奥さん、紀子さんって言うんだけど、新戦組の六番隊組長で、私達のいた大学の体育学部で准教授をしてたの。ご主人の保志さんは食堂勤務だったの」

「夫婦で新戦組に参加されているんですか」

「あの時の事件が切っ掛けでね。それより麗華ちゃん。ご注文は?」

「私も総ちゃんもカレーの大盛りで」

「大盛りか。そういえば麗華ちゃん、今日は色々大変だったみたいで、お昼も食べてなかったんだよね。紀子も僕も心配したよ」

「総ちゃんと一緒に部屋にいたんです。この子が救助されてから、ずっと寝たままで……」

「なるほどね……じゃあ総次君、僕らも腕を振るって作るから、少し待ってててね」

「はい、ありがとうございます」


 そう言って保志は再び調理場に戻っていった。


「さて、ちょっと総ちゃんに話しておきたいことがあるの」


 麗華が畏まった態度で話しかけてきた。総次もそれに反応して自然と畏まった態度になった。


「さっき総ちゃんが寝ている間に、新戦組の副長……上原薫って言うんだけどね、彼女が部屋を訪ねてきたの」

「それで?」

「新戦組の副長と一緒に、総ちゃんの今後について、総ちゃんを交えて話し合おうってことになったの。可能なら明日、局長室でするわ」

「その副長さんは、僕の今後について何か言ってたの?」


 総次は少し不安な表情をしながら尋ねた。すると麗華は何かを言いたげなそぶりを一瞬見せたが、総次の方をじっと見てこう答えた。


「まあ、ね。でもこれは最終的には総ちゃんが決めることよ」

「……すごく、怖いことなの?」

「ちょっと、ね……」

「そう……」


 総次は恐怖を隠せなかった。


「それより、もう総ちゃんは落ち着いてきたように見えるけど」

「麗華姉ちゃんの太ももの力が大きいよ」

「まあ! 嬉しいわ、総ちゃん」

「明日の話し合いにはちゃんと出席できるから、安心して」

「分かったわ、えらいえらい」


 麗華はそう言いながら総次の方へ右手を伸ばして「よしよし」と頭を撫でた。


「麗華姉ちゃん。僕もう子供じゃないんだけど……」

「あ! ごめんね。つい……」

「はぁ……もういいや……」


 麗華の「総次可愛がり」は長年の癖なのかもしれないと思い、総次は諦めた。


「昔から変わってないね」

「久しぶりでついつい懐かしくって……」

「じゃあ聞くけど、麗華姉ちゃんから見て、十年前と今とで、僕はどこが変わったと思う?」


 垂れていた頭をゆっくりと上げながら総次は尋ねた。


「う~ん。身長はあの頃よりは高くなったし、声も少しは低くなったかしら?」

「それさ、僕でなくとも男だったら誰でもなるでしょ? そうじゃなくて……」

「分かってるわよ」


 そういう麗華だが、総次には麗華が本気で自分に対してそう思っているのかが疑わしかった。小さい頃から総次に対し、麗華はこうやってからかうことが多かったからだ。


「でも、私と接するときはともかく、真君達と接するときの態度とか、結構礼儀正しくなってたなと思ったわ」

「じゃあ、昔は礼儀正しくなかったって言いたいの?」


 不機嫌そうに口をとがらせる総次。そんな総次を見てくすくすっと笑いながら麗華は答える。


「だって、あの頃の総ちゃんったら、本当に生意気な子って思ったものよ」

「あの時は麗華姉ちゃんの実力が分からなかったのに、呑み込みが早いって言われて調子に乗ってたから、最初に戦った時、調子乗ってドジ踏んだ時から懲りたよ」


 実際の所、総次が麗華とお隣さんだった頃に幾度となく竹刀を交えたが、先程も真が言ったように、総次は麗華に一度も勝てないままだった。


「その頃から考えると、本当に総ちゃんは成長したわよ」

「あれからも我流剣術に磨きをかけたよ。昔よりはいい勝負できるくらいに強くなったって自信を持って言えるよ」


 総次は両手に拳を作って胸の前に出し、自信満々な声色で麗華に語った。


「じゃあ、明日また私と試合してみる?」

「え、でも明日は話し合いがあるって……」

「終わってからよ。その後で訓練場に案内してあげるわ」

「いいの?」

「隊員の部屋の使用許可は副長が管理してるの。副長の薫に話せば、大丈夫だと思うわ。組織的な秘密がない訳じゃないけど……」

「他言無用、でしょ? 分かってるよ。じゃあ、明日話し合いが終わったら、久しぶりに麗華姉ちゃんと戦えるんだね?」


 笑顔にこそなれなかったが、話しながらも少しずつ落ち着きを取り戻しつつあることを、この時総次は実感し始めていた。


「決まりね。薫には私から話しておくわ」


 麗華は総次に向かって明るい口調で言った。すると微かにカレールーの香りが近づいてきた。料理長の保志が銀のお盆に大盛りカレーを二つ持ってきたのだ。


「お待ちどうさま、大盛りカレー二つ」

「ありがとうございます、保志さん。さあ総ちゃん、一緒に食べましょう」

「うん、いただきます」

「はい、いただきます」


 そう言って総次と麗華は出来立ての大盛りカレーを食べ始めた。

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