第2話 懐かしき膝枕で深き眠りから覚めて

 どれ程の間眠っていただろうか。今何時なのか、ここがどこなのかも総次には全く分からない。分かるのは後頭部に感じる暖かく柔らかい感触だけだった。しかしそれは先程の女性の胸の感触とも違う。確かめようと総次がパチッと目を開けると、腰まで届く程の長く色素の薄い栗色の髪を前に垂らした美女の顔が視界に入った。


「おはよう……総ちゃん」

「……麗華……姉ちゃん……?」


 優しく、穏やかな声で総次を呼んだ膝枕の主である「麗華」の顔に、総次は見覚えがあった。顔だけではない、後頭部に感じる彼女の太腿の感触も、総次にとってはひどく懐かしい感触だった。


「……どうして麗華姉ちゃんが……?」

「よかった……本当によかった……あなたが無事で……‼」


 瞳に涙を浮かべ、声を震わせながらささやいた麗華姉ちゃんこと、鳳城院ほうじょういん麗華は、話しかけようとする総次の言葉を遮り抱きしめた。


「……麗華姉ちゃん……あのね……僕……」

「事情はみんな聞いたわ。怖かったでしょ?」


「当たり前だよ。もう、何が何だか分からない……」

「大丈夫よ。ここは安全だから」


 麗華の話を聞きながら、目に涙を浮かべた総次は辺りを見渡した。まるでホテルの客室のような部屋で、総次と麗華はその隅に置かれたベッドに腰を掛けていた。確か、安全な場所なのは間違いないだろう。


「ケガしていない?」

「大丈夫だけど、まだ疲れが……」

「立てる? 総ちゃん」

「うん」


 そう言って総次はベッドから立ち上がり、部屋の周りを一周歩いた。時計を見ると、時刻は午後四時を回っていた。あれから六時間以上眠っていたようだ。そして総次が一周して麗華の前まで来ると、麗華にこう尋ねた。


「ところで麗華姉ちゃん、みんなって……」

「……そうね、総ちゃんに紹介した方がよさそうね。一緒に来てくれるかしら?」

「どこへ?」

「みんなの居る所よ。ちょうど今、そこに集まっているのよ」


 総次は麗華に手を引かれて部屋を出た。歩いていて気づいたことだが、廊下はオフィスビルのように綺麗で整っていた。


「ねえ、麗華姉ちゃん。ここって一体……?」


 総次は歩きながら、案内してくれている麗華に尋ねた。


「後で話すわ。この階段を上った所を右に曲がると、いつも休憩に使っているフリールームがあるの」


 彼女の言う通り、階段を上って右に曲がった所に大きな扉が見えた。扉の上の壁には横に立てかけられたプラスチック製のプレートに「フリールーム」と書かれている。


「結構大きい扉だね」

「多いときは、最高五百人は入るわよ」

「五百人……」


 あまりのスケールに総次はその場に立ち尽くしてしまった。


「じゃあ、入るわよ」


 麗華はフリールームの大きな扉の右についているボタンを押して扉を開けた。中は三百台程の長テーブルが並列に設置され、その横の両サイドにガーデンチェアが等間隔で置かれていた。部屋に入ってすぐ右側には、二十台程の自販機が見える。


「広い……」

「私達も最初は驚いたものよ。あ、いたいた」


 麗華はそのまま、総次を扉側から数えて五列目の調理場側のテーブルに案内した。そこには六人の男女がテーブルを挟んで談笑しており、彼らは全員新選組の羽織を着ていた。


 するとそのうちの一人、長い茶髪をツインテールにし、ピンクのニットセーターにホットパンツを履き、二―ソックスから絶対領域を露出させている活発な印象の女性が総次を見つけて駆け寄った。その時、セーターの上からでも分かる豊満なバストもユサユサと上下に揺れていた。


「大丈夫だった?」

「え、ええ……」

「よかった……」


 女性は随分安心した表情で安堵した。


「総ちゃん。この子があなたを助けてくれたのよ」

「それは……ありがとうございました」

「どういたしまして」


 女性に深々とお辞儀した総次に、彼女もにっこり笑ってそう言った。


「早速だけど、私と総ちゃんを席に案内してくれるかしら?」

「了解ですっ!」


 女性はハキハキしながら敬礼し、総次と麗華を自分達がいるテーブルのところまで案内し、自分の隣の二つの椅子に座るように勧めた。その直後、総次が座った席の正面に座っている青年が自己紹介を始めた。


「初めまして、沖田総次君。僕は椎名真。麗華とは同じ大学の同期で、同じゼミだったんだ」


 アイドルのような甘いマスクが特徴的な長身痩躯の美青年が、穏やかな声で自己紹介した。ちなみに、他の人達は私服の上に羽織を着ているのだが、彼だけは上から下まで誰もが良く知る正しい形での新選組の隊服で整えていた。


「なんで僕の名前を……?」


 訪ねられた真は、隣に座っている勇ましい容姿の女性に頼んである物を取り出させてテーブルに置いた。それは総次が警察署前で使っていた刀身がボロボロの竹刀だった。柄にはマーカーで書いた自分の名前が記されている。


「前から君の事は麗華から聞いてた」

「麗華姉ちゃんから、ですか?」

「うん、君が六歳の頃に、高校一年生だった麗華と出会って仲良くなったってこととかをね」


 真は総次の右隣りに座っている麗華の方に目線を移した。総次もそれに合わせて麗華を見ると、麗華は気恥ずかしそうに俯いていた。


「ごめんね、勝手に話しちゃって……」

「いつも穏やかな麗華も、君の話をしてる時は親馬鹿のそれだったよ」


 真の左隣に座る、羽織の下にTシャツとショートパンツを着た勇ましい女性が、麗華を見ながら笑いを堪えつつ話した。女性はそのまま総次の方を振り向き、品定めをするような目で見ながらこう切り出した。


「しかし……この子が麗華の言っていた子だったのね」

「そろそろ自己紹介を」


 真がせかすように女性に声を掛ける。


「あたしは笠原勝枝。二人と同じく、大学の同期だよ」


 それに続いて、真の右隣にいた凛々しい青年が総次の方を向く。


「俺は澤村修一。で、隣にいるのが……」

「水野未菜よ、よろしくね」


 修一というTシャツにジーパンを着た青年と、修一の右隣にいる白衣姿の未菜は爽やかな笑顔で自己紹介した。続いて、総次の左隣に座っている例の女性が自己紹介を始めた。


「あたしは花咲夏美。で、隣が双子の妹の……」

「花咲冬美です。本当に無事でよかったわ」


 夏美に声を掛けられた冬美という女性はすっくと立ち上がり、羽織の下に着ている桃色のロリータファッションのスカートの裾を掴み、絵本に出てくるお姫様を彷彿させる丁寧な挨拶をした。


「先程は本当にありがとうございました」


 総次は改めて感謝の意と共に深々とお辞儀をした。


「何言ってんだよ。俺達が来た時には、もうあいつら全員逃げ出したってのに」


 修一はうっすらと口元に笑みを浮かべ、腰かけているガーデンチェアに深く背を持たれながらそう言った。


「麗華からの話では、君は幼い頃から剣道を習い、八歳の時には中学生も全く敵わないほど強かったらしいね」


 真の話を聞いて、総次は驚くと同時に訝し気な表情で麗華に視線を移した。


「誇張してない?」

「そんなことないわよ、本当でしょ?」


 そう言われた総次は不機嫌そうな表情でむくれた。


「僕は麗華姉ちゃんに勝ちたかったから稽古を積んでただけ。何度挑んでも勝てなくて、いつも悔しい思いをしたんだから……」


 悔しさを思い出しつつも、総次は真に質問を投げかけた。


「麗華姉ちゃんは他に何か言ってませんでしたか?」

「うん。七歳の時に闘気に、しかも全属性の中でも非常に稀な混沌の属性に目覚めたってこともね」


 かなり大層な話だが、周囲は特に驚くことはなかったので、この件も麗華は周囲に話していたことは間違いないと、総次は思った。


「倒れていた連中の傷は、竹刀で打たれたものとは思えないほど痛々しかった。あれは物を硬質化されるこうの闘気によるもの。そしてあの穴と轟音は、かみなりの闘気だね?」

「はぁ……」


 そう言われて総次は素直に答えた。闘気とは、脳を活性化させる瞑想とイメージトレーニングによって脳から特殊な電気信号が流れ出し、心臓部に到達することで覚醒する特殊な気のことである。


 その歴史は飛鳥時代から始まり、歴史上名を残した戦士はその力を有していたのではないか、という仮説が出ている。だが科学的・歴史学的にも資料が少なく、研究はこの三十年近く大きな進歩を遂げていない。その上学界では机上の空論と鼻で笑われているのだ。


 しかし実態としては国は存在を認めて公には秘匿しつつ、極秘で研究を許可していた。この事実を知るのは、政府関係者や一部官僚以外では、闘気を扱えるようになった人間やそれを指導する者、闘気研究を行っている教育機関だけである。基本的に他言無用である。


 闘気には大きく分けて炎・雷・水・風・鋼・光・闇の七つあり、会得するには瞑想で闘気を生み出せるようにし、次に炎なら身体が熱くなるイメージ、風なら風を身体に受けたイメージ。水なら濡れた時のイメージと、属性に合ったイメージトレーニングで自身の闘気と合致する特性を探し、最後に放出とコントロールの訓練を行う必要がある。


 だがその中でも、第八の属性である「混沌」は、それら全てのイメージで闘気の発生が確認されるという稀有な属性である。更に言えば、この属性は後天的な瞑想で覚醒したことはなく、突発的に闘気に目覚めた者にしか確認されていないのだ。


「この闘気は日本だけでも、君達二人を入れても六人しか確認されていない。ただし精度も威力も、特定の属性に特化した人達と比較して七割までしか発揮できないけどね」

「あたしも麗華でしか見たことがなかったし、話を聞いた時は正直驚いたわ」


 勝枝も、真に同意するようにウインクした。


「ところで君のその制服、見ないデザインだけど……?」


 そこで真は総次に視線を移し、別の話題を振った。


「これは南ヶ丘学園のものです」

「えっ? あそこって女子校だったはずじゃ……」


 夏美は首を傾げながら尋ねてきた。 


「あそこには闘気の研究機関がありますし、講師に混沌の闘気を使える方がいたので、研究協力と混沌の闘気の修練を兼ねての特例で編入になったんです」

「それを進めたのって、総ちゃんがいた道葉道場の方?」

「ええ。師範と向こうの学園長が入学試験の受験許可を取ってくれたんです」

「そうなの……」


 麗華は納得した様子で頷いた。


「なるほど、麗華の言っていた通り、随分出来た子だね」

「そんなこと……」


 このような時にそんなことを言われても、総次には素直に喜べなかった。


「真、そろそろ聞いた方がいいんじゃない?」


 勝枝は真にそう言って話題を変えるよう促した。


「分かってるよ。さて沖田君。そろそろ本題に移らせてもらうよ」


 真は真剣な眼差しで総次に質問を始めた。


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