3 聖剣、やらかす。

 ニコラリーは聖剣が動き出した件により、完全に忘れていたことがあった。それは、古の遺跡の最奥から自分の家まで再び歩いて帰らなくてはいけないことである。


 ここに来るだけでかなり疲弊していたのに、帰るためにはその苦労をもう一度噛みしめなければいけないという、嬉しくもないボーナスステージだ。とても嫌だが、しょうがないのでなんとか頑張ることにした。


 結果からすると、背後に聖剣がいるおかげで難なく突破できた。雄たけびを上げながら襲ってきたゴブリンの群れを、


《ふむ》


 一振りで光の粒に変換する。


 いや、何を言っているか分からないと思うかもしれないが、言葉通りなのだ。あまりに強大すぎる魔力を乗せた斬撃で、対象をこの世から消滅させているのだろう。その凄まじい風圧に、ニコラリーは目を開けていられないほどだった。


 聖剣がいなければ、ニコラリーは単独でゴブリンの群れを突破できなかったと思う。もしも聖剣が彼についていなければ、彼の人生はそこで終わっていたかもしれない。そう考えると、奇妙な運命の巡り合わせにただ感謝を捧げないわけにはいかなかった。そして、聖剣の規格外な強さにもただ圧倒された。


 もう日も落ちたころ、ようやく家へとたどり着いたニコラリー一行。その後ろでふよふよと浮遊している聖剣が彼に声をかけた。


《ここが主殿の家か。どれ……む》


 目の前には森のはずれに建てられた木造の小さな一軒家。冴えない魔術師が住むにはお誂え向きだ。聖剣はニコラリーの前に出て、少しの間静止すると――、


《えいっ》


 自身の刀身を軽く前に振ったと思うと、その僅かな剣圧で我が家の玄関の扉が吹っ飛んだ。――吹っ飛んだ!?


《うむ?》


「うぉおおおおい! 何してくれてんすか!?」


 聖剣の力の抜けた声をかき消すかの如く、ニコラリーは全身全霊で心の底から叫んだ。その悲痛な叫びに聖剣は振り返る。


《いやいや、強度を確認しようとな、かる~く振ってみただけなんだ。まさかこんなに脆いなんて思わなかったから……》


「その強度確認いります!? 損はすれど特はなさそうなんだけど!」


《すまぬ……許してくれ》


 自責の念に駆られたのか、聖剣は浮遊することを辞めて地面にポトリと落っこちた。それを上から息も途絶え途絶えになったニコラリーは見つめて、それからため息と共にそれを拾う。


「まあ、直せばいいし。ポーションとかは地下室にあるからそういう被害はないかな。さあ、中に入ろう。そこまで豪華なとこじゃないけど、住めば都ってやつですよ」




 ***



《ふむふむ、独りで住んでいるのか》


「よく幼馴染とか友達が遊びに来るから、寂しくはないけどね」


 あれから家の中に入ったニコラリーは、とりあえず聖剣を壁に立てかけて扉の修復を試みていた。


 幸いドアの損傷としては、大きな被害がない。これならちょっと手直しするだけですぐに復旧できるだろう。


 ニコラリーは地下室に半ば放置されていた、ホコリの被った工具箱を持ってきた。中に入っていた槌や錐、ねじなどの道具を取り出し、早速修復にいそしみながらニコラリーは聖剣『クラウス・ソラス』と会話してみる。


《友とはいいものだ。……前任者も良き友を持っていた》


「前任者って、3000年前の勇者? いいなあ、俺そん時の話聞きたいなあっと」


 一通り修理を終え、立ち上がりドアの開閉具合を見る。スムーズに動いた。その魔術師らしからぬ見事な直しっぷりに自ら関心する。窓のヒビがそのままというのが少しカッコ悪いが、こればかりは仕方がない。


 工具を工具箱の中にしまって床に寝転がる。


 一仕事終えたこの優越感がたまらない。この作業は言ってしまえば元の状態に戻しただけの、本来ならば必要のない作業だったのだが。


《……主殿がそれに似あう男になったら話してやるぞ。いつになるのか分からないが》


「うへぇ。いつになるのやら……。まあ俺も、一応この国一番の魔術師を目指してたんだけどね……」


 この通りだよ、とニコラリーは力なく笑う。


 ニコラリーはそんな感じでしばらく聖剣と談笑をしていた。


 しばらくすると、さすがに空腹感が露になってくる。気づけばまだ夕食を食べていなかった。


 このまま寝転んでいるといつの間にか寝てしまいそうなので、眠気覚ましも兼ねて軽い夕食を作ることにした。立ち上がってキッチンに向かい、魔力で動いている冷蔵庫に手をかける。


《それは?》


「魔力で動く、食べ物を冷やしておける箱、冷蔵庫ですよ」



《ふむ、便利なのができたものだ》


 関心する聖剣を横目に、ニコラリーは味噌汁でも作ろうとじゃがいも、わかめ、それからお麩を取り出した。あまり料理は得意ではないが、このくらいなら簡単に作れる。


 しゃがんで膝元の棚から鍋、その横の大きな引き出しから味噌を取り出し、上へ台の置く。


 洗い場の隅に干しておいたまな板も手に取り、蛇口をひねって軽くで洗ってから鍋をどかしてその場所に置いた。鍋は洗い場の方へ持っていき、適当な分量の水を入れたあとコンロに置く。


 まな板の上にじゃがいもを3個置いて、目の前にぶら下げてあった包丁を手に取り構える。丸いそれを一回輪切りにすると、それから食べやすいように細く切っていく。


 そのほかの食材を目線の隅におきながら、何か足らないなあと思っていると、その不足していたものに気づいて思わず口に出してしまった。


「あっ、大根出してねえや」


《ふっ。任せてくれ主殿!》


 ふいに後ろの聖剣から声がした。


《我の魔力でその箱、えーと》


「冷蔵庫」


《そう、そのれーぞーこから大根を取り出して、この太刀筋で食べやすく切り刻んでやろう》


 自信ありげな声にニコラリーは深く考えず、すぐに了解のサインを送ってしまった。


 これがいけなかった。ニコラリーは知らなかったのだ。聖剣『クラウス・ソラス』というものを。


 ニコラリーが手をかけていないにも関わらず、バン! といきおいよく冷蔵庫のフタが開いた。これが魔力による操作なのだろう。魔術師の端くれとして、その精密な魔力操作に思わず声が漏れる。


 開いたフタから、次々と大根が後ろに向かって飛び去っていく。その珍しい光景に思わず見入ってしまったが、ちょっとばかり待ってほしい。


 いま、十本以上の大根が飛んでったよね?


「あっ、ちょ、やめ」

《我が伝説の太刀筋を! 目に焼き付けるがいいッ!》


 十本以上、詳しくはギチギチに詰め込まれていた二十三本の、冷蔵庫の中に入っていた全ての大根が魔力によって空中へ投げ出される。それを聖剣は目にも留まらない速さで切り刻んでいった。それは一閃の白い光として視界を横切り、大根を次々に細く切断していく。


 思わず、ニコラリーはその美しい剣舞に見とれてしまった。


 しかし待ってほしい。二十三本だ。どう考えても一人分にしては多すぎる。だってほら、刻まれて床に落ちた大根がきれいに積まれて山になってるけど、なんか二メートルぐらいあるんですけど。あれを全部鍋にぶち込んで食べるんですか。


《主殿! 大根を二十三本ぐらい刻んでおいたぞ!》

「多いわ! 鍋に入るかも分からん量じゃねえっすか!」


 包丁を置いて、また叫んでしまった。聖剣とニコラリー、そして綺麗に積まれた大根の山が気まずい雰囲気という名の静寂に包まれる。


「……ごめん、言い過ぎた」


《いや我が悪い……。すまぬ》


 その居づらすぎる雰囲気の中、ニコラリーは聖剣に背を向けてじゃがいもの残りを切りだし、聖剣は何も喋らなくなってしまった。


 さて、出すのを忘れていたにぼしを湯に入れた。味噌も入れて、あとは具を入れるだけ、という段階まで来たのだが。


 ニコラリーはふと後ろを悟られないように視界の隅からそっと見つめる。


 あの大根の山から大根を持っていく行為そのものが気まずい。


 どうしたものか、とぐつぐつと汁が煮えていく中、腕組をして考えていた。時間は空気を読まずにいつも通り進んでいく。ぐつぐつと煮えている汁は水分が蒸発していき、このままではカピカピになってしまうだろう。そうなる前に、ニコラリーは聖剣の前に佇む行儀のよい山を崩さねばならない。


 ぐつぐつと煮える音だけが鳴っている閉鎖空間で、なんと玄関の扉を叩く音が混ざってきた。


 まさか、と思ってニコラリーは玄関の方へ振り向き、その扉のヒビ割れた窓に映っていた人影を見て安堵する。彼女なら、この雰囲気を良い方向へ持っていけるかもしれない。


「どうぞ!」


「お邪魔しまーす!」


 ニコラリーの呼び声に元気よく応えて扉を開けたのは彼の幼馴染の女騎士、凛とした黒い長髪を携えるナツメだ。彼女とは幼いころからの付き合いなので、ニコラリーには分かる。この雰囲気を打倒してくれる存在であると、確信していた。


「あのさー、今日のお昼、ニコの家に来たんだけど――」


 スキップのような足取りで入るや否や、彼女の目に飛び込んできたのは、何故か床の上に置かれた大根の山。


 さらにその大根は一つ一つが完ぺきな剣術により、精密に均一な長方体に斬られていた。さらにさらにその大根たちで形成された山は、気持ち悪いほど正確に積み上げられている。


 この大根に対して、どう反応するかがこの雰囲気をどうにかするためのカギだ。


 お願いします、と心の中で祈るニコラリー。ここで彼女が選んだ言葉とは、



「えっ……何これ……? 大根……えっ、なんで? 病気?」



 必要以上の、ドン引きだった。

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