4 聖剣、変身する。


「……というわけなんだよ」


 湯気のたったお茶をすすって、ニコラリーはテーブル越しに座るナツメにこれまでに起こったことを説明した。


 古の遺跡の奥地に封印された聖剣を見に行ったところ、なんやかんやあって聖剣に知能を与えてしまい、自力で目覚めてしまったこと。


 それを知ったナツメは何ともいえないような顔で、彼の真横に浮遊する聖剣を見つめる。


「うーん、事情は分かったよ。けど……」


 ナツメの視線がすーっと移動して、先ほど部屋の隅に追いやられてしまった大根の山へ向けられた。


「あの大根の山は……」


 彼女の言葉に、大根の山を隅に追いやった当の本人であるニコラリーは深いため息をして、浮遊している聖剣を人差し指でツンとつついた。聖剣は威厳はどこへやら、弱気な声色で答える。


《……うぅ。すまぬ……。つい手が滑ってな》


「貴方に手はないよ……」


 ニコラリー二度目のため息。聖剣には手だけでなく顔もないのでどういう表情か分からないが、どうにも反省しているようで浮遊する高度が下がった。


 そんな一人と一本のやり取りを見て、ナツメは静かに苦笑する。


「でも、これは大変なことだよ……」


「まあ、聖剣が抜かれたらな、騒ぎにもなるわな」


 「他人事じゃないよ!」といきなりテーブルを叩いて立ち上がったナツメにびっくりして、ニコラリーは思わずすすっていたお茶を吐き出しそうになる。じろり、とニコラリーが恨めしそうに見つめてくるのを受け流しながら、彼女は咳払いとともに座った。


「聖剣を抜いた者が現れた、ってなったら色んな人がニコを押し寄せてくるよ? ニコは、その、あんまり、喧嘩向きじゃないから、聖剣を奪われちゃうかもしれない」


「言葉を選んでくれてありがとう、泣きそうだけど。まあでも、確かにバレたらやばいな……」


 ナツメの言葉に何のためらいもなく同意する、涙目のニコラリーがそこにいた。


 彼女の言う通り、ニコラリーに魔法の才能があるとはいえず、数人の悪漢などに聖剣目当てで襲われたら、そのままお陀仏する恐れがある。遺跡からの帰り道で魔物と遭遇したときのように、聖剣がいれば簡単に蹴散らしてくれそうだが、聖剣と一緒ではないときは極めて危険だ。聖剣を持っていない場合、彼を拷問して聖剣の在処を吐かせようとする、なんてこともありそうだ。ニコラリーの背筋がちょっと冷たくなる。


 そんな中、さっきまで静かだった聖剣が一気に文字通り浮上した。2人の目線がテーブルの上で浮遊する聖剣へと向けられる。


《心配するでない! つまりは主殿が聖剣を抜いた者であると、悟られなければよいのだろう?》


「そういうことだけど……」


 自身ありげの聖剣であるが、ニコラリーとナツメの聖剣を見る視線はいかにも懐疑的だ。その根拠である大根の山がすぐそこの壁際に置かれているのだし、当然といえば当然である。


 ニコラリーに至っては、聖剣には大根よりも前に、玄関を壊したという前科がついていることを知っているので、さらに疑い深い視線をしていた。


 それに気づいたのか、聖剣は少し不機嫌そうになる。


《失礼な。今までのは時代の流れに慌ててただけだ。今回は大丈夫》


「マジー?」


《まじだ、まじ! 我に対する主殿の尊敬が消えかかっているしの。ここで良いところを見せてやろう!》


 聖剣が宙に浮いたまま回転をし始めた。何をするのか、テーブルから離れておいたほうがいいのかとかぼんやりと思いながら、ニコラリーはその様子を下から見つめていた。


 すると、いつからか回転する聖剣のまわりに、記号が刻まれた半透明のベールが現れ始める。いわゆる『スペル』というもので、高等魔法を扱った際に顕現する一種の魔法現象だ。そこ現れる謎の記号の列の意味を解明するために日々研究する人たちもいるのにも関わらず、その存在意義でさえわかっていない世界に存在する神秘的な謎のひとつである。


 今回聖剣の周りに現れた記号列のベールは紫色の光で――扱う魔法の種類によって光の色は変わるらしい――刻まれていた。


 ベールが光りだしたかと思うと、その光が聖剣を包み込んだ。聖剣のかたちの黒い影だけが淡く見える。


 目を細めながらその影を見ていると、段々とその影の形が変形していった。それは剣の形からじょじょに突起物が生えっていって、ついには完全なる人型へと変形を果たした。頭と思われる部分から、きめ細かい数多の長い線がふわりと舞いだした。直後、その影を照らしていた光――つまり、聖剣を包んでいた光は一瞬にして部屋の中へ輝きを増していった。


 その光にニコラリーとナツメは思わず目を閉じる。


 その眩い光はすぐに消えたと瞼の裏から判断できた。ゆっくりと目を開ける。その先には、本来ならば聖剣が浮遊しているはずだった。しかし瞳はまるで違うものを映していた。


 ――人だ。女性だ。白銀に輝く長い髪を持っていて、白を基本として灰色のラインの入った白衣に、袴としては短すぎるスカートという、改造された巫女服を着こなしている。


 彼女は奇妙な記号のベールに包まれたまま、聖剣と同じくテーブルの上で浮遊していた。


 巫女服の彼女が誰なのか、それを見上げる二人には推測ができていたし、それは答えでもあった。けれど、その整った顔立ちがこれまでの聖剣の振る舞いと中々結びつかず、双方が同一であるという合致に苦労していた。


 ――しかしそれは一瞬だけ。この後すぐに、この受け入れにくかった事実をすんなりと受け入れられることになる。


「これも我の力よ!」


 彼女の周りのベールがはじけ飛んだと思うと同時に、彼女は青く大きな瞳を開けて、浮遊を続けていた空中から落下しテーブルの上に着地した。


 その瞬間に、テーブルの上に置かれていたお茶がぶっ飛ぶだろうな、と何となく把握するナツメ。彼女は持ち前の瞬発力で、着地の寸前に湯飲みを手にとることで予想された悲劇を回避することができた。けれど、ニコラリーはそうはいかない。


 現れた改造巫女装束少女の着地により、案の定彼の前に置かれていた湯飲みが吹っ飛んで、中身の熱いお茶がニコラリーへと容赦なく飛び掛かった。その熱いお茶が顔面に向かっていくのだから、ニコラリーの不運さは折紙付である。


「あっつァア! 目がぁぁあ!」


 テーブルに華麗な着地を決めた少女――もとい、聖剣『クラウス・ソラス』とは対照的に、吹っ飛んだお茶をもろに食らったニコラリーは両目を抑えて無様に床を転がりまわっていた。


 何となく予想していたその事態を目のあたりにしたナツメは、小さくため息をついた。

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