2 魔術師、落ち込む。

 純粋で暴力的な威圧を発しながら、宙に浮遊しニコラリーと対面する聖剣。ニコラリーは空いた口がふさがらず、ただただ唖然としていた。


《貴様が我に知能を与えてくれたのだろう? 故に、我はあの台座から自分の意志で離れることができたのだ》


 聖剣に口はないのにどうやって喋っているのだろう、みたいに、どうでもいいような疑問ばかりがニコラリーの頭の中に湧いて出てくる。いやそれもそれで気になるのだが。


 しかし今気にすることは他にある。興奮によるものか、好奇心によるものか、それとも恐怖から沸き立っているのか、全身を震えが覆っていた。何とかその震えに抗い、ニコラリーは言葉を吐き出した。


「貴方は、聖剣?」


《いかにも。我は3000年前、この地に封印された聖剣『クラウス・ソラス』である》


 ようやく、頭の思考回路が正常になってきた。ニコラリーは大きく深呼吸をして、真っすぐと今目の前にある現実を向き合う。


 台座に刺さり封印されていた聖剣は、その台座を抜け出して目の前に浮遊し、自分に語り掛けている。


 そして先ほどから感じている威圧感は、気のせいなのではない。この聖剣から、大量の魔力が放たれているのだ。


 ニコラリーも魔術師の端くれ。これほどの魔力を肌に感じて気づかないほど鈍感ではなかった。


 この聖剣の中にはかなりの量の魔力が秘められているうえに、その質は最上級のものだ。刹那の瞬間で、自分はこの聖剣に魔力では敵わないと理解できるほどの。


 そして今の状況を考え直してみる。ニコラリーはそーっと聖剣に語り掛けた。


「俺が知識を与えたってのは……?」


《……? あの薬のことだ、我に流しただろう。素晴らしい、我も『物質に知能を与える薬』など、初めてみたぞ》


 何だか状況をつかめてきた。


 要するに、ニコラリーは知らずのうちにスゴイ薬を作っていて、偶然それを聖剣にぶっかけてしまった、と。結果、聖剣が自らの意思をもって封印から脱してしまった、と。


「で、主殿っていうのは?」


《言葉通りの意味だ。貴様は我を、方法はどうであれ、封印から目覚めさせたのだ。我は貴様に尽くそう》


 我は貴様に尽くそう、我は貴様に――。


 聖剣の言葉がニコラリーの中で何度も何度も反芻し、それが続くほどに実感がわいてくる。ニコラリーは聖剣の所有者になったということで、聖剣の所有者ということはつまり……。


「俺、魔術師から勇者に出世したってこと!?」


 聖剣は勇者にしか引けない。つまり、聖剣を持っている者は勇者であるということ。


 小さいころ、誰もが夢見る存在。そうで在りたいと、そう成りたいと、一度は夢見る勇者という存在。


 かつての夢はすでに幻と化していた。しかし、今この状況を見るに幻は実体を持ち、ニコラリーの手中に収まっている。


「振ってみてもいいっすか」


《ふむ。いいだろう》


 聖剣から放たれていた魔力の威圧が小さくなる。


 そんな聖剣の配慮を受けながら、宙に浮いている聖剣の柄を手に取った。同時に聖剣の重みが全てニコラリーへと譲渡される。


 ――重い。


 これが数千年の重みか。持っているだけで肩へ緊張が走り、油の切れた二輪車のようにぎこちない動きをしてしまう。


 それでも、今手にしているのは聖剣。唯一無二の誇りを手にしているのだ。


 一振りしてみるか。ニコラリーが聖剣を振りかぶる。そのままを恰好で数秒、目を閉じて瞑想した後に、覚悟を決めてそれを振りかざした。



 ――振ろうとした瞬間に、持ち手から体全体へ激痛の電流が流れ、思わず聖剣を手放してしまった。


 カランと音を立てて地に落ちる聖剣。持ち手であった右腕の痺れを比較的軽い痺れの左腕で押さえて、落ちたそれを見る。


 振れなかった。拒絶された。聖剣か、それとも自分の体か、はたまた第三者による干渉があるのか、どれだかは定かではないが聖剣を扱うことができなかったという『結果』は変わらない。勇者になり切れなかった彼は肩を落とす。


《正規法で我を解放したわけではないからな、当然か》


 ふわっと、またも自身の魔力によって浮かび上がる聖剣。ニコラリーはうつむいたまま言う。


「俺は、やはり貴方にはふさわしくない」


 そう、たまたまだったのだ。全ては偶然。国一番の魔術師を目指していたニコラリーであるが、現状はただの魔術師止まり。


 今この場所で、人生の中、いつかは引くであろう幸運を、たまたま引き当てただけの凡人だ。聖剣を扱う勇者なんて存在とは、天と地との差がある。


《何を言う、そう落胆するでない。数千年の間、我に干渉できた者は貴様だけだ。例えそれが偶々だろうと、貴様が我を永い眠りから覚ました『事実』は変わらぬ》


「……そうっすかね」


《おうとも! 振れないのならば無理に振る必要はない。我には貴様から貰った知能がある。触れずとも役に立つ。さあ、貴様のテリトリーに戻ろうではないか》


 剣に励まされるという、数ある人生の中でもかなりレアな未知との邂逅を経て、ニコラリーは聖剣を持って帰路へ立った。


 持つ、といっても聖剣は自らの意志で浮遊が可能なので、召喚した使い魔の如く、聖剣は彼の後ろを勝手についてきている。


 まあ確かに聖剣の言う通りなのかもしれない。ニコラリーは、聖剣を引く引けない振る振れないに関わらず、聖剣に主として認めてもらったのだ。この時代のこの世界においては唯一無二の存在、それが自分。


 そう思うとニコラリーの気持ちは羽が生えたように軽くなった。そして聖剣の思慮深さに感謝する。


 が、この時まだ彼は理解していなかった。


 聖剣『クラウス・ソラス』の性質が想像と違っていたことに。

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