「やはり松井先生の書かれる言葉は、他の小説を遥かに超える"現実味"というものがありますな。本当に人を殺めたことのある人間でないと、まるで書けない様な描写だ。流石です。」


「そう言って頂けるのは有り難い限りだが、私のような臆病者が人を殺すなど有り得る筈ないでしょう。ご冗談にも程がありますよ。」


マア、実際殺めているのだが。


夏の暑さも和らいだ午後3時、T駅近くのひっそりとした喫茶店で、おれはとある知り合いの中年男──村田浩輔とそんな風に談笑をしながら、真白いカップに注がれたブラック・コーヒーを少量口に含んだ。

アア、苦い、苦い。角砂糖をあと三つとミルクを三カップ程、この真っ黒な液体の底へ沈めてやりたいものである。


そんなおれの葛藤を知ってか知らずか、あなたが人を殺すなど有り得ませんねと痴呆の様に大口を開け、カッカと笑う村田の姿は全く見苦しい事この上なく、思わず溜息をついてしまう酷さであった。


第一、白髪の混じった薄い頭髪も、中途半端に整えられた髭も、どれを取ってすら美しくないのである。おれは美しいもの──昨日一晩を共にした、あのうら若き乙女のような──を、何よりも愛しているのだ。今思い返して見ても、彼女はいい女であった。鮮明な赤も雪のような白も、すべてが幻想的で儚く繊細だった。記憶を読み返しただけでも頬が緩む思いである。


「どうされたのです、松井さん、嬉しそうな顔をなさって。何か面白い事でもおありになったのですか。」


「いや、なんでもありませんよ。それより村田さん、用事というのは何ですか。そちらが突然電報を寄越したものだから急いで駆けつけたというのに、その用事がこのような雑談とあっては、我ながら居たたまれないのですが。」


「アア、そうでした、」


そう言って身を乗り出した村田の体重で、ティー・テーブルの上に乗せられたコーヒー・カップがカチャリと音を立てた。


「ご存知の通り、私は刑事として日々様々な事件と向き合っているのですが、ここ最近は不可解な事件ばかりが多発しており、情けないことに我々一同頭を悩ましておるのです。」


「と、言うと。」


「その事件というのが…アア、もう既に噂をお聞きになられているかもしれませんが…その事件というのがですね、最近U地区を中心とした一帯から、若い女が次々と行方不明になっているというものなのです。それも決まって、どれも証拠が一切出てこない。分かっていることと言えば、今まで被害を受けた6人の女は、行方を晦ましたその日には、誰にも何も言わずに外出していたということだけなのです。」


「…なんと、恐ろしい。」


「そこで、警察として非常にお恥ずかしい話なのですが、松井さん、あなたの書く探偵小説は毎度いい意味で常軌を逸しておられる。実際に探偵の経験もあったと聞きましたので、どうかこの事件の解決に少しでも力を貸して頂きたいのです。お願いします。」


そう言って、村田はおれの前で深深と頭を下げた。なんと醜く、愚かなことか。犯人はお前の目の前にいるというのに。本当に、これは可哀想な男である。


「分かりました、引き受けましょう。私も微力ながら、犯人探しに協力しますよ。女性を次々と連れ去るなど、許された行動ではありませんからね。」


「本当ですか!ありがとうございます。絶対に犯人を探し出しましょう。」


村田の嬉しそうな表情を眺めながら、正体の分からない満足感が腹の底から湧き上がってくるのを感じた。愉快だ。昨日の女もそろそろ行方不明なのが発覚し、被害者は7人に増えるだろう。次は誰を恋人にしようか。どんな風に、愛してやろうか。


「そうと決まれば松井さん、この後のご予定が宜しければ早速話を──」


「いや、すみません、今日ばかりは少し予定がありまして。」


思わず頬が緩む。


「今日は恋人と約束をしている日なのですよ。」


やはりおれの人生は、全く愉快なことこの上ないのである。

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純愛 s @akckgr15

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