かけがえのない幸せ
その言葉を耳にした瞬間、世界中の音が消えたかのような錯覚に襲われました。
何も匂いがしなくて、視界は仄かに赤い気がする彼の顔だけしか映っていません。
呼吸がちゃんと出来ているかも怪しいですし、足元は宙を浮いているように覚束ないです。
それほどまでに、和さんの口から発せられたプロポーズには驚愕させられました。
──なんでいつどこでどうしてなにがどうなって……!!!!??
思考はかつてない程にクリアなはずなのに、頭中を掻き毟るように疑念と困惑が浮かんでは消えてを繰り返して行きます。
心臓は今にも破裂しそうなほど脈動して、全身が沸騰したかと思うくらいに熱くなって……もう訳が分かりません!
「悪い」
「へ?」
完全に硬直してしまった私の様子に気付いたのか、和さんは急に頭を下げて謝罪を口にします。
思考が纏まらないまま返事をしたのですが、どうにも間の抜けた声が出てしまいました。
ですが、顔を上げた彼の表情は真剣そのもので……。
「早く気持ちを伝えたくて、指輪は用意出来てないんだ。そもそも天梨の指のサイズが分からないから、どのみちすぐに準備するのは難しくて──」
「ちょちょ、ちょっと待って下さい!!? もう色々過程を無視し過ぎて理解が追い付きません!! 一旦落ち着いて整理させてくれませんか!?」
どうしてかさらに畳み掛けるような発言を口走って来ました。
もうこれ以上はキャパシティーオーバーです!
心臓が限界を迎えるより先に和さんの両肩を掴んで制止させることで、何とか冷静になる時間を作ることが出来ました。
心身共に火照った状態を落ち着かせて、改めて彼に視線を向けます。
「その、どうして告白を通り越して、けけ、結婚、なのでしょうか……?」
「それくらい俺が本気だからだ」
「ううぅ……」
なんでそんな恥ずかしいことをサラッと言うんですかこの人は……!
やっと落ち着いたと思った心臓がまた暴れそうになるのを、息を止めて押さえ込みます。
「だ、大体……和さんはいつから私のことを、その……好きになったんですか? 今まで全然そんな素振りを見せていませんでしたよね?」
そうです。
和さんからは信頼を受けることはあっても、恋愛感情を垣間見たことはありません。
にも関わらずいきなり私を……プロポーズするくらいに好きになるなんて突然過ぎます。
決して信じないわけではありませんが、両想いの嬉しさより戸惑いの方が勝っているのが本音です。
「メイスンさん……新居探しの担当になってくれた人からさ、部屋探しのコツとして自分が暮らすイメージを持てって教わったんだよ。初めはピンと来なかったんだけどな」
そのアドバイスが、彼が本当に過ごしたい場所と言ったことに繋がるのでしょうか?
ですが、それでどうして私への好意に行きつくのかがイマイチ結び付きが見えて来ません。
けれども、続けられた言葉で否応なしに納得させられました。
「で、考え方を変えてみた。どこで暮らしたいかじゃなくて、誰と暮らしたいかってな? そうしたら…………天梨とあまなちゃんが出て来た」
「──っ」
「最初は自分でもびっくりしたよ。でもな、実際に暮らして来たからか不思議と納得してる自分もいたんだ。なんで納得出来たのか考え続けて……天梨に惹かれてることに気付けた」
照れながら笑みを浮かべる和さんの表情に、私は言葉では言い表せない喜びを感じました。
疲労で体を壊す彼を見兼ねて提案した同居生活が、居場所として根付いていたなんて奇跡としか言いようがありません。
「三弥や茉央に黒音に言われても気付かなかったなんて、ホントバカだよなぁ俺。だからまぁ……自覚したのがついさっきなんで、明確な時期は分からないんだ。答えになってなくて悪い」
「いえ……ですが、それならなおさら告白で良いはず……何故プロポーズを?」
正直に言えば私も和さんに惹かれ出したきっかけは分かりませんから、そこはお互い様でしょう。
そして最初の問いに戻るわけですが、和さんは恥ずかしそうに視線を逸らしながら答えてくれました。
「プロポーズにまで踏み切れたのは……あまなちゃんがいたからだな」
「天那が……?」
「あぁ。天梨が好きなだけなら付き合うつもりだったんだけど……俺は天梨がいてあまなちゃんもいる今の生活が堪らなく好きなんだ。それを絶対にするためには、結婚するしかないだろって思ってな……」
「そ、そういうことですか……」
それだけ和さんの中でこの生活が齎した影響が大きいということなのでしょう。
その気持ちはとてもよく分かります。
天那がいなければ、私は和さんと出会うことはなかったと思いますから。
そう考えると私達にとって、あの子が存在はどれだけ重要だったのかを実感させられました。
由那と辰人さんが遺した子供が、巡り廻って私と和さんの幸せに繋がるだなんて、事実は小説よりも奇だと目の当たりにした気分です。
「そういうわけで……南天梨さん」
「は、はい!」
天那が紡いだ奇跡に感慨深い思いでいると、和さんからフルネームで呼ばれたことで反射的に顔を合わせます。
「俺は……2人が一緒じゃないと一生幸せになれない。自分が感じた以上に大事な人を幸せにしたい……。だから、俺と結婚して家族になってくれないか……?」
「──っ!」
再度告げられたプロポーズの言葉に、私は胸が焼けるくらいの熱を感じました。
さっきの困惑が勝った時とは比べ物にならない、今が最上とも思える幸福が全身を強張らせます。
今にも体から火が出そうで、恥ずかしさや緊張で喉はカラカラになっています。
初めての恋がこんな形で実ろうとしているなんて、予想出来るはずがないのですから仕方ありません。
大体……和さんは……。
「──バカですね」
「……」
「私が、どうして毎日お弁当を作っていると思っているんですか? 苦手な遊園地に誘ったのもここに住むように提案したのもただの善意で行ったと思いますか? 膝枕なんて本当は物凄く恥ずかしかったんですよ?」
有熊さんも堺さんも黒音さんも、黛さんだってどれだけあなたの鈍感ぶりに手を焼かされたと思ったのか、全然わかってないじゃないですか。
なのに事此処に至って返事が分からないだなんて、本当におおバカです。
そんなおおバカな和さんの両肩を掴んで、私は目を合わせて告げました。
「……幸せ、だからか?」
「……えぇ、そうです。どれもこれも……、
「──っ!」
肩から手を離して、両腕を首に回して抱き着きながら…………告白と共に唇を重ねました。
初めてのキスは胸の奥から溢れる幸せが堪らなく嬉しくて、クセになりそうです。
1秒がとても長く感じて、少しでも記憶に刻みたくて、刻んでほしくて、私という存在を脳裏に焼き付けるように……。
やがて唇が自然と離れて行きます。
けれども、名残惜しさを表すようにゆっくりと。
目と鼻の先にある愛しい人は了承の返事をもらえると思っていなかったようで、目を大きく見開いて茫然としています。
こっちは突然のプロポーズで驚かされたんですから、ちょっとした意趣返しも出来たみたいで少し笑みが零れてしまいました。
フラれると思っていたんでしょうか?
どうやら自己評価が低い所は相変わらずなようですね。
ですから、勘違いではないとハッキリとお伝えしましょう。
「──不束者ですが、よろしくお願いします」
そう返すと彼は、安堵と共にとても幸せそうな笑みを浮かべてくれました。
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