いつか伝えたいこと



 天那と涙を流して抱き合いながらですが、無事に仲直りすることが出来ました。

 心の奥底で刺さっていた後悔の釘が、随分と緩くなったように思えます。


 すっかり泣き疲れて眠ってしまった娘を黒音さんに任せ、私は早川さんと廊下で2人になってお礼と謝罪を伝えることにしました。


「ありがとうございます。それと色々とお騒がせしてすみませんでした」

「気にすんな。仲直りが出来たんなら謝罪も礼もしなくていい」

「それでも、言わせてもらえなければ私が納得出来ません」

「……さいですか」


 案の定と言いますか、早川さんは然して恩を着せることもなく返しました。

 しかし、そうはいきません。


 飛び出した天那を保護して頂いたり、こうして解決の場を設けてくれたばかりか貢献までされるなど、今回は特に助けられました。

 だというのに何かしらの見返りを求めるでもなく、自然体で接してくれる懐の深さが何とも居心地が良いですね。


 さて、お礼もそうですが彼には聞きたいことがあるのです。


「それにしても、どうして天那の気持ちが分かったのですか? 長くいる私でも汲み取れなかったのに、あんな的確に明言されるなんて少し嫉妬してしまいます」

「ん~? あれそんな難しいか?」


 天那が母親としてではなく、個人として私を好きになってくれた。

 その事実を報せたのは他でもない彼です。


 ですが当の本人は何の苦もない表情を浮かべているので、ともすれば私が至らないだけなのでしょうか?

 むむ……改めて母親として再起しようと決意しましたが、思わぬ強敵が間近にいましたね。


 なんて冗談はともかく、早川さんに答えを促すと大して逡巡する素振りもなく……。


「あまなちゃんが天梨のことを嫌いになるはずがないだろ?」

「え……?」


 それだけ、ですか?


 当たり前だと言わんばかりの回答に茫然としてしまいます。

 しかし、早川さんは至って大真面目なようでした。

 言外に天那に対する信頼で負けている気がするのですが……気のせいですよね?


「事実を知った時にショックで混乱した末に口走ったことだろうし、本当に怒ってたならウチにいる間に落ち込んだりしないしな」

「な、なるほど……」

 

 言われてみれば頷けます。

 思えばあの時の私も冷静さを欠いていましたから、額面通りに受け取ってしまったのも仕方ないのかもしれません。


 第三者だからこそ正確に悟れたわけですね。


「しかし、あまなちゃんが姪なら天梨は独身だったわけか」

「ええ。元からあまり恋愛に積極的ではありませんでしたし、早川さんに会う前までは秘密が漏れる要素を近付けたくなかったという気持ちもありましたから」

「そりゃそうだ……でもなんだかんだで俺と黒音は全部知っちゃったし、多少でも肩の力は抜けたんじゃないか?」

「はい、お節介な誰かさんのおかげですよ」

「へいへい」


 特に繕うことなく返すと、早川さんは軽い調子で返事をしてくれました。

 

 でも、本当に彼には感謝の念しかありません。

 私達が家族として一歩を進められたのは、間違いなく彼の存在あってこそでした。

 初めて会った頃は邪険にしていましたが、人を見る目に関しては天那の方がずっと優れていると思えます。

 

「さて、そろそろ私は帰ります」


 話をするためとはいえ、随分と長居してしまいました。

 天那は既に眠ってしまっているので、明日早くにも迎えに行こうかと考えていたのですが……。


「え? せっかく仲直りしたんだし泊まっていけよ」

「はい……?」


 思わぬ提案に、目を丸くして素っ頓狂な声を出してしまいます。

 早川さんの家に泊まる……?


 そう理解が及ぶと無性に鼓動が早くなった気がします……加えて何だか顔も熱い……夏だからでしょうか?


「着替えは黒音に借りることになるだろうけど、大丈夫か?」

「いえ、そういうことではなく……」

「あ、解ってると思うけど変な意味はないから? 単に今夜はあまなちゃんと一緒の方が良いかと思っただけだぞ?」

「え、あぁそこは別に疑っていませんが……はい、そういうことでしたら……」


 驚きはしましたが、彼の提案は善意から来ているものくらい私にも分かります。

 確かに天那が起きた時に私がいなければ、せっかく仲直りしたのに機嫌を損ねてしまいますね。


 その理屈は分かるのですが、どこか残念な気もします……。

 

 ……いえ、もうこの際もう認める他ないでしょう。

 今日のことでまた一段と気持ちが強くなったことも否定しません。


 

 ──私は、早川さんに好意を抱いているということを。



 初めて男性に恋愛感情を抱くのに、こんなにも時間が掛かってしまいました。


 由那に伝えたら、きっと呆れた顔をさせてしまうでしょう。

 そして、自分のことのように『良かった』なんて嬉しそうに言うかもしれません。

 

 懸念があるとすれば早川さんの同僚の堺さんでしょうか?

 プールで会っただけですが彼女は間違いなく早川さんに恋愛感情を抱いているはずです。

 あぁ、こういう時に職場が違うことがもどかしく思うなんて、気持ち一つで物事の見方は簡単に変わってしまいますね。


 ですが幸い、早川さんは天那と親しい間柄です。

 この接点に関しては私にとっての利点ですね。


 ……仮に……仮にですが。

 早川さんと交際をして結婚までしたら、形式上天那の父親になるわけです。

 父親がいないあの子にとっても悪い話ではないはず、むしろ早川さんだからこそ喜んで受け入れてくれるかもしれません。


「──ってわけで、亘平さん達にも俺達が由那さんのことを知ってるって話しておいた方がいいと思うんだけど……話聞いてるか?」

「えっ!? あぁ、その、すみません。少し疲れてしまいまして……」


 い、いけません……思考に耽ってまるで話を聞いていませんでした……。

 咄嗟に疲労を理由にしましたが、早川さんは疑うことなく『そっか』と返してくれます。


 ……もう少し気に留めても良いじゃないですか……。

 なんて少し八つ当たりなことを考えてしまいます。


 堺さんとのやり取りを見た限り、やはり早川さんは鈍感なようですね。


「では、黒音さんにパジャマを借ります」

「あぁ、寝床の用意は任せとけ」


 好意を向けている男性の家に泊まる状況は胸が高鳴りますが、今日は天那のこともありましたからアプローチは後日にして休みましょう。

 

 その後、黒音さんから借りたパジャマに着替えたのですが、何故かピッタリでした。

 私と彼女の身長差を考慮すれば少しキツイはず……なんでしょう、この微妙な気持ちは……。


 とにかく、早川さんが使っていたベッドに天那と2人で休みました。

 なんだかとても暖かい気持ちで、疲れも合わさってあっという間に寝入るのでした……。

 

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