約束の日
天梨が実の母親ではないと知り、天那が和の家に身を寄せてから3日目となった月曜の朝。
目を覚ました天那はベッドから降りてリビングに向かうと、キッチンで黒音が朝食を作っている姿が目に映った。
「おねーちゃん、おはよー……」
「あ、おはよ。あまなちゃん。ご飯はもう少し掛かるから、先に顔を洗って歯磨きしておいで~」
「うん……」
起床に気付いた黒音が笑顔で挨拶をしてくれたが、天那の表情は固く優れなかった。
「おにーさんは?」
「アニキ? 今日は早くに出てったよ」
「そっか……」
起きた時に見当たらなかった和の所在を尋ねると、既に仕事に向かったのだと知らされて少し寂しく思ってしまう。
首を振って邪念を払い、先ほど黒音に言われた通り洗面台に向かい洗顔と歯磨きを済ませていく。
その間に天那は黙々と思考を巡らせる。
時間を置いて冷静になってみれば、あの天梨がウソをついていたのは自分のためではないかと思い至ったのだ。
だが、天那はショックのあまり彼女にウソつきだと、大嫌いだと言ってしまった。
謝りたい気持ちはある。
しかし、きっと天梨は怒っているだろう、許してもらえないかもしれない。
あんなに大事に育ててくれた人に、大嫌いなんていくら何でも言い過ぎだった。
──ママ、あまなのことホントにきらいになったのかな……?
もう一緒にご飯を食べたり暮らしたりすることができない可能性だってある。
そう思うと、胸が苦しくなった。
改めて天那は自覚以上に天梨が大好きなのだと分かる。
分かるからこそ、こんなにも辛いことも。
しかし、この気持ちを和達の前で出すわけにはいかないと、再度顔を洗って表情を持ち直す。
そうして一通り終えた天那がリビングに戻ると、丁度黒音も食事の用意を済ませたところだった。
席についてテーブルに並べられた料理に目を向ける。
ホカホカの白米に味噌汁、鮭の焼き魚は天那が食べやすいように小さく切り分けられており、キャベツの千切りもドレッシングが掛かっていて美味しそうに映っていた。
「それじゃ、食べよっか」
「うん、いただきます」
以前和の家に泊まった時にもこうして黒音の料理を食べた事があったが、変わらず彼女が作るご飯は美味しかった。
突然やって来た自分に嫌な顔もせずに受け入れてくれた黒音には、感謝の念しかない。
「おねーちゃん、ごはんおいしーよ!」
「うん、ありがと」
精一杯の笑みを浮かべて感想を伝えると、黒音ははにかんで答えてくれた。
そうして2人きりの朝食は緩やかに過ぎていく……。
======
一方、調整した配達分を片付けるために早朝に出勤した和は、同じく朝から来ていた茉央と搬入に勤しんでいた。
「昨日のスケジュール調整の結果、こうして早朝出勤してもらうんだし、配送車への搬入くらい手伝わせなさい」
そう本人の主張に対し和は何故上から目線なのか、と苦笑しながらもお言葉に甘えるのだった。
2人でこなしたことで最初の配達まで時間に余裕が出来たため、一旦休憩スペースで一息ついていると、茉央から改めて質問が投げかけられた。
「それで? プールで会った限りとはいえ、あのあまなちゃんと南さんが喧嘩なんてまるで想像も出来ないんだけど何があったのかしら?」
「えぇっと……悪い、それは言えない」
茉央の質問は最もなことだった。
昨日、時間がなかったとはいえ彼女に半ば強要する勢いで無理に配達スケジュールを調整してもらったのだ。
一瞬、対価として彼女にも事情を説明するべきかと和は考えたが、天梨が出来るだけ隠そうとした気持ちも理解していたため、結果として口を噤むことにした。
「むぅ……」
その選択に対し、茉央は不満な気持ちを隠そうともせずに露わにする。
「だから悪いって。今度何か飯でも奢るから……」
「別にそういうのが欲しいわけじゃないんだけど……まぁせっかくだしお店を探しておくわ」
「出来るだけ安くお願いします……」
言及を避けたことに関して茉央も察したため、ひとまず追及は止められた。
だが、まだ不満を納めない彼女に和は居たたまれなさを感じ続ける。
「あの~茉央さん? まだ何か?」
「……あまなちゃん達と仲が良いのはまだ分かるわ。でも、親子喧嘩の仲裁までするのは流石にどうなのかしら?」
「……」
茉央のやや遠回しな言葉に、和は無言で考えを巡らせる。
せっかく包まれたオブラートを破るなら、和自身にそこまで心を砕く理由はあるのかという意味の問いだ。
確かに一介の宅配員でしかない彼が、わざわざ他人の家庭事情に首を突っ込むどおりはない。
──愚問だな。
即座にそう感じた。
然して動揺することなく和は答えを口にする。
「そんなの、俺があまなちゃんの友達だからだよ」
「それは、知ってるけど……」
「あの親子には笑っていて欲しい。そのために出来ることをやろうとするのは何も間違ってないだろ」
「──えぇ。そうよね……そんなカズ君だから私は……」
「茉央? 最後なんか言ったか?」
「──っ!」
返答を聴いた茉央が小声で呟きを漏らす。
上手く聞き取れなかった和が尋ねると、ハッと驚いた表情を浮かべたがすぐに笑みに変えて向き合う。
「な、なんでもないわ。とにかく、やるからにはちゃんと仲直りさせなさいよ?」
「おう、もちろんだ」
そうして話を切り上げ、茉央に見送られながら和は配達に向かった。
=====
「天梨ちゃん」
「黛さん……何かミスでもありましたか?」
「いいえ、いつも通り綺麗に仕上がっているけれど……何だか元気がないわねぇん?」
「……」
そろそろ定時を迎える頃、黛からの指摘に天梨は咄嗟に返事が出来なかった。
和との語らいから日曜日を挟んで多少は落ち着いたものの、長い付き合いの先輩である黛の目が誤魔化せないかと失笑する他ない。
「──少し、娘と喧嘩をしまして……」
「あらぁ? 天梨ちゃんの子供はかなり良い子なのに、珍しいこともあるのねぇん」
天那が実の娘ではないことは黛にも教えていないため、天梨はひとまずはぐらかすしかなかった。
その言い分を素直に信じた黛だが、2人が親子喧嘩とは程遠いと思っていたようで驚きを隠せず目を丸くする。
「私が悪いんです……黛さんに心配をさせてしまってすみません」
「あぁん、親子喧嘩なんてよくあることよぉん。あんまり思い詰めちゃだめよぉ?」
「はい、ありがとうございます……」
自嘲するように述べられた謝罪に、黛は慌てて天梨を励ました。
事情を話せないもどかしさと、気遣われた優しさに苦笑を浮かべながらも感謝を告げる。
「和きゅんには相談したのぉん?」
「早川さんにですか? えぇ。むしろ喧嘩の拍子に家を飛び出した天那を保護して頂けたので、なし崩し的に……」
「それならとりあえずは安心ねぇん」
プールで面識を持った男性の名前を挙げられ、天梨は繕いなく正直に返した。
和に対する天那の懐き具合を知っている黛も同様だ。
「……彼の会う前でしたら、こうして出勤もままならなかったかもしれません」
「どういうことぉん?」
「その、出会った当初は何か企んでいると思い込んで敵視していたんです」
「んん~今の時代じゃそれも仕方ないわよぉん」
今では少し失礼な態度だったではないかと反省しているが、黛は無理もないと賛同を述べた。
結果論とはいえ、今では和のいない日々を想像し辛い程には天梨も心を許している。
だからこそ、続ける言葉を口に出すことに迷いはなかった。
「──それでも、早川さん以外の人でしたらきっとここまで頼れなかったと思いますから」
そう思えば、天那の人を見る目は凄まじい精度を誇っているとも言えた。
「天梨ちゃん……」
「あ、もうこんな時間ですね。お先に失礼します」
「え、えぇ。また明日ねぇん」
話している内に定時を過ぎていたため、天梨は慌てて職場を後にした。
後は和が勤務を終えれば、いよいよ天那と仲直りすることになる。
悲しませまいと隠していた秘密を話す覚悟は、既に済ませていたのだった……。
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