優しいウソ
天梨があまなちゃんの母親じゃない。
黒音から送られたメッセージに書かれていたこの内容を目にした時、真っ先に感じたのが『ありえない』という疑念だ。
でも、天梨が自分達に深く関わるなと言ったことの理由としては、これ以上ない程に説得力があった。
それでも、俺はあの親子がどれだけ互いを思い遣っているのか知っている。
だからこそ無視出来ない事態の真相を本人に問い掛けると、天梨は両手で口を覆って顔を俯かせて黙り込んだ。
メッセージを突き付けた瞬間、形容出来ない程に悲痛な表情が頭から離れない。
そんな顔をさせてしまったことに申し訳ない気持ちがある。
けれども、何より2人の絆が壊れかねない程のこの状況で踏み止まっている暇はない。
今こうしている間にも、あまなちゃんは夢の中でも泣いているのかもしれないのだから。
「……天梨があの約束を切り出したのは、このことがバレることを避けるためだったんだよな?」
「っ、はい……」
表情は見えないが、息を呑んで彼女は肯定した。
正直、天梨の考えは分からなくもない。
血の繋がりはなくとも母と慕ってくれる娘に、本当のことを言って傷付けたくないはずだ。
特に天梨とあまなちゃんの仲はかなり良いものだったし、そこに家族らしくない違和感は一切無かった。
それだけに2人が本当の親子じゃないなんて、想像出来なかったために驚きを隠せない。
「亘平さんと真由巳さんは?」
「両親も知っていますよ……早川さんが天那を保護して頂いた段階で、ひとまず実家に帰っています」
「……そうか」
顔を上げて告げられた内容に安堵する。
あの人達も知っていたと聞いて、最悪のパターンでなかったからだ。
それに……。
『お前は……どこまでうちのことを知っているんだ?』
昨日、亘平さんにそう話し掛けられた。
あれはこの秘密を知っているが故だったんだ。
「──写真」
「え?」
「初めて会った日に見せてもらったあの写真……あれも嘘なのか?」
次に浮かんだ疑問を口にする。
以前見たことのある、天梨とその旦那が写っていた写真の存在だ。
あまなちゃんの母親が別の人物だというのなら、写真に写っていた男性は誰なんだ。
かつて俺に語った経緯も虚実を交えたものだったのかと疑念が尽きない。
そのを察知したのだろうか、天梨は首を横に振って続ける。
「あの人が天那の父親なのは紛れもない事実です。……誓って、それは本当なんです」
「……そこまで言うなら、解った」
一切の雑念を挟む余地が無い程の神妙な面持ちで念押しされた。
断固としたその態度に、ひとまず納得の意を示す。
「ですが、私は……」
すると、天梨が左手の甲を向け出した。
どうしたのかと訝しむと、彼女は自嘲気味に口元で笑みを浮かべる。
「私の左手の薬指……指輪をしていませんよね?」
「あ……」
「していないのではなく、する指輪がないんです。これはつまり、あの人と私に婚姻関係が存在してないということに他なりません」
そう告げた彼女の言葉を受け、どうして気が付かなかったと自分の馬鹿さ加減に腹が立った。
旦那との思い出の品を失くしたくないなんて勝手に決めつけて、深く考えもしなかったことが堪らなく悔しい。
だが、そうなると今度は天梨と彼の本来の関係が気になる。
あまなちゃんの母親が別にいるのに、その父親と同じ写真に写っていた。
秘密を隠すためとはいえ、何の縁も無い人物を夫だと詐称するとは思えない。
ひいては、何故彼女があまなちゃんを引き取って育てていたのかという疑問に繋がる。
「……この期に及んで隠し立てはしません。早川さんには本当のことをお話します」
「──いいや、俺は後でいい」
「え?」
眉間にシワを寄せて、罪悪感を垣間見せる彼女に待ったを掛ける。
止められると思っていなかった天梨は呆けた表情を浮かべているが、俺は何もふざけたつもりで制止したわけじゃない。
……本音を言えば知りたい気持ちはある。
けど、
「本当の母親のこと、天梨が引き取った経緯……これってさ、他でもないあまなちゃんが真っ先に知らなきゃいけないって思う」
「──っ! それは、そうですが……」
「秘密がバレた時に、あまなちゃんが天梨に何を言ったかは分かんねぇけど、あんなに泣くくらいショックを受けてたってことは解るよ」
「……」
俺だって驚いて頭が真っ白になったくらいだ。
天梨を母親だと信じ込んでいたあまなちゃんからすれば、まさに裏切りにも等しい悲しみを受けただろうと察せられる。
でも、そこまでだ。
当事者でないやつが想像出来る範囲であって、何もかもは分からない。
遠回しに仲直り出来ないか告げられた天梨は、目を伏せて肩を震わせ出した。
「うそつきって、大嫌いって言われました……当たり前ですよね。傷付けたく無いからって隠したのは私のエゴなんですから」
随分と弱々しい声音だった。
良く見れば目尻に涙を浮かべていて、余程堪えたようだと分かる。
授業参観に行けないと打ちひしがれていた時を思い出す程だ。
「ずっと隠すことは出来ないと理解はしていました。けれども、私をママと呼んで慕ってくれるあの子と接している内に、本当のことを話して今の関係が壊れてしまう方が怖くなってしまったんです……」
それだけに、秘密を抱えるが故のジレンマに悩まされていたと語った。
あまなちゃんが天梨をどれだけ大好きなのかなんて、思い返すまでもないくらい強いものだ。
やたらと母親であることに拘っているなとは思っていたが、なんてことはない。
他でもない自分自身への暗示だったんだ。
「──だったら尚更、ちゃんと自分の口であの子に本当のことを伝えないとダメじゃねぇか」
「でも! あの子に自分が母親だと嘘を付いてを騙していたことに変わりは──」
「──天梨がついたのは、あまなちゃんのための『優しいウソ』だろ?」
「──ぇ」
あまなちゃんに許してもらえるはずがないと、何よりあの子を想い続けた天梨らしい生真面目な言葉を遮ってそう断言する。
虚を突かれて吐息を零した彼女の肩に手を置き、笑みを向けながら続けて口を開く。
「いつかは話すつもりだったんなら、今がそうなんじゃないのか?」
「──っ!!」
涙で濡れた瑠璃色の瞳が大きく見開かれるのが分かった。
こういうのは、長く隠せば隠す程明かしにくくなり、いざ明かされた時に受ける衝撃も大きい例がほとんどだ。
まだあまなちゃんが小学生1年生でもこうなのだから、仮に中学生や高校生の頃に公になればその亀裂は修正不可能なレベルにまで広がっていたかもしれない。
そう考えればタイミングこそ最悪だが、逆境を活かすなら今しかないともいえる。
「──わかりました」
目元の涙を拭いながら、天梨はいつもの気丈な表情を見せた。
それを見てひとまず大丈夫だろうと判断し、彼女にある提案を持ち掛ける。
「……来週の月曜日に仕事が終わったら連絡するから
「お願いします……それと、早川さん。ありがとうございます」
「──おぅ」
あまなちゃんと話すタイミングを伝え、了承とともに告げられた感謝の言葉にこそばい心境を抱きつつ、俺は改めて着替えなどが入った荷物を受け取って別れ、2人の仲直りが叶うことを祈りながら自宅へ車を走らせるのだった。
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