突き刺さる疑念



 時間にして5分くらいだろうか、泣き止んだあまなちゃんは申し訳なさと恥ずかしさが入り混じった複雑そうな面持ちを浮かべていた。

 瑠璃色の瞳の目尻は赤いものの、自分の行動を客観視出来る程度には冷静さを取り戻したようだ。


「……ふく、よごしちゃってごめんなさい」

「洗えばいいだけだから気にしてないよ」


 作業着の胸元に涙の跡が付いたものの、言及されたら汗だと誤魔化せる程度だ。

 胸を貸しただけとはいえ、それでこの子が泣き止んでくれたのなら安いもんだろう。


「それで、あまなちゃん。どうして泣いていたんだ?」

「──っ」


 本当は踏み込むべきじゃないのかもしれないな。

 けれど、泣いていた理由も分からず『はいさよなら』なんて出来る程、薄情な人間になったつもりはない。

 

 そして質問されたあまなちゃんは小さく肩を揺らして顔を俯かせるだけで、何も語ろうとしなかった。

 まぁ、無理も無いか。


「話せないなら、それでもいい。ひとまず天梨に連絡しておこうか」

「っ! や、やだ! ママにはいわないで!」

「え……?」


 当然の行動と思って口にした提案に、明確な拒絶で以って返された。

 その眼差しは恐怖とも悲しみとも取れる暗いモノで、拭い切れない後ろめたさを感じさせる。

 

 どういうことだ?

 傍から見ても、あまなちゃんは天梨を世界で1番好きな人として捉えているはず。

 それがどうしてこんな反応が出るようになった?


 一瞬『虐待』というマイナスワードが頭を過るが、それは有り得ないと首を振って否定する。

 あの天梨が愛娘に暴力を振るうだなんて思えない。

 

 いずれにせよ、あまなちゃんが泣いていた理由には彼女が関係しているっていうのか?

 

 ……ダメだ、考えるにしても情報が少なすぎて埒が明かない。

 

「……何も、連れ戻すとかそういうことはしないよ。あまなちゃんが1人でいるなら、天梨は今頃必死に捜してるだろうし、連絡しておかないとずっと心配させちゃうだろ?」

「……うん」


 とにかく、今分かっていることはあまなちゃんが天梨の所に戻りたがっていないことだけ。

 本来なら保護者の元に連れ帰るのが妥当だが、この様子だとそれも正当には思えない。

 あくまで無事を報せるためだと念入りに伝えると、素直に引き下がってくれた。

 

 改めてスマホで天梨に電話を掛ける。

 

「もしもし、今大丈夫か?」

『早川さん!? すみません! 今急用中でして──』


 数回のコールの後に、彼女が電話に出た。

 聞こえた声音は尋常でない焦燥感を感じさせる。

 そして用事の真っ最中だと聞いて、思ったより深刻な状況なのだと察しがつく。


「あまなちゃんを捜してるんだろ? 配達中に見掛けてな、今一緒にいるんだ」

『本当ですか!? 今、どちらに!?』

「あ~……教えたいのは山々なんだが……」

 

 チラリと横目であまなちゃんの様子を窺うと、彼女は首を振って『イヤ!』と声に出して拒否を露わにした。

 

「……という感じで戻りたくないらしくて」

『──いえ、見つけてくれたのが早川さんで良かったです。勤務中にも係わらず天那を保護して頂いてありがとうございます』

「友達が道端で泣いてたら、仕事に感けてる余裕なんて無いよ」


 声は聞こえていたようで、とりあえずは落ち着いたらしい。

 さて、あまなちゃんの無事を伝えられたものの、この後はどうするか。

 南家はさっきの通り帰りたがらないから行けないしなぁ……。


『あの、ご迷惑かと思いますが、ほとぼりが冷めるまで早川さんの自宅で娘を預かって頂けませんか?』

「え? いいのか?」

『一度泊まったことのある場所でしたら、天那も私も安心ですし……』

「亘平さんと真由巳さんには頼らないのか?」

『えぇっと、その、天那が一人でいる理由には両親も関係がありまして、今日帰ったこともあって頼るのはちょっと……」


 せっかくの信頼に水を差すようで申し訳ないが、家族想いなあの人達なら天梨の頼みを断らないだろうと思ったのだが、返って来た言葉からそうはいかないと知る。

 う~ん……夏休みの間なら黒音もいるし、天梨たっての頼みだしなぁ……。


「あまなちゃん、しばらく俺の家で泊まっていくか?」

「うん……おにーさんのとこなら、いく……」


 念のためあまなちゃんに尋ねてみたが、天梨と離れられるなら構わないといった調子で返された。

 一体何があったら大好きだったはずの母親を避けるようになるんだ?


 そう思わずにはいられないが、実はたった1つだけ心当たりがあった。


 それは、初めて会った頃に天梨から告げられた『必要以上に踏み込まないでほしい』といった約束。

 あの言葉に隠された真意が無関係とは到底思えなかった。

 

 でも、俺はあくまで赤の他人だ。

 気にはなるけど、変に掘り返して良いことでもない。

 とりあえず考え事は止めて、天梨の頼みに了承の返答を出すことにした。


「分かったよ」

『ありがとうございます』

「あまなちゃんは家に送って黒音に見てもらうとして、仕事が終わったらそっちに荷物を取りに行くからな」

『ええ、重ね重ねすみません』

「……いつもの礼みたいなもんだから気にすんな」


 方針が決まったなら即行動。

 配送車を私用で使うのは忍びないので、一旦本社に戻ってからあまなちゃんを俺の車に乗せる。

 熱中症対策として車内冷房はつけておく。


 茉央にはあまなちゃんが家出をしたので自宅へ送ると簡潔に説明し、配送スケジュールを見直してもらうことになった。

 ショッピングモールで面識を得たことが功を奏した形だ。

 

 彼女がスケジュール調整をしている間にあまなちゃんを自宅へ送る。

 実はこの間一切会話が無かった。

 落ち着いたとはいえ、泣く程のショックを受けた様子のあまなちゃんに普段通りに話しかけるのは躊躇われたからだ。


 向こうも、運転中の俺の邪魔をしないためか無言で窓の外を眺めるだけ。

 そんな空気のまま自宅に着いてあまなちゃんを黒音に任せ、俺は仕事に戻る。


 午前中にあった不在票分の対応もあって忙しさは変わらないものの、あまなちゃんと天梨の間に起きたことが気になり、ミスこそしなかったが集中を欠いていた。

 

 

 =====


  

 午後10時半。

 ようやく仕事を終えた俺はすぐに南家へ向かう。

 あまなちゃんの荷物を取りに行くのだが、事情を聴いたらしい黒音から送られたメッセージを見て、早く天梨に問い詰めたいことが出来たからだ。


 子供の言うこと、なんて流せたらどれだけ良かっただろうか。

 けれども、そうじゃないとあのあまなちゃんが一人で彷徨って泣くなんて思えない。


 逸る気持ちを抑えながらマンションエブリースマイルに着き、184号室のインターホンを押す。

 

「──こんばんは、早川さん」

「……こんばんは」


 程なくして玄関のドアを開けて出て来た天梨と挨拶を交わす。

 かなり心配していたのか、憔悴した様子で元気がない。


「えっと、天那は?」

「さっき黒音に確認したら泣き疲れて寝てるってさ」

「そうですか……あ、この中に天那の着替えが入っています」

「おう」


 運よく妹が居てくれて良かったと思いつつ、泊まり用の荷物を受け取る。


 本当はあのメッセージを見るまではここで立ち去るつもりだった。

 深入りしないって約束を抜きにしても、親子喧嘩に割って入るなんて以っての外だ。


 だけど……。


「天梨」

「はい?」

、どういうことだ?」

「──っ!!?」


 一度彼女に声を掛け、スマホを取り出して黒音から送られて来たメッセージを見せる。

 瞬間、天梨は瑠璃色の瞳を大きく見開いて絶句した。


 ずっと隠していたんだ、その反応も無理はないと思う。

 俺だって未だに信じられない。

 あの2人がどれだけ仲の良い家族なのかを知っているから。


「深入りしないって約束だったけど、流石には知らんぷりなんて出来ない。だから、単刀直入に訊く……」


 一度言葉を区切り、深呼吸をしてから天梨に核心を告げる。














「──天梨がって、どういうことなんだよ?」

「……」


 ──ママはあまなのママじゃなかった。


 それが、黒音からのメッセージに書かれていた内容だった。  

 

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