あまなちゃんからのお願い


「そういえば、親父と喧嘩したって言ってたけど何が原因なんだ?」

「ん~?」


 あまなちゃんが眺める横でスマホアプリで遊ぶ中、悶絶から復活して入浴を済ませた黒音に俺はそう尋ねた。

 水色のパジャマに着替えて、すっかり調子を取り戻した黒音は冷蔵庫にあったアイスを頬張る顔をこちらに向ける。

 

「別に特別なことなんてないよ~。ちょっと寄り道して帰りが遅くなっただけで、不純だとか彼氏はまだ早いとか小言にキレただけ」

「親父、黒音には過保護だよなぁ……」


 もう黒音だって高校生だし、子煩悩から子供扱いしてりゃ反発されるに決まってるわな。

 

「一応、2人には俺のところにいるって伝えておいたからな」

「なんか言ってた?」

「親父が死ぬほど泣いてるって、母さんが言ってたぞ」

「ふ~んだ」


 どうやらまだお怒りらしい。

 両親も俺のところにいるなら無理に連れ戻さなくてもいいと安心しているし、黒音が通う高校にもここから通える距離ではあるので、しばらくは居座ったままだろう。


「おねーちゃん、おにーさんのパパとケンカしちゃったの? なかなおりしないとダメだよ?」

「いつかはね。少なくとも今すぐは無理かな」

「どーして?」

「どうしても」


 人と……ましてや家族と喧嘩した経験が無さそうなあまなちゃんの問いに、黒音はその純粋さを羨むような眼差しを浮かべて答える。

 何も、親父が憎くて喧嘩したわけじゃないしな。

 思春期から来る反抗期から、感情的になって反発してしまっただけ。


 切っ掛けさえあれば謝ることは難しいことじゃない。

 その時まで家で面倒を看ることくらい、吝かじゃないと思っている。


「っま、あまなちゃんが心配するようなことは無いから、大丈夫だよ」

「うん……」


 気にするなと笑って見せる黒音の言葉に、あまなちゃんは納得のいかない表情を浮かべるものの押し黙るしかなかった。

 何気ない質問から重い空気になってしまったが、場の空気を変えようと黒音が手を合わせる。


「そうだ! あまなちゃんは明後日までこっちにいるんでしょ? だったら明日ショッピングモールに行こうよ!」

「おでかけ?」

「そうそう、なんなら欲しい物だって買ってあげられるよ! アニキが!」

「おい」


 誇らしげに人の財布に頼るなよ。

 とはいえ黒音の提案は悪いものじゃない。

 せっかく3日間もいるのに、ずっと家や近所の公園で遊ぶというのも味気がないだろう。


 出来れば思い出に残るようなことをしたい。

 しかし……。


「え、えっと、あまな、おにーさんのおうちにいられるだけでいいよ?」

「遠慮なんてしなくていいって!」


 こちらを慮るように、あまなちゃんは謙遜してやんわりと外出を拒んだ。

 黒音がすぐさま遠慮はいらないと告げるが、あまなちゃんの表情は晴れない。


「でも、おにーさんにおせわになってるのに、なにかかってもらうのはずーずーしーし、おにーさんだってめーわくじゃ──」

「全然迷惑なんかじゃないよ! あまなちゃんのためなら、アニキは何でも買ってあげられるから!」

 

 だからなんでお前がそれを言うの?

 そうツッコミを入れたくなるが、ぐっと口を噤んで堪える。

 実際、あまなちゃんにお願いされたら何でも買ってあげる自信はあるが。


 というか思った通り、物欲の薄いあまなちゃんは遠慮するような反応を見せた。

 欲しい物がないというよりただでさえ預けてもらっている立場なのに、外出先で何かを買ってもらうことが忍びないという感じだ。


 自分の立場を弁える賢さは褒めたいが、こと此処に至っては間違っていると言えるだろう。


「あのな、あまなちゃん。俺達が良いって言ってるのに遠慮されると、こっちが悲しくなっちゃうんだ」

「う、でも──」


 何も責めたいわけじゃないが、俺の言葉にあまなちゃんは罪悪感を滲ませるように悲し気な表情を浮かべた。

 そんな彼女の小さな手を握り、俺は目を合わせて笑みを向ける。


「俺も天梨も、あまなちゃんが甘えても怒ったりなんてしない。むしろ、あまなちゃんが甘えてくれた方がとっても嬉しいんだ。大人にとって、子供が笑ってくれることが何より嬉しいことだからな」

「……あまながわらうと、おにーさんはうれしいの?」

「嬉しい。すっごく嬉しいに決まってる。明日俺達と一緒に出掛けて、たくさん笑って思い出を作れたら、もっと嬉しくなれるよ」

「……ほんと?」


 その問いはある意味最後の心の防波堤のようなものだろう。 

 仕事と育児に忙しい天梨を煩わせまいと、あまなちゃんは我が儘を我慢することを覚えた。 

 それ自体は悪いことじゃないが、この子の場合は我慢をし過ぎている。


 これはいけない。


 我が儘のし過ぎは良くないが、我慢のし過ぎも良くない。

 どちらも程々が丁度良い……少なくとも、あまなちゃんの年齢ではまだまだ我が儘を言っても良いはず。

 親としては──俺は親じゃないけど──子供が甘えてくれなくなることはとても寂しいことだと思う。


 俺はいつもあまなちゃんの笑顔に癒されている。 

 我慢させて浮かべる強がりの笑顔より、甘えて心の底から浮かべる笑顔をもっと見ていたい。

 

 だから、キミはもっと甘えて良いんだと、優しく諭す。


「──俺はあまなちゃんの笑顔が大好きなんだ。それが見れるなら我が儘を聞くくらい、迷惑でも何でもないよ」

「……」


 嘘偽りのない言葉を受けたあまなちゃんは、瑠璃色の目を丸く見開いて、俺をまじまじと見つめる。

 数回瞬きした後に恥ずかし気に顔を赤くして、視線を右往左往させてからゆっくりと小さな口が開かれた。


「おにーさんと、おでかけ、したい……」

「よし、それじゃ明日3人で一緒に出掛けようか」

「! うん!」


 可愛らしいお願いを了承すると、あまなちゃんは輝くような笑みを浮かべた。

 それからショッピングモールで何を見るのか黒音も交えて話している内に、あまなちゃんが段々舟をこぎ始める。


 時刻は午後9時……天梨から預かっているメモによれば、いつもこのくらいの時間に眠るらしい。

 そろそろ寝た方が良いだろう。


「あまなちゃん、そろそろ寝ようか」

「うん……ふぁ~……」


 あぁ、欠伸するあまなちゃん可愛いなぁ……。

 見てる人に安眠を届けるような姿にひっそりと癒される。


 ともかく、あまなちゃんと一緒に黒音がベッドで横になる。

 傍目から見たら姉妹みたいに見える様子が、無性に微笑ましい。


 それから程なくして、あまなちゃんはぐっすりと寝入るのだった。

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