天梨への報告
寝入ったあまなちゃんを黒音に任せて、廊下に出てある人物に電話を掛ける。
何とかあの子の我が儘を引き出したはいいが、実際に買い物するにあたって何か注意することが無いか、あの人に尋ねようと思ったからだ。
数回のコールの後に、相手が電話に出た。
『こんばんわ早川さん。南です』
「こんばんわ、天梨。仕事お疲れさん」
スマホのスピーカーから、凛とした聞き取りやすい声が聞こえる。
電話の相手──あまなちゃんの母親である天梨が挨拶をして来たので、挨拶を返す。
『天那の様子はどうですか?』
「ぐっすり寝てるよ」
『それは良かったです。何かご迷惑を掛けませんでしたか?』
「全然。良い子過ぎてこっちが気を遣われてるって思える」
『早川さんに嫌われないように、精一杯なのでしょう』
天梨は容易くあまなちゃんの心情を察して見せたが、正直俺があの子を嫌いになるなんてありえない。
それから日中の出来事を天梨に報告した。
おままごとをしたこと、公園で遊んだこと……そしてもちろん黒音のこともだ。
「──んで、こっちに連絡も無しに妹が来たんだよ」
『妹さんが?』
「あぁ。黒音って言って、今年高校生になったばかりなんだ。昔はお兄ちゃんっ子だったのにすっかり生意気になっててなぁ……突然『親父と喧嘩したから泊めろ』なんて無茶苦茶言って来たんだよ」
おかげで食事に関しては心配しなくて済むけどな。
『早川さんに、妹が……』
「天梨?」
『っ!』
しかし、電話の向こうの天梨は何故か呆けおり、声を掛けると息を呑むように小さく驚いたのが分かった。
何か考え事でもしていたのだろうか?
「大丈夫か? 仕事で疲れてるなら電話を切るけど……」
『──いえ。早川さんに妹がいたことに驚いてしまったので、つい黙り込んでしまいました』
「えぇ~……」
妹がいることでそこまで驚くか?
釈然としない気持ちを感じつつも、報告を続けることにした。
「そんなわけで、あまなちゃんを預かってる間は妹も一緒にいることになりそうだ」
『そうなんですか……それにしても、早川さんは妹さんと仲が良いんですね』
「そうか? 普通だと思うけどな。でも、あまなちゃんも黒音に懐いてくれてるから、悪い様なことにはならないよ」
『そこは早川さんの妹さんなのですから、心配はしていません』
それはありがたい、と内心胸を撫で下ろす。
黒音に通報されかかった時に実感したが、天梨からの信頼はかなり心強いものだ。
改めてその信頼を裏切らないように努めよう。
と、思い直したところで、まだ明日の外出の件を伝えていない気付いた。
「そうだ。実は黒音の提案で明日3人でショッピングモールに買い物へ行くことになったんだ」
『買い物、ですか?』
「あぁ。何か注意点とかあるか?」
『え、ええっと待って下さい。何もそこまでして頂かなくとも……』
案の定というか天梨からすれば、娘を預かってもらうだけのつもりがそこまでしてもらうことに遠慮し出した。
電話越しでも困惑している様子が伝わって、そんなところも親子らしく似ているんだと感じて思わず笑みが零れる。
「義務とかそういうのじゃなくて、普段のお礼みたいなもんだ。それに黒音だってあまなちゃんと仲良くなりたいって思ってくれてるし、はぐれたりしないようにちゃんと見るつもりだよ」
『ですが……いえ、分かりました。早川さん達と外出するとあれば、天那も喜ぶでしょうね』
「って思ったんだけどなぁ……」
『あの、なんだか煮え切らないようですが……」
天梨ですら賛成すると思っていたようで、俺の反応に疑問を感じて聞き返して来た。
一度遠慮したあまなちゃんの様子を話したら、彼女と約束した過干渉に入らないか一瞬考えが過るも、思い切って告げることにする。
「……黒音の提案を聞いた時に、あまなちゃんはなんて言ったと思う?」
『え……?』
「遠慮したんだよ。お世話になってるのに何かを買ってもらうのは図々しいし、俺達に迷惑が掛かるからってな」
『──っ!』
電話の向こうで天梨が息を呑んだのが分かった。
その次に言うであろう言葉を容易に察して、彼女が告げるより先に口出しをする。
『わた──』
「自分のせいだって言うのは違うからな? あれはあの子が天梨以外の人に対して、どう我が儘を言えば良いのかを知らないだけだ。俺と黒音が迷惑じゃないって伝えたら、行きたいって言って買い物を楽しみにしてたよ」
『そう、ですか。なんだか、早川さんの方が子供との接し方が上手なようで、母親として自信が無くなりそうです……』
「何も天梨の育て方が悪いわけじゃないさ。あの子なりに他人を気遣った結果だよ。少なくとも天梨が良い母親だからこそ、俺はあまなちゃんに助けられてるわけだしな」
言葉で伝えた通りシングルマザーという忙しい身でありながら、あまなちゃんをあそこまで明るく思いやりの溢れた性格なのは、間違いなく天梨の育て方が良いというのが大きい。
初めての育児でそこまで出来るなんて、本当に良い母親だ。
「周囲の人や天梨自身が思っていなくとも、俺はキミほど子供が自慢出来る母親はいないって思ってるよ」
『…………』
天梨が俺を信頼してあまなちゃんを預けてくれた様に、俺も彼女を信頼しているからこそ本気でそう思える。
そんな思いで伝えた言葉に、電話の向こうにいる天梨は黙り込んだ。
沈黙したことで、本題からずれていたことにようやく気付いた。
加えてなんか青臭いセリフを吐いた羞恥心が遅れてやって来た為、空気を変える為に慌てて買い物中の注意を尋ねる。
「そ、それで買い物は何か注意することとかあるのか!?」
『え!? あ、はい、ええっと、欲しい物は1つだけであれば買って頂いて構いません。後は迷子にならない様にお願いします』
「お、おう分かった。それじゃそろそろ切るよ」
『はい……おやすみなさい』
そう言ってそそくさと通話を終えた。
電話越しではあるが、誰かから『おやすみ』と言ってもらえたことが久しぶりで、とても心に響いたように感じる。
以前、彼女に頭を撫でられた時や、週2日の弁当を甲斐甲斐しく渡して来る様といい、相手は未亡人で子持ちだというのに妙に意識をしてしまう。
少しだけ、彼女と同じ会社に勤める男性や堺にアプローチするやつらの気持ちが分かったような気がする。
そんな誰に言うでもない感想を抱きながら、部屋に戻るのだった。
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