仕事終わりにて
午後9時。
比較的早めに配達を終えた俺はウミネコ運送の本社に戻って来て、更衣室で作業着から私服に着替えていた。
仕事が終わったら天梨に電話をすることは忘れずちゃんと覚えているので、これから連絡しようとすると……。
「おいっす、お疲れぃ~和~」
「おう、お疲れ三弥」
丁度大差ない時間に戻って来た三弥が更衣室に入って来た。
ここのところ気温が高いせいなのもあって、ちょっと肌が焼け始めているように見える。
そう思っていると、三弥が盛大にため息をついた。
「はぁ~和は良いよなぁ~。あまなちゃんに癒してもらえるからさぁ~」
「おう、今日もたっぷり癒されてきたぞ」
「なんで通報されないんだか……」
「ちゃんと母親の許可も得てるから問題ない」
「それだよ! まさかマジで天梨さんの信頼を得るとか、何があったんだよ!?」
前々からあまなちゃんのことについて三弥には相談していたが、授業参観の件は天梨の事情故に伏せたまま、ひとまず元のように触れ合えるようになったとだけ説明していた。
なのにこうして毎度毎度詳細を尋ねて来るのは、正直鬱陶しく思う。
「まぁ、色々」
「その色々を教えて欲しいんだけどなぁ……」
「向こうのプライバシーに関わることだからな。宅配員なら察しろ」
「……などと、ロリコンの疑いがある早川氏は供述しており──」
「ロリコンじゃない」
コイツ、挑発してうっかり口を滑らそうとしやがったな。
油断も好きもねぇ……。
俺が挑発に乗らないと悟ったのか、三弥はそれ以上何も聞いてこなかった。
静かになって何よりと安堵しつつ、着替え終えた俺達は更衣室を出る。
「あら、2人共お疲れ様」
「お疲れぃ、茉央ちゃん!」
「お疲れ様、堺」
声を掛けて来たのは堺だった。
向こうも仕事上がりのようで、水色のブラウスの上に薄いベージュのカーディガンを羽織り、グレーと黒のストライプ柄のスカートを穿いている。
仕事が終わったというのもあってか、表情はかなり柔らかい。
「ありがと、カズ君」
「あれ? ナチュラルに存在を消された……?」
多分、茉央ちゃんって呼んだのが悪かったんだろ。
「もうすぐ夏だけど、2人共何か予定はあるの?」
「オレは今年こそ彼女を作る!」
「俺は特にないな。そもそも連休自体取れるか怪しいし」
去年の夏も仕事以外の記憶が薄い。
精々が、お盆に実家に帰って家族と過ごした程度だ。
その時におふくろから『誰か良い人はいないのか?』と遂に結婚の催促をされた。
仕事が忙しいからそんな暇は無いと話を切り上げようとしたが、如何に結婚は早めに取り込んだ方が良いのかを小一時間力説されたのは、何故だかハッキリと覚えている。
結婚と言えば、この前堺に誘われて後輩の式に参列したことがあったなぁ。
確か、彼女には誰は知らないが気になっている人がいるはず……今年はその人と過ごすだろうから、去年みたいにカラオケオールナイトとかは無理だろう。
そうして俺達の予定を聞いた堺は、何やら頷く素振りを見せた後に……。
「今年も
「「うへぇ……」」
例年通りにカラオケオールナイトを開くと宣言した。
それを言い渡された俺達は揃って肩を落として項垂れる。
お前、その行動力を気になる人とやらに向けろよ。
堺はよく趣味でヒトカラに行くのだが、俺達と仲良くなってからは3人で行くことが多い。
場数が違うので堺はいつも高得点を叩き出すし、三弥も合コンに積極的に参加しているためか流行りの曲を歌ったりしている。
その点、俺は最近の流行にすっかり追い付けないでいるもんで、高校の頃からレパートリーに変化がない。
カラオケ自体は問題ないが、オールナイトで夜通し歌うため非常にしんどいのが難点だ。
「私達3人の休みが重なるようにスケジュール調整はしておくから、勝手に予定埋めたりせずに覚えておきなさいよ」
「「へぇ~い……」」
なお、俺達に断る権利は無い。
堺の数少ないストレス発散とあって、1人より2人、2人より3人の論でより楽しく騒ごうという魂胆故に、断るのが忍びないからだ。
まぁ、ああは言うが実際に別の予定が出来たらそっちを優先して良い、なんて気前の良さを見せてくれる。
そんな優しさを見せられたのに断るのは、どうにも良心が痛むわけだ。
なんて思い返していると、堺がジッと俺を見ていることに気付いた。
なんなんだろうか?
「どうした? 堺?」
「え? あ、えと、なんだかカズ君、ここ最近仕事に精が出ているなぁって思って……なのにあんまり疲れた様子も無いから、良いストレス発散法でも見つけたのかしら?」
「おう、まぁかなり効果はあるよ」
どうやら最近の俺の変化に疑問を抱いていたようだ。
──実は幼女に癒されてるとは思わないよな。
職場で真実を知っているのは三弥だけで、彼女はあまなちゃんのことを知らない。
ヘタに話して誤解されて通報の危機なんて、シャレにならないからな。
あの子との関係は説明するには複雑過ぎるし、隠すのは妥当だ。
そう決めていた俺の返答に、堺はさらに興味を増した眼差しを向ける。
「へぇ。どんな方法なのか教えてもらってもいい?」
「悪い。俺が実践しているのは男性限定のやつなんだ」
「あらそう。残念ね」
性差別を擁護するわけじゃないが、はぐらかす理由付けとしてこれ以外に思い付かなかった。
ちなみにあまなちゃんの癒しは老若男女に効果があるため、実際に試したら堺にも効くと思う。
特に天梨なんて日常的に癒されているだろうよ。
そうして雑談を終えた俺は、万が一を避けるために自分の車に乗ってから天梨に電話を掛ける。
『もしもし?』
「こんばんは、天梨。仕事が終わったから掛けたぞ」
『あ、早川さん。こんばんは』
3回目のコールが鳴る前に、天梨が出てくれた。
向こうの丁度手が空いていたようでホッとする。
「あまなちゃんはどうだ?」
『天那でしたら、もうベッドで寝ていますよ』
「早いな」
『寝る子は育つと言いますから』
それは期待したいところだ。
雑談も程々に、天梨が話したいという要件について尋ねる。
「それで、配達の時に言ってた要件ってなんだ?」
『ええ、実は2週間後の金曜日から日曜日まで、仕事で出張に行くことが決まったんです』
「それはまた……」
電話越しに天梨が困った様子が伝わり、俺は何とも言い難い心象を抱く。
いくら優秀だからってシングルマザーを出張に駆り出すとか、どんだけ鬼畜な上司なんだろうか?
だが、そんな些細な俺の不満も、続く言葉で掻き消されることになった。
何せ……。
『そこで、出張の3日間だけ、早川さんのご自宅で天那を預かって頂けませんか?』
「……はい?」
要件の内容があまりに突拍子過ぎたのだから。
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