初めての授業参観


 授業参観が始まって、もう30分が経とうとしていた。

 先生が黒板に書いた算数の問題を誰に解いてもらおうか挙手を求めると、生徒達は参観に来ている家族に良いところを見せようと、意気揚々と手を上げる。


 そんな中、天那あまなだけが手を上げずに顔を俯かせたままだった。


 その表情は他のクラスメイト達とは雲泥の差で、暗く沈んだ面持ちである。

 彼女の様子に蓮水はすみ達も心配の眼差しを向けるが、授業中では声を掛けることも出来ない。


 授業を進める先生も気付いてはいるが、授業の進行を滞らせるわけにはいかないと決め、気持ちを殺してチョークを黒板に押し付けて問題を書き上げていく。


(ママ……おにーさんとおともだちになったの、とってもおこってたから、あまなのことキライになったのかな……?)


 一度沈んだ気持ちから、ゆっくりと思考の坩堝るつぼに嵌まっていく。  

 であれば、和と出会わなければ……と考えたところで慌ててその邪念を払う。


(おにーさんのせいにしちゃダメ! だって、あんなにやさしいもん!)


 仕事中でも自分との時間を大切にしてくれる和の存在は、母親の天梨てんり程ではないにせよ、天那の中で信頼に足る人物だと判断している。

 逆に天梨が何故あそこまで彼を敵視しているのかが理解出来ないでいた程だ。

 

 だからこそ、和と仲良くなったことで怒らせてしまったのではと考えたのである。


 実際は市外の駅で起きた人身事故が原因で電車が止まってしまったのが原因だが、それを知る由もない天那に察しろと言う方が無茶だろう。


(おしごとが、たいへんなんだよね? それなら、ママがこれなくてもしかたないもんね……)


 結局、過去の経験から行き着く答えはそこであった。

 天梨に限らず、大人が仕事に忙しいのは仕方のないことだと諦念に駆られる。

 

 そう思い込むことで、天那は自身の不満を飲み込む。

 しかし、消化されて無くなるわけではない。

 塵が積もるように、少しずつ少しずつ溜まっていくのだ。


「では、この問題を──」

「「「「はいっ!」」」」


 そんな天那の心境に関わらず進行していた授業では、先生が生徒に問題の解答を委ねる。

 子供達は元気に挙手して、自分の晴れ姿を参観に来ている親に見せようとしていた。


 唯一天那だけは顔を俯かせたままだが。


 ひとまず、挙手した生徒達から一人を選ぼうとした時……。


 ──ガラリと、教室の後方にあるドアが開かれた。


 突然の大きな物音に、教室内にいた全員が驚きから目を丸くしてそちらへ凝視する。

 そこには、一人の女性が肩を大きく揺らしながら立っていた。

 

 濃い茶髪の髪は、よほど急いで来たのか汗を掻いたことで額に張り付いており、お世辞にも整えられているとは言えないくらいに乱れている。

 だがそんな周囲の視線に構わず、女性は教室にいる一人の少女と目を合わせて安堵の顔を浮かべるや否や、焦燥を滲ませていた表情から見惚れる程に朗らかなモノへと変貌した。


 それから息と身嗜みを整えた彼女は、周囲の視線を一身に浴びていることを自覚したのもあり、顔を赤らめながらもゆっくりと口を開く。

 

「じゅ、授業の邪魔をしてしまってすみません。私は南天那の母親でして、立て込んでいた用事を終えて遅ればせながら娘の授業参観に来させて頂きました」

「「「「っ!!」」」」


 女性──南天梨が名乗ると、参観に来ている親達は彼女の様子から感嘆の息を吐く。

 既に授業時間が半分以上も過ぎていようとも、子供が頑張る姿を目に焼き付けようとしているのだ。

 その姿に感心したのである。


 一方の天梨はいそいそと親達が並ぶ列へと加わり、未だ目を見開いて自分を見つめる天那に笑みを浮かべて小さく手を振った。


 ──ちゃんとここで見ていますよ。


「っ!」


 そんな彼女の無言の鼓舞によって、天那は先までの鬱屈した気持ちは心から綺麗さっぱり消え去った。

 母親譲りの瑠璃るり色の瞳は、大好きな人の期待に応えようと普段の輝きを取り戻す。


 そうして天那は……。



「はいっ!!」

「じゃあ、南さんに解いてもらおっか」


 元気良く挙手して、自らも回答者として名乗り出た。

 一連のやり取りを眺めていた先生は、微笑ましそうな表情を浮かべて天那を指名する。


 席を立って黒板へと近付いた彼女はチョークを右手に持ち、踵を上げて問題の答えを書いていく。

 

「はい、正解です」

「やった!」


 大人から見れば片手間でも解ける問題ではあったが、解いた本人は実に誇らしげであった。

 天那はその満面の笑みを天梨に向ける。


 ずっと目にしたかった娘の晴れ姿に、天梨も釣られて笑顔を浮かべていた。


 ──よく出来ました。


 あくまで授業中なため、天梨は口パクでそう褒める。


「えへへっ!」


 その言葉を受け取った天那は、より笑みの輝きを強めてピースサインを決めた。

 

 そうして授業は恙なく進んでいき、後5分で終了するかというタイミングで先生が合掌をして視線を集める。


「それじゃあみんな! 今日学校に来てくれたお父さんお母さんにプレゼントを渡そうね」

「「「「はーいっ!」」」」


 突然明かされたプレゼントの存在に、親達は揃って首を傾げる。

 何せ、授業参観の日時が書かれたプリントにはそのことは記載されていなかったからだ。

 当然、天梨も同様に感じていた。


 反対に前もって準備を進めていた子供達は席を立ち、机の中から各々1枚の紙を取り出してから、後方にいる家族の元へ持って行く。 


「3、2、1、はい!」

「「「「おとーさん、おかーさん! いつもありがとー!!」」」」


 先生が合図を出すと、子供達は手に持っていた紙を表にして一斉に手渡す。

 それは、色鉛筆によって描かれた絵だった。

 

 幼さ故に拙い画力ではあるが、どれも自分の両親を描いたものだと分かる。

 そしてこの場で何より大事なのは、言葉と共に贈られた感謝の気持ちだろう。

 愛情をもって育てて来た我が子から、こうして絵と言葉という形で伝えられた『ありがとう』の気持ちに、中には感極まって涙ぐむ人もいる。


「はい、ママ!」

「──ありがとう、天那」


 もちろん、天那から絵を受け取った天梨も寸でのところで涙を堪えていた。

 和の助力でこの場にいられること、天那の頑張りと手渡された感謝の気持ち……それらが彼女の心を幸福で満たしていたのだ。

 

 2人の初めての授業参観は、こうして円満に終えたのである。

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