約束をしたから
蹲っていた私に声を掛けて来た早川さんの表情は、真剣にこちらを心配するものです。
彼は初めて会った時にも見た作業着姿で、今現在も配達中だと察せました。
しばらく私の顔を見ていた早川さんは、突如驚いた顔をして慌てだします。
「え、泣い──っ、だだ、大丈夫ですか!?」
「っ! い、いえ……ご心配をおかけして申し訳ありません……もうなんともありませんから……」
その言葉で、自分が涙を流していることを思い出し、立ち上がりながらも拭います。
見られてしまった気恥ずかしさから、思ってもいないことを口にして早々に彼を遠ざけようとしました。
それも、次に投げ掛けられた言葉によって脆くも崩れたのですが。
「なんともって……今日はあまなちゃんの授業参観の日じゃなかったんですか?」
「──っ!? どうしてあなたがそれを? 天那から聞いたんですか?」
部外者であるはずの早川さんが、どうして今日が天那の授業参観日だと知っているのか……。
もしやまた約束を破って娘から聞いたのか……そう訝しんで睨み付けたことで自分の言葉の意味を悟ったのか、目に見えて狼狽えだします。
「あっ、いやその~、昨日の配達の時にあまなちゃんの友達に会って、その時に会話の弾みで教えてもらっただけですから! 決して過干渉するなって約束を破ったわけじゃないですから!」
「そう、ですか……」
その言葉に嘘だと分かる軽薄さは感じず、事実なのだと察しました。
天那の友人とも見知った仲のようです。
娘の例から見ても、どうやら彼は子供に好かれやすいようですね。
「ついでに時間帯まで教えてもらったわけなんだが……もうそろそろのはずじゃ?」
「……早川さんには、関係のないことです」
「それを言われたらそうだけど……あまなちゃん、南さんが来るの凄く楽しみにしてたってあの子達が言ってましたから」
「──っ!!」
彼の口から天那の気持ちを聞かされて、一度落ち着いた感情が再び昂り出したと自覚した頃には、私は早川さんに詰め寄って胸倉を掴んでいました。
「あの子が今日を楽しみにしていたなんて、私が一番よく知っています!!」
往来にも関わらず、大声で彼に怒号をぶつけます。
ですが、早川さんは反論も動揺もなくただ黙っているだけでした。
それを良い事に、私は今まで溜めに溜め続けていた不満を爆発させていく。
「でも、私はいつもいつも肝心な時に天那の晴れ姿を間近で見てあげられない……今日だって事前に休むことを伝えていたのに、後輩の休みのツケを払わされる形で午前だけ出勤する羽目になって、やっとの思いで仕事を終えたと思ったら事故で電車が止まるなんて……こんなの、あんまりじゃないですか!! 約束をしたのに破って裏切って悲しませてる私が、あの子の母親でいる資格なんて……あの人にどう顔向けすればいいんですか!!?」
語る途中で拭った涙がまた流れ出して、早川さんの胸を顔を埋めます。
今更不満をぶちまけただけで、どうにかなるだなんて思っていません。
それでも、私は吐き出さずにはいられませんでした。
あの人が亡くなって、天那は私が育てると決意したあの日から……弱味を見せたくないと張り続けていた緊張が解けていくようです。
何より、そんな不満をぶつけられて尚、早川さんは何も言いませんでした。
ただ愚直に、私の気持ちを受け止めてくれているようで、一種の心地良さすらあります。
そこまで考えてようやく、私は彼に申し訳ないことをしていたと気付きました。
「あっ、すす、すみません! 早川さんになんて失礼を……」
慌てて離れ、崩れた前髪を手櫛で簡潔に整えながら謝ります。
一方、早川さんは神妙な面持ちを浮かべていて、一瞬怒らせてしまったと思いました。
「──南さん」
「は、はい?」
「ちょっとここで待っててください」
「え?」
ですが、彼はそう言うとこちらの返事も聞かずに近くに停めていた配送車へ乗り込みました。
遠目でですが、スマホで誰かに連絡しているようです。
訳も分からず、立ち尽くすしかない私は言われた通り待っていると、早川さんは運転席から降りて戻って来ました。
その際、何故だか苦笑いを浮かべていたのですが、続けて告げられた言葉によってそれを問い質すことは出来なくなったのです。
何せ……。
「──車に乗って下さい」
「え……えっ!?」
唐突にそう言われ、手を引かれて先程まで彼が乗っていた配送車へ連れられたのですから。
ようやく頭が理解した私は、咄嗟に踏ん張って抵抗します。
「まま、待って下さい! いきなりなんなんですか!?」
「俺が南さんをあまなちゃんの学校まで連れて行きます。あ、場所の案内はお願いしますね」
「はい!?」
あまりに荒唐無稽な提案に、私は動揺する他ありません。
どうして彼がそこまでするのか、理解が出来ないからです。
いえ、それ以前に……。
「早川さんはまだ配送中では? 私を小学校まで送っていては、仕事に支障が出るじゃないですか!?」
今いる場所から天那の通う小学校までは電車で20分程です。
車で向かえば大凡30分……戻って来る事を計算に入れれば往復で一時間は掛かります。
時間が第一の配送業でそんなタイムロスを起こせばどれだけ差し支えるのか……素人の私ですら容易に想像出来ることを、宅配員である彼が考えていないとは思えません。
授業参観に間に合うという歓喜を上回る罪悪感から、早川さんの誘いには安易に受けられないと断ると、彼は私と顔を合わせて……。
「出ますけど、遅れるって連絡したのでどうとにでもなりますよ」
「は……」
事も無さ気に言ってのけられ、一瞬言葉に詰まりました。
「バカじゃないですか!? 自分の仕事を棚に上げて人助けだなんて……それに私達には過干渉しないという約束はどうするんですか!?」
しかし、あまりのバカバカしさに私は憤慨します。
そして暗にこのまま連れて行けば警察に通報すると伝えて、バカげた考えを改めるように忠告しました。
私の言い分を聞いた彼は、足を止めてこちらに顔を向けました。
何か文句があるならどうぞと、目で訴えながら早川さんの言葉に耳を傾けます。
「──俺は、南さんより先にあまなちゃんとある約束をしたんだよ。あの子とずっと友達だって」
「え……?」
返された言葉は、予想だにしていないものでした。
動揺して絶句している私に、早川さんは続けます。
「友達として、あまなちゃんを悲しませたくない。そのために俺はアンタを連れて行くって決めたんだ。そうしなきゃ、俺はあの子との約束を破っちまうことになる」
だから、と彼は言葉を区切ってから続けます。
「今はあの子ために黙って俺を頼れ!! 後の事は後で考えることにして、いつもみたいに自分の娘のことだけ考えてろ!!」
「──っ!!」
そう説得された私は、抵抗する力を弱めました。
本当に……私は母親失格です。
だって、赤の他人である早川さんの方が、天那のことを第一に考えてると思い知らされたからです。
簡単に足掻くことを諦めて途方に暮れていた私に、彼は天那のために自分の仕事を犠牲にしてでもこうして連れて行こうとしているじゃないですか。
きっと、一般的に見れば早川さんの行いは非常識だと
ですが、実際は一切の悪意なく純粋に天那のためと言って、間接的に私も助けようとしている程のお人好しです。
そんな人を訴えるだなんて……出来るわけがありませんよ……。
「……いくら急ぐためと言っても、信号無視や左右確認等の安全運転は怠らないで下さいね」
「当然。荷台には割れ物注意の荷物だって入ってるんだから、安全第一は厳守に決まってんだろ」
念のために告げた忠言に対して、早川さんは事も無さ気にあっけらかんと答えます。
それもあまりに誇らしげに語るものですから、先程までの焦燥感は静まり返って、心には余裕が生まれていました。
「ふふっ、そうでした。──では、よろしくお願いします」
──思わず、笑みを零すくらいには。
「──おう。トラックだけど、大船に乗ったつもりでいろよ」
そうして、私を乗せて早川さんが配送車を走らせるのでした。
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