天梨は母親失格……?
午後12時。
ようやく取引先との会合を終えた私は、改札口を向けて駅のホームで電車を待っていました。
午前中だけとはいえ、天那の授業参観がある土曜日に仕事なんて不満しかありません。
ですが、私が頑張れば良いと判断して受けることにしました。
それでも会議が長引いて予定より30分もオーバーしてしまいましたが。
まぁ、その点に関しては予想をしていましたから、電車を多少遅らせても問題ありません。
天那の通う小学校まで駅を6つ程経て、最寄り駅から徒歩で10分……この調子だと、授業参観のある午後1時半には何とか間に合いそうですね。
どうやら出来るだけ早く辿り着けるように、駅までの歩く速さを上げて来た甲斐があったようです。
保育園の発表会の時、運動会の時、私は仕事のためにあの子の晴れ舞台に行くことが出来ませんでした。
特に初めての頃は泣かせてしまったので、次こそはと後悔を胸に刻んだ程です。
けれど、ようやく……ようやく天那の頑張りを間近で見ることが出来そうだと、頬が緩むくらいに期待していました。
授業で先生に当てられた娘が華麗に問題を解く姿を想像するだけで、午前中に溜まった疲労が水に流されて行くのが実感出来ます。
きっと可愛いはずです……出来ればスマホで撮影したいくらい……。
っと、思考に耽って電車を乗り過ごしては元も子もありませんね。
そう自制しますが、時間になっても中々電車が来ません。
少し遅れているのでしょうか?
まだ少しくらいなら大丈夫ですし、向こうの駅を降りたら走って行くかタクシーの利用を検討した方が良いかもしれませんね。
……。
……。
……妙です。
予定の時刻より20分近くも過ぎているのに、電車は一向にホームに来ません。
そう感じているのは私だけでなく、同じホームにいる方々の表情にも焦りと苛立ちが窺えます。
もちろん私も同じ気持ちで、このままでは授業開始までに学校に着けません。
いくら洗っても取れないシミのように拭えない不安が、私の心に針を刺したと思える痛みを感じさせます。
──ピーンポーンパーンポーン……。
「!」
やがてホームに何やら放送が入りました。
電車がもう少しで来るのかと、安堵しかけた私の耳に入って来たのは……。
『お客様に申し上げます。ただいま、当車線において人身事故が発生しました。現在対応中のため電車を停止しております。次発発車が遅れますことを、何卒ご了承下さい……』
「──え?」
放送の内容は無慈悲なものでした。
それを聞いた私は、足元が崩れるようなショックを受けたのです。
~~~~~
──どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう!!?
ホームを出て駅前に戻った私は、頭を抱えて必死に考えていました。
思考は延々と同じ言葉を羅列した円に囚われ、一向に解決策を見出せないまま無為に時間だけが過ぎて行きます。
電車が遅れることに関して他の方達は駅員に苦情をぶつけますが、私は天那の授業参観に間に合わないという事実に、最早そんな余裕はありませんでした。
もう、授業参観が始まるまで15分もありません。
「天那……天那……っ!」
無駄だと解っていても、愛娘の名前を口にして必死に平常心を保とうと努めますが、頭の中は懺悔の念に満ちていました。
それもそうです。
私はあの子に必ず授業参観に行くと約束したのに、こんなことで破ってしまうことになるんですから。
もう絶対にあの子を悲しませないと誓ったのに、どうして今日に限って人身事故が起きたりするんですか……!?
約束を守れない焦りと事故に対する怒りに、今にも涙が出そうです。
事故に対しては八つ当たりの逆恨みだと理解していますが、それでもこのやり場のない気持ちをぶつけずにはいられません。
バスはここから天那の学校のある市外までは通っておらず、タクシーにしても、間の悪いことに1台も停車していませんでした。
この様に他の方法も模索して見たのですが、既に手打ちです。
当然、徒歩で向かって着いた頃には授業参観はとうに終わっていることは、考えるまでもありません。
「天那、ごめんなさい……」
この場にいない、今も私を待っているであろう天那に向けて謝罪の言葉を口にします。
思えば、いつもいつもこうでした。
保育園の発表会の時は粘着質なクレーマーに対応している内に終わってしまい、運動会の時は山木さんが起こしたミスの後始末に追われている間に過ぎてしまい、行くことが出来なかったのです。
保育園で最後の運動会の時には、天那から『仕事があっても気にしない』と思ってもいない言葉を言わせてしまいました。
そんな思いをさせたくない一心で、今日は予め出勤出来ないと伝えたはずなのに、山木さん達の有給休暇のツケを払う形で出勤することになるなんて……。
会社にとって大事な、失敗出来ない取引なのだと懇願されては断れないに決まってるじゃないですか!
午前中だけだから間に合うはずと、高を括っていればこのザマです……。
「約束、したのに……! あんなに、嬉しそうに笑ってくれたのに……!」
これでは、あの子を裏切ったのと同等ではないですか……。
胸中は一部の隙間もない罪悪感で占められていました。
娘との約束を守れないで、何が母親ですか。
私は……天那の晴れ舞台を見ることすら許されないというの……?
こんなことでは、あの人に顔向け出来ません……!
「うぅ……ひくっ……」
自らのあまりにも情けない不甲斐なさに、遂に涙腺は決壊して涙が流れます。
もう今年で25歳になるというのに、なんて大人気ない……。
時刻は午後1時20分……授業参観まで10分です。
どうしようもない袋小路に詰まった私はもう立つことも諦め、膝を折ってその場に蹲りました。
周囲の目に気を配ることも出来ない……。
天那を裏切ってしまった悲しみに打ちひしがれ、あの子に嫌われてしまう最悪の未来に怯えている私に……。
「──南さん?」
「──え?」
つい最近見知った人物の声が聞こえました。
涙を拭うことも忘れたままの顔を上げて、声の方へ視線を向けます。
「やっぱり南さんか。こんなところで蹲ってどうしたんですか?」
「さ、がわ……さん……?」
歳の差など気にせずに天那の友人となった奇妙な関係の男性が、不思議そうに私を見つめていました。
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