授業参観を終えて
授業参観を終えて家に帰った天梨と天那は、夕食の前に揃ってお風呂に入ることにした。
天那はともかく、天梨は仕事先や教室まで走ったために汗が気になって仕方がなかったのだ。
もっとも、汗を気にする程度で済んだのは和の助力あってのモノで、もし彼があの場に居合わせなければ、天梨は学校に行けなかっただろう。
そう考えながら、彼女は娘の髪を洗い終える。
「はい、髪を流しますよ」
「うん、おめめギューってしてるよ!」
「ええ、えらいですよ」
琥珀に近い茶髪に付いている泡を、シャワーを掛けて落とす。
実は天那は自分で洗身と洗髪が出来るのだが、甘えたがりの娘はこうして天梨にせがむことがある。
娘曰く『ママにしてもらったほうがしっかりあらえるから』らしい。
天那を溺愛している天梨からすれば、これ以上ない幸せな言葉だろう。
2人の間には微笑ましい雰囲気が漂っていた。
「ママ、はやく!」
「待って下さい。ちゃんと100を数えてから上がるんですよ」
「はーい!」
髪と体を洗った2人は、熱めの湯船に浸かる。
天梨の体に天那がすっぽり抱き抱えられる形だ。
お風呂の温かさ以外に、母親の体温を直に感じられる心地良さに天那は嬉しそうであった。
そんな娘を見て、天梨はあることを口にする。
「天那。今日は遅れてしまってごめんなさい……」
「ううん。ママはやくそくどーりきてくれたから、きにしてないよー」
その言葉に嘘は無かった。
遅刻等、天梨が間に合ってくれたことで天那の中では然したる問題ではないのだ。
ただ、彼女が授業参観に来てくれたという事実だけで、少女の心は満たされていた。
「おしごとたいへんだったの?」
「いえ、仕事自体は問題なかったのですが、その……電車が止まってしまって……」
「え? それじゃ、どーやってがっこーにきたの?」
「それは……」
小学1年生とはいえ、天那でも電車が止まってしまえば普通は間に合わないと知っている。
にも関わらず、天梨がどんな方法で来たのか気になるのも当然だろう。
一方で質問を投げ掛けられた天梨は、一瞬答えるべきか迷ったものの、自分も和を信じると決めた手前正直に話すことにした。
「──早川さんが、たまたま近くを通り掛かりまして、トラックに乗せてくれたのです」
「おにーさんが!?」
天梨自身も奇妙だと感じている巡り合わせに、天那も目の色を変えて驚愕する。
母親の言葉通りであるなら、授業参観が良い思い出となった功労者は彼ということになるからだ。
特に和に懐いている天那は、その事実に一層嬉しそうな笑みを浮かべる。
「それじゃ、こんどおにーさんにあったときに、ありがとーっていわなきゃ! あ、でもおしごとのじゃまはしちゃダメなんだよね?」
「そう、ですね……」
素直な娘とは対照的に、天梨の返事はなんとも歯切れの悪いものだった。
自分達のために、彼が自らの業務を後回しにしたことで、何かしらの罰を受けるのではないかと心配しているためだ。
ただでさえブラックな業務内容である配送業故に、消費する体力と蓄積される疲労は計り知れない。
なら、今日のお礼として自分に出来ることを天梨は模索する。
やがて辿り着いた答えは……。
「天那」
「なーに?」
「早川さんとは、私が注意する前のように接して大丈夫ですよ」
「ほんと!?」
「ええ」
母親からの許可に、天那は期待の眼差しを浮かべる。
彼は娘との時間を大切にしてくれていた。
ならば、自分と交わした約束は一部無効にしてもよいだろうと判断したのだ。
「ですが、あくまでお仕事の邪魔をしてはいけないことに変わりはありませんよ?」
「うん! もしおにーさんがつかれてたら、またかたたたきしていい?」
「っ、え、ええ。程々であれば、構いませんよ……」
今まで自分が独占していた天那の肩叩きを、和にしたいという言葉に天梨は頬を引き攣らせながらも許可する。
純粋な優しさから来る願い故に、彼女はあまり強く出られなかった。
まさに天梨が天那に甘い証拠だろう。
「それで、ママはどーするの?」
「え、わ、私ですか?」
不意に尋ねられた天梨は戸惑うが、天那はそのまま続ける。
「うん。だってママもおにーさんにたすけられたんでしょ?」
「え、ええ、そうですよ」
「それなら、ママもありがとーっていわないと!」
「あ……」
そう言われて、天梨は茫然としながらもあることを思い出す。
(私……山木さん達から助けられたことのお礼を、まだ早川さんに言ってませんでしたね……)
以前、後輩2人に嫌味をぶつけられていた際に言い返してもらったのだが、その時の感謝をまだ伝えていなかったのだ。
タイミングがなかったわけではなく、彼の運転するトラックに乗せてもらった時などに言えたはずだったが、あの時の天梨にはそんな余裕は一切なかったために完全に失念していた。
もちろん和の人柄を知った今では、彼が恩に着せて過度な態度に出るような人物ではなく、むしろ気にするなと謙遜する姿さえ容易に想像出来る。
だがこのままではあまりに不義理で、それは彼女の矜持が許せないことだ。
要するに、助けられっぱなしでは気が済まないのである。
「──そうですね。キチンとお礼を言わないといけませんね」
「うん!」
天梨の答えに、天那は満面の笑みを浮かべて頷く。
話し込んでいる内に100はとっくに数え終えていることに気付いた2人は、すっかり逆上せてしまったことはまた別の話しであった。
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