やっぱり天使の癒しには勝てなかったよ


「ファ〇ク! あの子ブタ上司、マジでざっけんなよ!!」


 三弥にあまなちゃんの母親に会ったことを相談した数日後の火曜日。

 

 中々変わらない信号に対してイライラしている間に、昨日日乃本部長から配送スケジュールの変更を伝えられたことを思い出す。

 

 この、ゴールデンウィーク目前の時期にである。


 つまり、またまた仕事が増えたぜちくせう。

 いや、業界的にはむしろこういう長期連休が一番の稼ぎ時だっていうのは分かってるよ?

 でもそれって裏を返せば、その分こちらの仕事量も増えるわけでして。

 

 他人の休みのためにこっちの休みを削られる、サービス業の闇が俺の心をこれでもかと蝕んでいる。


 さらに今度はあまなちゃんの癒しブーストもないため、俺は心身共に激しく荒んでいた。

 ストレスから睡眠不足気味なのもあって、なんだかハイになっている気さえする。


 所謂深夜テンションだ。 

 今は夕方だけども。


 そしてそんな苛立ちの大本が……。


「──腹減った……」


 道中で寄ったコンビニでおにぎりを2個買って速攻で食べたものの、働き盛りの成人男性の胃がそれだけで満たされるはずもなく、追加の食事を摂る余裕もないまま今の時間になってしまった。


 なので、ものすっごいお腹が減っている。

 もう背中と腹がくっ付くんじゃないかってくらいだ。

 空腹とストレスが重なり、意識が安定しない。

 運転中に事故を起こさないようにさらに神経質になって、それが余計に体と心に負担を強いている。


 あれ……俺良く仕事出来てるな?


 そんなこんなで、あまなちゃんの住んでいるマンション『エブリースマイル』へ到着した。

 いつもならあの子の癒しを受けられると期待して心が晴れやかになるはずだが、その母親である南さんとの約束によってそれも出来ない。


 だからといって、南さんを恨むのは筋違いだってことは理解出来る。

 彼女は母親として当然のことをしただけだし、それで俺が文句を言うのはただの言い掛かりだ。


 とりあえずあまなちゃんに心配を掛けないためにも、出来るだけ元気な姿を見せるようにしよう。

 

 そう気を取り直して、俺はインターホンを押す。

 

『はーい!』

『すみませ~ん。ウミネコ運送でーす』

『いまいきまーす!』


 ──あぁ、スピーカー越しでもあまなちゃんの声に癒される……。


 耳から幸せを感じている間に玄関のドアがゆっくりと開かれて、中から判子を片手にあまなちゃんが出迎えてくれた。


 今日は明るい茶髪を後ろに束ねて短めのポニーテールに、5月が近付いて来たのもあって淡い黄色の半袖ワンピースという、涼し気な装いだ。

  

 つまり可愛いってことである。


「こんにちは、おにーさん! いつもごくろーさまです!」

「こんにちは、あまなちゃん」


 花が咲きそうな笑顔で挨拶をする彼女に、俺は表面上は平静に返す。


 あ゛あ゛~これだよ。

 そうだ、必ずしもあまなちゃんから何か施しを受ける必要はないんだ。

 こうして愛らしい姿を見ただけで、クソ部長のことなんてあっという間にどうでもよくなったんだから。


 ……内面はこんな感じだが。

 っと、今は仕事に集中集中!


「それじゃ、ここに判子を押してくれるかな?」

「はーい!」


 相変わらずな元気一杯の調子で受け取り印を押してくれた。

 荷物をいつもの場所に置き、俺はあまなちゃんの方へ顔を向ける。


「それじゃ、また今度ね」

「え? おにーさん、もういっちゃうの?」

「うっ……!?」


 南さんとの約束を守るために足早に去ろうとしたら、あまなちゃんは寂し気な眼差しを俺に向けて来た。

 その可愛さと、そんな表情をさせてしまうことに胸が締め付けられるような痛みを感じる。

 

 本音を言えば行きたくない。

 あまなちゃんと一緒の時間を過ごしたいに決まっている。  


 でも、彼女の母親である南さんから関わるなと言われていて、俺自身もそれを受け入れた身だ。

 約束をしたその次にいきなり契約違反となる行為をしては、ただでさえマイナススタートなのに余計に信頼から遠のいてしまう。


 そうなれば、最悪通報される。


 それだけはダメだと思い直し、俺は心を鬼にしてあまなちゃんの問いに答えを返すことにした。


「ご、ごめんな? 今日はその、仕事が忙しくて……」

「あ……」


 個人的に子供が聞きたくないであろう言い訳1位を口にして伝えると、あまなちゃんは少しだけ息を漏らす。


 そして、顔を俯かせて……。


「……おしごとちゅーなのに、ワガママいって、ごめんなさい……」


 ちょっとだけ声を震わせて弱々しくそう言った。


 ──ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァァァァァァァァッッ!!!!


 い、痛いっ!!

 心に刃物が突き刺さったみたいに痛いっ!!

 

 あまなちゃんを悲しませていることに、俺はかつてない苦痛を感じていた。

 何がヤバいって、なまじ賢くて気配り上手な子だけにすぐ引き下がったことだ。

 聞き分けが良いからこそ、俺に迷惑を掛けてしまったと思っているのがよく分かった。


 今すぐにでも『そんなことない』と前言撤回して全力で構い倒したいが、頭の片隅に南さんとの約束がちらついて足を止めて来る。


 我が身可愛さで幼女に寂しい思いをさせることに、罪悪感がこれでもかと刺激されていく。

 

「……おしごと、がんばってね!」 

「ぐぅ……っ!」


 さらに、顔を上げたあまなちゃんは無理に作った笑顔を向けて、俺を激励して来たではないか。

 健気な可愛さと、構ってあげられない申し訳なさが同時に殴り掛かって来て、ぐうの音を出すのが精一杯だった。


 それでも、重い足取りを何とか動かそうとして……。


 ──ぐぅ~~~~…………。


 最悪のタイミングで腹の虫が空腹を訴えて来た。

 

「……おにーさん、おなかすいてるの?」

「い、いや、これは……」

「ちょっとだけまってて!」

「あ、あまなちゃん?」


 俺の返事を聞かないまま、何か思い至ったようにあまなちゃんは廊下の奥へと向かって行く。

 それから1分も経たない内に彼女は戻って来た……。








 ──食べ掛けのプリンが乗ったお皿とスプーンを手に持って。


 その光景にどうしたものかと呆けていると、あまなちゃんはスプーンでプリンを一口分掬い……。


「おにーさん、これでおなかペコペコなおる?」

「……」


 こちらを慮るような表情を浮かべて、プリンが乗っているスプーンを差し出して来た。


 ……。

 

 あぁ、なるほど。

 俺が腹を空かせていると察して、自分が食べている途中だったプリンを分けてくれてるのか。

 そっかそっか~。


 そう彼女の行動の真意を悟った俺は片手で目元を覆い、天を仰いでからゆっくりと。


 ──アカンアカン、こんなん尊過ぎて断れるわけあらへんやん。


 折れた。

 南さんの約束とあまなちゃんからの癒しで揺れていた天秤は、たったそれだけの優しさでいとも簡単に傾いのだ。

 思わず関西弁で敗因を心に浮かべる程に、俺の理性は容易く折れた。


「……一口だけ、頂くよ」

「ホント? じゃあはい! あ~ん!」


 はぁ~↑↑!!?

 ちょっと可愛過ぎません!?

 

 厚意を受け取った瞬間に、さっきまでの寂しそうな表情が嘘みたいに明るくなったぞ?

 もう満面の笑みですよ?

 アニメで良く観る、顔の周りに花が咲く演出を幻視したんだけど? 


 それにあ~んって!

 あ~んって!!


 これはもう地上に舞い降りた天使といって過言ではない気がする。

 いや、そのものだろう。

 それほどまでに、あまなちゃんの癒しは俺の心に深く深く響いた。


 さて、いつまでも悶えている場合じゃない。

 せっかくあまなちゃん自ら食べさせてくれるプリンだ。

 存分に味わおう。


 差し出されたスプーンに乗っているプリンを頬張り、しっかりと咀嚼して味を堪能する。

 心なしか普段食べているプリンより、甘さが倍増しているように思う。


「おにーさん、おいしー?」

「あぁ、すっごく美味しいよ」


 あまなちゃんの問いに、心からの笑みを浮かべて返す。

 これだけで満腹になる程俺の胃は小さくないが、心は満腹だ。

 そうして心を持ち直したあまなちゃんと快く別れた俺は、改めて仕事に戻ることにした。


 

 ──この後、南さんにめちゃくちゃ怒られた。

  

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